じじぃの「世界遺産・イスラムと仏教が共存した時代・バーミヤン! 危機遺産からのSOS」

アフガニスタンの世界危機遺産バーミヤンの全景 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=p3A2QG7pwEU
Bamyan:destroyed buddha 平山郁夫バーミヤン石仏:諸行無常 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=hvJTKQWVmmg
破壊される前の大仏

イスラム国」古代石像など破壊 動画公開 (追加) 2015年2月27日 日テレNEWS24
過激派組織「イスラム国」は26日、紀元前に作られた古代の石像などを次々と破壊する動画をインターネット上で公開した。
AP通信によると、この動画は「イスラム国」が支配しているイラク第2の都市・モスルの博物館で最近、撮影されたとみられる。男らがハンマーを使い、歴史ある石像などを次々と壊す様子が映っていて、ロイター通信によると、男らは偶像の崇拝を禁じられているとして、破壊を正当化しているという。
また、破壊された物の中には、紀元前に作られたアッシリア時代の石像も含まれているという。「イスラム国」は、これまでにも、イスラム教の聖地を含む古代の歴史的遺産をたびたび破壊している。
http://www.news24.jp/articles/2015/02/27/10270050.html
銃撃されたマララさんに人道賞 「タリバンは女性の力を恐れていた」 2013.9.28 MSN産経ニュース
米東部の名門ハーバード大学は27日、イスラム武装勢力パキスタンタリバン運動(TTP)」による女子教育抑圧を告発し銃撃されたマララ・ユスフザイさん(16)に「2013年ピーター・ゴムス人道賞」を授与した。AP通信が報じた。
数百人の学生や教職員が見守る中、ファウスト同大総長から賞を受けたマララさんは「タリバンは女性の力、教育の力を恐れていた」「声に出した人はわずかだが、平和と教育を訴える声は力強かった」と話した。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130928/amr13092818510005-n1.htm
世界遺産ライブラリー [バーミヤン] NHK世界遺産
6〜8世紀に豊かな仏教美術が隆盛を極めたアフガニスタンバーミヤン遺跡。その中心的存在だった2体の大仏が、2001年3月、イスラム原理主義タリバンによって爆破されました。ユネスコは2003年にバーミヤン危機遺産に登録、国際社会へ遺跡保護への緊急支援を呼びかけました。
「シリーズ世界遺産100」では、危機遺産となったバーミヤンの現状を紹介します。バーミヤン渓谷には石窟寺院跡が多数存在しています。しかし、イスラム教徒の住居となっていた期間が長く、壁画の中には仏の顔の部分を削られたり、上塗りされたものが多くあります。また、タリバン兵が冒とくするために靴底などを使って汚したものなども見受けられます。タリバンは、難民という別の問題も残しました。タリバンはハザラ族を中心としたバーミヤンの住民を迫害したため、多くが難民となり各地に逃れていました。内戦が終わって難民の多くはバーミヤンに戻り、家を失った人々が石窟に住み着いてしまったのです。彼らが焚くかまどの火で、石窟内はススで黒く汚れています。現在ユネスコは新しい住居を建設し、石窟に住む人々を移住させる活動を行っています。大仏は失われても、バーミヤンは未知の文化財が多く眠っている貴重な遺跡です。その調査と保護のために、本格的な国際的援助が必要とされています。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards161.html
危機遺産からのSOS―歴史の爪あと、人類の愚かさ―』 NHK世界遺産」プロジェクト NHK出版 2006年発行
イスラム教国の仏教遺跡・バーミヤン 【執筆者】安井浩美 写真家 (一部抜粋しています)
「大仏は、我々が守る」。イスラム原理主義勢力タリバンが、バーミヤンまであと50キロに迫った1996年12月。当時バーミヤンを支配していたハザラ人勢力「ヒズビ・ワヘダット」(イスラム統一党)の指導者で現副大統領のハリリ氏がそう語った。しかし、1998年、ついにバーミヤンを手中に収めたタリバンは、イスラムの名のもと、2001年3月、世界最大級のバーミヤンの2体の大仏を含めたすべての偶像を破壊した。
「今でもあの時のことが蘇る。毎日のようにタリバンが、大仏めがけて大砲を撃った」。バーミヤン大仏正面の丘にあるサラシア村に暮らすババ・ハイダルが当時を振り返った。「100発近く撃っても大仏は、びくともしなかった」。しかし数ヵ月後、タリバンは、武力で脅して連れてきたハザラ人を大仏の頭からロープでつるし、大仏の体に数ヵ所の穴をあけさせ、その穴に爆薬を詰めさせ、「アッラー・アクバル!」(神はいだいなり!)と叫びながら戦車から砲撃を加えた。
「ガッシャーン」。ババ・ハイダルの家の窓ガラスが爆音で割れた。「ホダヤトバ!」(神よ、許したもう!)」。ハイダルは思わず叫んだ。1500年もの間、バーミヤンの支配者が変わるたびに傷つきながら生き永らえ、バーミヤン谷やそこに暮らす人々を見続けてきた大仏は、大きな音を立てて跡形がなくなるほど崩れ落ち、同時に大仏を収めた仏がんの天井や壁が描かれた壁画も姿を消してしまった。
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「大仏の手の平から光が放たれ、町を照らしていた」。バーミヤンに残る伝説にあるように「光輝く場所」を意味するバーミヤン。かって2体の大仏が健在だった頃、シルクロードの要衡として、華々しい仏教都市を誇ったバーミヤン。その全貌が今日の日本やフランスの考古学的調査で明らかになり始めた。そんな中、現在カブール博物館に収蔵されている、バーミヤン西のヤカウラングで発見された8世紀の碑文がある。仏塔にはめ込まれていた碑文には、「アラブ人とトルコ人の支配者の許しを得て、信仰の証としてこの仏塔を建立する」とあった。碑文は、かってイスラムアフガニスタンに布教されは始めた時代に、イスラムと仏教が共存したことを示す貴重な歴史的史料だった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
NHK出版 『危機遺産からのSOS―歴史の爪あと、人類の愚かさ―』を見ていたら、「イスラム教国の仏教遺跡・バーミヤン」があった。
アフガニスタンの中央部にあるバーミヤンには仏教遺跡がたくさんあったそうである。今ではバーミヤンといえば、大仏の姿や壁画がすっかり無くなった岩山を思い浮かべるだけだ。
「アラブ人とトルコ人の支配者の許しを得て、信仰の証としてこの仏塔を建立する」
「碑文は、かってイスラムアフガニスタンに布教されは始めた時代に、イスラムと仏教が共存したことを示す貴重な歴史的史料だった」
かって、アフガニスタンに、平和で繁栄を誇った時代があったのである。
アッラー・アクバル!」(神はいだいなり!)
こんなことを言えば、何をやっても許されるとでも思っているのだろうか。
アフガニスタンバーミヤン遺跡は2003年、ユネスコ世界遺産文化遺産)リストと同時に、世界危機遺産リストに登録された。