じじぃの「人の生きざま_754_ラルフ・スタインマン(免疫学者)」

樹状細胞ワクチンVaccell(バクセル) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2kkFN6LwpjU

ノーベル賞受賞者が発表3日前に亡くなっていた 2011年10月04日 ゆかしメディア
3日発表されたノーベル医学・生理学賞の受賞者の一人である、米ロックフェラー大学生物学者ラルフ・スタインマン氏(享年68歳)が9月30日に亡くなっていたが、ノーベル財団は受賞の決定を変更しないことを明らかにした。規定では、受賞対象にならないが特例となる極めて異例の措置。
この規定は故人は受賞対象に入れないというものだが、発表後に亡くなった場合は特例として認められている。今回は、選考委員会が亡くなった事実を知らなかったものの、実際の選考はそれ以前に終わっており、問題ないという判断となった。過去のノーベル賞においても異例のケースとなった。
スタインマン氏は、免疫細胞の一種である「樹状細胞」を発見。2007年にはすい臓がんと診断され、自らを研究対象として樹状細胞を使用した治療を受けていた。
http://media.yucasee.jp/posts/index/9104
樹状細胞
樹状細胞 (dendritic cell) は、1973 年にロックフェラー大学のスタインマン博士らによって発見された、歴史の新しい細胞である。
名が示すとおりの突起を四方八方に突き出すこの細胞は、抗原提示の専門家で、自分が取り込んだ抗原を「こんな物質があるよ」と免疫系の細胞に教える、生体防御にとってきわめて重要な細胞である。
http://1kai.dokkyomed.ac.jp/dc.html
『現代免疫物語beyond 免疫が挑むがんと難病』 岸本忠三、中嶋彰/著 ブルーバックス 2016年発行
樹状細胞の物語 より
誰にでも老いと死は訪れる。しかし、人生の最終章でこれほど劇的なドラマを演じた人はめったにいない。カナダ生まれの免疫学者で米ロックフェラー大学の教授だったラルフ・スタインマン。自らの体を張ってがんに戦いを挑み、死してなおノーベル生理学・医学賞を受賞した科学者である。
体を張るとは、穏やかではない。でも誇張ではない。彼は60歳代半ばのとき、がんの中では最悪の部類に属する膵臓がんに襲われ、否応なくわが身を舞台に樹状細胞という免疫細胞を駆使して、病魔と知恵比べ、腕比べを始めることとなった。
がんとの戦いは、彼にとっては2つの意味があった。1つは、1個の生命や胃として自らの生命を長らえるための戦い。もう1つは、がんを発病した自分を患者として客観的に捉え、最新の知識、最高の人脈を結集した”史上最強”の治療ブランによって「彼」を治療する戦いだった。スタインマンは頼りとする自慢の武器を持っていた。それは樹状細胞ワクチンや樹状細胞療法と呼ばれる最新の免疫療法。1970年代初めに彼自身が発見した樹状細胞を使った、新しいがん治療法である。
がんの免疫療法には過去にもいくつかあった。しかし樹状細胞ワクチンは、従来の療法と一線を画するほどの効果がある、と彼は信じていた。
実際、樹状細胞は数ある免疫細胞の中で卓越した能力を持っていた。この細胞は、私たちの体の中をパトロールしては病原体やがんの断片を探し出し、長い触手のような腕を伸ばして捕まえると、「こいつが敵だ」といって仲間の免疫細胞に”見せ”にいく天賦の才を備えていた。
スタインマンと、彼のきょうだい弟子として知られる日本の稲葉カヨ(京都大学教授・副学長)が共同研究で突きとめた「抗原提示」というとても重要な営みである。
「抗原」とは、病原菌、ウイルス、がん細胞など、生命体を蹂躙する病的が持つ標的や目印のこと。私たちの体に備わった免疫は、体の外から襲来する病原体のみならず、体の中で発生するがんも敵とみなして戦っている、というのが現代免疫学の常識である。
     ・
スタインマンを病魔が襲った時は、幸いにも彼の研究成果に強い刺激を受けて世界のさまざまな大学、研究機関、ベンチャー企業が樹状細胞ワクチンの臨床試験に乗り出していた時期だった。彼には味方や援軍、仲間が大勢そろっていた。
準備は整った。もとよりスタインマンにとって、がんは長年、対峙してきた宿敵だった。自分ががんになった以上はなおさら引くわけにはいかない。ここは敢然と樹状細胞ワクチンの”切れ味”を自らの体で試すのだ。スタインマンの決意は固まった。