じじぃの「人の死にざま_693_和田・三造」

和田三造 - あのひと検索 SPYSEE
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和田三造 「南風」 画像
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和田三造 「十字架を負う」

特別企画展「和田三造展」 *財団法人日本色彩研究所
http://www.jcri.jp/hiroba/event/wadasanzo.htm
和田三造 ウィキペディアWikipedia)より
和田三造(わださんぞう、1883年3月3日-1967年8月22日)は、明治・大正・昭和期の日本の洋画家である。
【経歴】
生野銀山鉱業所の勤務医や校医を勤めた和田文碩と秀の四男として、兵庫県朝来郡生野町(現・朝来市)に生まれる。
1904年、東京美術学校を卒業し、1905年、白馬会展で『牧場の晩帰』が白馬会賞を受賞する。1907年、第1回文部省美術展覧会(文展)に出品した『南風』が2等賞(最高賞)を受賞する。この絵の中で小船の上に立つたくましい男のモデルは、和田が中学時代に通っていた玄洋社が運営する柔道場「明道館」の2代目館長河野半次郎といわれる。
1927年、帝国美術院(現・日本芸術院)会員となる。同年、我が国における色彩の標準化の必要性に着目し、日本標準色協会を創立する。ここでの和田の色彩研究の成果は、『色名総鑑』(1931年)などに表れている。1932年、東京美術学校図案科教授となる。1945年、日本標準色協会を日本色彩研究所に改組し、理事長に就任する。1951年には、ここで日本初の綜合標準色票『色の標準』を完成する。
1953年、大映映画『地獄門』で、色彩デザイン、衣裳デザインを担当し、この作品で、1954年の第26回アカデミー賞で衣裳デザイン賞を受賞する。尚、『地獄門』は、1954年の第7回カンヌ国際映画祭においても、その色彩の美しさを高く評価され、パルム・ドール(最高賞)を受賞している。晩年は、油彩画の他、工芸や水墨画にも活躍し、1958年、文化功労者に選ばれている。

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『名画再読 美術館』 芥川喜好/著 小学館 2001年発行
和田三造 「南風」 (一部抜粋しています)
ずいぶん昔からこの絵を知っていたという気がする。
ぎらつく太陽と強い海風をあびて赤銅食の男が半裸で立っていた。
ギリシャ彫刻のように構えた姿だけが印象的で、状況はわからない。遠くに島影が見え、粗末な海か筏の上に男たちはいた。
荒々しいかたちがひかりと陰をなし、波のうねりとともに目のなかで揺れていた。
そんな記憶を頭において絵の前に立つと、船は静かに帆走中である。思ったより波は高い。つまり船の上と海が分裂して見える。
太陽の光線は強そうだが、風の表現は男のかぶる上衣の硬い広がりだけに終っている。欠点といえばいえるかもしれない。
だが大したことではない。見ているうちに汗が吹き出し、潮風で体がべとつく気分になってくる。船の揺れも感じられてくる。
揺れながら、男の腰巻きの赤と並の青さが強い力で擦れあうのが見える。筋肉は隆々。波はうねうね。影はくっきり。空気は清々。
要するに絵のあらゆる細部において作者は「強さ」を意識している。何ごとか自分の内からみなぎるものを。技量なりの入念さと克明さで、ぎりぎり出そうとしている。
その充溢感こそすべての欠点を帳消しにするこの絵の身上だ。外光派と呼ばれる当時の新しい絵画ぼなかでも。この明快な感覚性とみなぎる力感は傑出していたに違いない。
明治40年に発足した文展の第1回展西洋画部門で、最高の二等賞にはいったのがこの『南風』だった。充溢感とは、時代の新展開に立ちあう24歳の青年の高揚感、解放感でもあったろう。
日露戦争の勝利による国民的ヒロイズムの高揚がこの精力的な造形を評価したという専門家の説もあって、なるほど時代が作品を描かせ選んだのだという言い方もできそうだ。
和田三造は19歳の夏、伊東から八丈島に渡る船に乗って暴風雨にあい、漂流した体験をもつという。そのとき得た構想をのちに描いたともいわれるが、絵は何の状況も語っていない。
計算された群像表現なら、それぞれの視線や表情の関係をたどって絵の心理をよむこともできる。だがこの4人の視線には統一がない。会話も聞こえてこない。
ここに見られるのはむしろ1つの画面をつくることへの徹底した作意だろう。
力強く、劇的に描くという意図がまずあって、彫刻的な肉体が配される。それを赤い布と青い海で美しく引き立たせる。強い日をあびせ、風を吹きつけ、脇を固める3人衆を配して、はいポーズ、というわけだ。
1つの自然の表現というよりは、西洋絵画の劇的な構成を意識しつつ一矢を報いようとした、けれん味たっぷりの青春の絵画なのである。

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