じじぃの「科学・芸術_22_シーラカンス」


シーラカンスの謎: 陸上生物の遺伝子を持つ魚  読書メーター
現在シーラカンスはアフリカ(大陸の東側)とインドネシアで生息が確認されている。二種のシーラカンスは外見はほとんど同じだが、遺伝子的には別の種類である。約3500万年前に別の種になったと考えられている。
シーラカンスはお腹の中で卵を孵化させる胎生魚であり、稚魚が生まれる時には30センチ位になっている。謎の多いシーラカンスの生態の中でも繁殖に関することは最も謎に包まれている。深海に棲んでいるシーラカンスは脂が多くその脂は人間には消化できない脂のため、食べ過ぎると下痢を起こす。尚、味も余り美味しくないらしい。
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進化大全――ダーウィン思想:史上最大の科学革命 カール・ジンマー/著、渡辺政隆/訳 光文社 2004年発行
魚の指と陸上の生活 (一部抜粋しています)
カンブリア紀の爆発的進化によって脊椎動物の祖先が誕生した5億3000万年前を、脊椎動物の進化に突破口を開いた重要な出来事とするなら、その次に重要なのは、脊椎動物が初上陸をはたした3億6000万年前だろう。この2つの時点にはさまれた1億7000万年の間に、脊椎動物はじつに多様な魚を進化させた。現在も生きているヤツメウナギ、サメ、チョウザメ肺魚などの祖先のほか、アゴがなく、全身を装甲で固めた板皮類やガレアスピス類といった絶滅種などである。しかしその間、背骨をもつ動物で、渇いた陸上を歩いた種類はまったく存在しなかった。脊椎動物が海からの上陸をはたしたのは、わずか3億6000万年前のことなのだ。そしてそれが、ラクダ、イグアナ、オオハシなど、陸生脊椎動物のあらゆる種類(ひとまとめに四足類と呼ばれる)の祖先にあたる)。
水中から陸上への移行に関しても以前から語られてきた物語には、どうしても英雄譚的な色彩がつきまとっていた。最終的に人間を登場させるために踏み出すべき大きな一歩として語られがちだったのだ。海中を泳ぎ回っていた魚のなかから先駆的な種がヒレをのたくらせて初上陸に成功し、やがては肺と四肢を進化させてよいしょっと体を持ち上げ、乾いた大地の征服に乗り出したというのである。イェール大学の古生物学学者ルチャード・ルルは、「さらなる発展を期するためには、水中という限られた世界から空気中という無限の世界への進出が必須だった」と、1916年に書いている。
ところが、1980年代になると、四足類の起源は、それとはまったく異なる物語だったことが判明しだした。それ以前の時代は、最初に出現した四足類がどのような形態をしていたかを物語る証拠がほとんどなかった。四足類にいちばん近縁な魚は、肉鰭(にくき)類という古い系統であることはわかっていた。現在も生きている肉鰭類としてはブラジル、アフリカ、オーストラリアに生息する肺魚がいる。それらはみな淡水魚で、池が干し上ったり、水中の酸素濃度が低下した場合には空気呼吸ができる。それと、南アフリカインドネシアの沖合の水深100メートルに生息する海水魚シーラカンスも、肉鰭類である。
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アメリカの古生物学者ルフレッド・ローマ―が描いたこの筋書きは、少なくともグリーンランドで2つめの古い四足類が発見されるまでは、まだ説得力があった。ケンブリッジ大学の古生物学者ジェニファー・クラックは、1984年に、ケンブリッジ大学の地質学者が1970年代に行ったグリーンランドでの探検調査の報告書を読んでいて大発見をした。調査隊はイクチオステガに似た化石を発見し、クラックの目と鼻の先に収納していたのである。クラックは、1987年にグリーンランドの発掘場所に自ら乗り込んだ。そしてそこで、3億6000万年前の四足類の完全な化石を発見し、アカントステガと命名した。
アカントステガは、脚や指など、四足類が満たすべき特徴をすべてそなえていたが、水中生活しかできない動物だった。その証拠に、くびにエラを支えるための骨が見つかった。そしてもう1つ、脚、肩、腰の骨が、渇いた土の上で体重を支えるにはきゃしゃすぎた。
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ともかくも、もともとの使用法が何だったにせよ、現在の使用法である陸上歩行の必要を充たすために足と指が進化したわけではないのだ。2000年の時点で、初期の四足類の化石はすでに10種以上見つかっているが、そのすべてが水生動物だったようだ(クラックらはイクチオステガを新鮮な角度から調べなおし、ちょうどアザラシのように乾いた陸地を這うこともできたかもしれないとの見解に到っている)。