じじぃの「カオス・地球_445_移行化石の発見・第8章・ウマの進化」

Horse Power: The History of the Horse

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qlYn4dWNKTM

Matthew,W.D.1926 The Evolution of the horse


The Branching Bush of Horse Evolution

Laelaps
This model is similar to Marsh’s (see above) in that horses seem to have followed a very simple ancestor/descendant progression through time. While it is true that living horses did have ancestors with multiple toes and we could trace their line backwards through time to the exclusion of other closely related genera, diagrams like this one seem to have “won out” in the public mind over those that more fully encompassed horse diversity. A 1940 paper by R.A. Stirton would be much clearer when it came to the branching horse lineage;
https://laelaps.wordpress.com/2007/09/13/the-branching-bush-of-horse-evolution/

『移行化石の発見』

ブライアン・スウィーテク/著、野中香方子/訳 文藝春秋 2011年発行

ダーウィンが『種の起源』で進化論を提唱したとき、もっとも有力な反証となったのは、化石として出土している古代の動物と現生の動物とをつなぐ、「移行期の種」の化石がみつかっていないことであり、それは「ミッシング・リンク」(失われた鎖)と呼ばれた。
だが1980年代以降、とりわけ21世紀に入ってから、クジラ、鳥、ゾウなど様々な動物について、「移行化石」が相次いで発見されている――。

第8章 ウマはなぜウマ面なのか より

進化の本線と支線

生物学者の多くは、ウマの進化が枝分かれしながら進んできたことを認めていたが、かつてオスニエル・チャールズ・マーシュが描いた直線的な「進化の図」はそのまま残りつづけた。この矛盾は、W・D・マシューがウマの進化を概説した1926年の論文において表面化した。全体的に見て、ウマがより大きくなり「余分な」指が退化し、顔が長くなり、歯が草を食べるのに向く高冠歯になるという変化は、すべて同時に起きたようだ。つまり、これらの特徴は一度にひとつずつ獲得されたのではなく、すべてが徐々にある方向へと変化していったのである。これは、マシューが描いた「改訂版・進化の図」(図、画像参照)にははぅきりと読み取ることができ、この軌跡は馬の進化の連続的な「段階」を示すものとして受け入れられた。

繁った樹の最後に残った枝先

ウマ四肢動物である。ということはつまり、3億6500万年以上昔のデボン紀に、初めて獲得した四肢でぬかるんだ川岸や湖岸をはいあがってきた脊椎動物たちの子孫なのだ。したがって彼らは指が生成するパターンを、その先祖から受け継いでいる。第3章で述べたように、指は「小指」側から生え、親指側に向かってストップがかかるまで次々に生えて行く。指の減少は、おそらくこの発達に変化が生じることで起こるはずだ。そのことは、現生の珍しいウマからもうかがえる。

数百年前から、人々は、時として余分な指をもつウマが生まれることに気づいていた。マーシュは1879年と92年に出した2本の論文で、腓骨が伸びて脇の指(偽蹄、ぎてい)が生じたウマの事例を複数報告している。余分な指はたいてい1本で、肢の内側に生えていた。化石のウマの研究により、マーシュはこれが一種の先祖がえりであることを知っていた。そのような余計な指は「普通」のウマでは脇の指の痕跡が見られる場所にあったのだ。

マーシュがそれらの論文を書いた当時、DNAや遺伝のはたらきについて知る人はいなかった。ウマの肢の進化における発達の役割は、今もまだそれほど研究されていないが、現生のウマにも、めったに発現しないものの、余分な指を生じさせる遺伝子が残っているのは確かだ。これによって、ディノヒップスのなかに、脇の指があるものとないものがいた理由がわかるだろう。アシュフォールのディノヒップスがまだ生きていた時代には、指の生成をコントロールする遺伝子に起きた変異(1本指にするという変異)は、まだ個体群全体に広がっていなかった。それが広がったのは、自然選択による適応というよりむしろ、遺伝的浮動(個体群の遺伝子ポールが偶然性に導かれて変化すること)によるのだろう。

つまり、指が1本になる変異遺伝子を持つウマが、たまたま生殖能力が高かったのではないだろうか。多指のディノヒップスが1本指のそれより劣っていたわけではないので、多指の個体がいなくなっても、ディノヒップスという種が「進歩」したわけではない。

『ウマ』という1892年の概説書の冒頭で、イギリスの解剖学者ウィリアム・ヘンリー・フラワーは、博物学者らに向けて「生物学の基本原理のいくつかに関する洞察」を記す。曰く「ウマは誰もがよく知っているので、生物学、特に進化に関する探究の出発点とするのにふさわしい」。