じじぃの「世界遺産・ボロブドゥール遺跡の建造主は誰か?封印されたミステリー」

世界遺産 "ボロブドゥール寺院" 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Ij7Oz9Q-N3w
ボロブドゥール寺院遺跡群 Borobudur Temple 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=vimMO5Lr2a8&feature=related
センス − 海神 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=irZgotdaxnE&feature=related
インドネシア ジャワ島 ボロブドゥール 醜い顔 Ugly Face
http://www5a.biglobe.ne.jp/~asia-mt/borobudur/.borobudur213.htm
ボロブドゥール遺跡上空から 画像
http://www.sekatabi.com/diary/archives/47borobdur05.jpg
曼荼羅
http://www.yamanashi-nponet.jp/system/users/191/img/taizoukai.GIF
海のシルクロード 船 画像
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/e7/07/kassy1946/folder/1721744/img_1721744_52060622_3?1240137817
ボロブドゥール寺院 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&aq=f&oq=%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%AF%BA%E9%99%A2&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%AF%BA%E9%99%A2&gs_upl=0l0l0l62lllllllllll0&oi=image_result_group&sa=X
世界遺産ライブラリー [ボロブドゥール寺院] NHK世界遺産
ジャワ島の中部に位置するボロブドゥール寺院遺跡は、8世紀から9世紀にかけてこの地方を支配したシャイレーンドラ朝によって建てられました。その後、メラピ山の大噴火によって火山灰と密林に埋もれ、1814年にイギリス人によって発見されるまで、地元の人々には忘れ去られていました。
「シリーズ世界遺産100」では、一辺が120メートルの基壇の上に、5層の方形壇、3層の円形壇、全体で9層からなるピラミッド状の石積みの建造物に秘められたメッセ−ジを読み解きます。1885年、一番下の石積みの裏に隠されていた彫刻群が発見されました。そこには古代ジャワ文字で「醜悪な顔」と刻まれていました。それは醜い欲望に支配された人間の世界を表していました。このことからボロブドゥールの建造物は、一番下は「欲界」、その上は、欲望は超越したもののまだ肉体をもつ「色界」、そして、悟りの世界「無色界」という、仏教の「三界」という世界観を表していることが分かったのです。釈迦をめぐるさまざまな物語が刻まれた回廊をたどり頂上にいたると、そこには72のストゥーパが整然と配置されています。ストゥーバの中には釈迦如来座像が安置され、格子の間からわずかにその姿を見せています。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards049.html
古代文明ミステリー 「たけしの新・世界七不思議6」 2012年1月6日 テレビ東京
【MC】ビートたけし 【進行】松丸友紀テレビ東京アナウンサー) 【選考委員】荒俣宏高島礼子吉村作治 【レポーター】前川泰之(ボロブドゥール)
インドネシア・ジャワ島の密林に悠然と佇む世界最大の仏教寺院「ボロブドゥール」。
西洋列強がジャワ島の支配権を争う中、1814年、イギリスのラッフルズによって発見された時は、ほぼ全体が火山の溶岩流で埋め尽くされていた。
ボロブドゥールが元通りの絢爛にして緻密な姿を取り戻したのは1984年、実に170年後のことだった。何層もの石の壇がピラミッド状に積み重なる奇跡の建築。そして壁面を埋め尽くす釈迦の生涯や教典等、整然と並ぶ緻密なレリーフ。学者の中にはボロブドゥールを単なる宗教遺跡ではなく、宇宙の縮図だと主張する者さえもいる。
ボロブドゥールが建設されたのは8世紀から9世紀。これほど壮大で見事な仏教寺院を、一体誰が、どんな目的で建立し、そして1000年もの間、見捨てられることになったのか?
その真相は今も謎のままである。
ところが、その謎に迫るヒントがなんと日本にあった!! 大阪や奈良にボロブドゥールと同じ構造の遺跡があるのだ。海のシルクロードを通ってインドネシアから日本に伝わったと考えられる日本版ボロブドゥール。その起源や目的をたどれば、謎に満ちた本家ボロブドゥールの真相も見えてくる。
http://www.tv-tokyo.co.jp/nanafushigi6/
『愛蔵版 世界遺産・封印されたミステリー』 平川陽一/著 PHP研究所 2010年発行
「宇宙の縮図」ボロブドゥール遺跡の建造主は誰か? 【遺跡名】ボロブドゥール寺院遺跡群 (一部抜粋しています)
密林の中に出現する石で描かれた曼荼羅(まんだら)……。ボロブドゥール遺跡の印象は、そんな言葉でしか表現できない。世界の石造りの宗教遺跡は多いが、これほどの規模をもち、それでいて整然と、緻密に構築され、宗教理念を表現している建造物はほかに例を見ないという。
この遺跡は、インドネシア・ジャワ島中部の古都・ジョクジャカルタの北西約40キロメートルのケドゥ盆地の中央に、突然。異次元空間が出現したとしか思えない印象で姿を見せる。
遺跡全体は大乗仏教の説く宗教理念を表すものとか、華厳経的世界を具現したものといわれている。オランダの学者ベネルット・ケンペルスは「ボロブドゥール遺跡は宇宙の縮図である」という学説を世に問うている。
一辺120メートルという方形基壇の上に、幾層にも重ねられた建造物はどこからも中には入れない仕組みのなっていて、明らかに寺院とは異なるものであることがわかる。遺跡を訪れる人々は、右回りにぐるぐる回りながら、頂を目指して登っていくのだが、登るにつれて、方形壇はしだいに小さくなっていく。基壇は欲界を表し、第2壇は色界、第3壇は無色界を表すといわれている。各壇を登ることはイコール仏道の修業の道を進むことを象徴していると考えられている。
頂きには、世界最大のストゥーパが空を突き刺すように建っている。最上部は歴史の風雪に風化し、すでに失われてしまっているが、それでも直径16メートル、高さは31.5メートルという巨大なものだ。周辺には72基の中空の鐘型ストゥーパが並び、それぞれの中に仏座像が一体ずつ納められている。
回廊の外側には壁がめぐらされ、それぞれの方向に対して、異なった印相を結ぶ仏像が端座している。東を向く仏は悪魔を退け、悟りを完成する印、西を向く仏像は瞑想を表す印。北を向く仏像は恐怖を退ける印、南を向く仏像は望みをかなえる印……。そして最上部の仏像は、釈迦の説法を表す印を結び、ストゥーパの中の仏座像は、これも釈迦の説法を表す印を結んでいる。
方形の各壇には経文(きょうもん)の絵解きや装飾文様がびっしりとすき間なく彫り込まれている。総延長5キロメートルに達するレリーフは、1460面の仏典と1212面の装飾レリーフに分かられ、総計で、実に1万人以上の天女、人首鳥身像が刻みこまれているというから、ただ、ため息をつくほかはない。
ボロブドゥールを石造りの仏教美術館と称した人があるが、まさに言い得て妙というべきだろう。
数世紀の眠りを経て、ボロブドゥール遺跡が発見されたのは、1814年、イギリス人副総督ラッフルズの手によってである。
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発掘の途中で、第1基壇の下に、外部からは見えない隠れた基壇が発見され、ここに刻まれた古代ジャワ文字により、ボロブドゥールの建設時期は760〜840年であることが明らかになった。
この時代にこの地域を制覇していたのは、シャイレーンドラ王朝だという記録はあるが、この王朝の成り立ち、攻防の歴史は、「856年に最後の王がシュリヴィジャヤ王国に逃れた」という記述以外には、ほとんど解き明かされていないのだ。
これだけの遺跡の建設を進めるには、かなりの富が必要だったはずだが、その富がどこから、どのようにして得られたものであるかということも、まったくわかっていない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
1/6、テレビ東京古代文明ミステリー たけしの新・世界七不思議6」を見た。
インドネシアのジャワ島にあるボロブドゥール遺跡は世界最大の仏教寺院なのだそうだ。
密林の中に忽然と現れる巨大な仏教遺跡。発見当時、ボロブドゥール遺跡を覆っていたのは火山の爆発による土砂だった。
ボロブドゥールを水平の位置から見ると、ピラミッドのように見える。しかし、ボロブドゥールを上空から見れば曼荼羅そのものだ。
「方形の各壇には経文(きょうもん)の絵解きや装飾文様がびっしりとすき間なく彫り込まれている。総延長5キロメートルに達するレリーフは、1460面の仏典と1212面の装飾レリーフに分かられ、総計で、実に1万人以上の天女、人首鳥身像が刻みこまれているというから、ただ、ため息をつくほかはない」
このような、仏教寺院を造った人々はどんな人たちなのだろうか。
ボロブドゥールには偶然発見された「隠れた基壇」というものがあった。本来の土台として建造されたものだが、そこには俗世に生きる人間の醜い表情の顔と古代文字「醜い顔」が刻まれていた。文字からボロブドゥールは8〜9世紀に造られたものと分かった。
7世紀にはすでにインド、東南アジア、中国を結ぶ「海のシルクロード」があり、スマトラ島は海の交易路として栄えていた。
唐の義浄は670年代から東南アジア経由でインドを往復したが、そのうち約10年はスマトラのシュリヴィジャヤに滞在して訳経活動を行った。シュリヴィジャヤには1000人以上の仏僧がいたことが記されている。義浄は695年に帰国した。義浄が訳した華厳経遣唐使によって、日本にも伝えられた。
ボロブドゥールとは規模が違うが、同じものが奈良時代の仏塔遺跡として「土塔」があるのだそうだ。
ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡である。日本と繋がりが深いのに、驚いた。
「これだけの遺跡の建設を進めるには、かなりの富が必要だったはずだが、その富がどこから、どのようにして得られたものであるかということも、まったくわかっていない」
7世紀頃、ジャワ島にヒンドゥー王国が栄えた。この時代にスマトラにはシュリヴィジャヤという仏教王国が栄えた。このシュリヴィジャヤ王国の後に栄えたシャイレーンドラ王朝が勢力拡大のために、ジャワ島に巨大な仏教寺院ボロブドゥールを建てた、というのが真相らしい。
ボロブドゥール寺院は1991年 文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録された。