じじぃの「原発事故を予見・反原発のカリスマ・高木仁三郎!S・フロントライン」

原発のカリスマ 市民科学者 高木仁三郎 1/2 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=HWWKcdZ6XgE
高木仁三郎 画像
http://4.bp.blogspot.com/-EmWgOaD593A/TanAKaqxFWI/AAAAAAAAAH0/bvvzLsXCn9k/s1600/takagi-2.jpg
宮澤賢治高木仁三郎さん 宇都出ブックセンター
http://utsude.jugem.cc/?eid=207
友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ
http://www.cnic.jp/takagi/words/tomohe.html
プライムニュース 「原発ゼロ戦略はどこへ 脱原発と核燃サイクル 政策の矛盾と実現性は」 2012年10月19日 BSフジ
【キャスター】島田彩夏、反町理、小林泰一郎解説委員 【ゲスト】古川元久(前国家戦略担当大臣 衆議院議員)、田坂広志(元内閣官房参与 多摩大学大学院教授)
政府は2030年の原発比率を示した3つのシナリオを提示、7月から8月にかけて討論型世論調査を行ったり、パブリックコメントを集めるなど、世論の吸い上げを行った。そして政府の環境・エネルギー会議は先月、今後のエネルギー方針を記した「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめた。同戦略は“2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する”との目標を掲げながら、具体策になると原発の再稼働や核燃料サイクル継続の必要性を認めるという玉虫色の内容。さらに野田首相は、経済界や米国の強い反発に配慮し、同戦略を最終結論ではなく、議論のたたき台という位置付けにした。
一方で、原子力の安全規制を担う原子力安全規制委員会とその事務局である原子力規制庁が先月19日に発足した。委員長に就任した田中俊一氏は「原発再稼働の判断は政府の責任」との認識を示したが、野田総理は、「規制委員会が主導的な役割を果たす」と反論。原発再稼働を巡り責任の押し付け合いをしているようにも見える。
環境・エネルギー会議の座長を務めた古川元久前国家戦略担当相と、田坂広志元内閣官房参与を迎え、脱原発の行方 について考える。
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d121019_1
高木仁三郎 ウィキペディアWikipedia)より
高木仁三郎(1938年7月18日-2000年10月8日)は、日本の物理学者、理学博士(東京大学)。 専門は核化学。群馬県前橋市出身。父は開業医。
群馬大学教育学部附属中学校時代の同級生にSF作家の豊田有恒がいる。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。
政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク原子力資料情報室を設立、代表を務めた。原子力発電の持続不可能性、プルトニウムの危険性などについて、専門家の立場から警告を発し続けた。
特に、地震の際の原発の危険性を予見し地震時の対策の必要性を訴えたほか、脱原発を唱え、脱原子力運動を象徴する人物でもあった。原子力発電に対する不安、関心が高まった1980年代末には、新聞、テレビ等での発言も多かった。
地震による原子力災害への警鐘】
1995年、『核施設と非常事態 ―― 地震対策の検証を中心に ――』 を、「日本物理学会誌」に寄稿。「地震」とともに、「津波」に襲われた際の「原子力災害」を予見。
地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」 するとして、早急な対策を訴えた。
福島第一原発 について、老朽化により耐震性が劣化している「老朽化原発」であり、「廃炉」に向けた議論が必要な時期に来ていると (1995年の時点で) 指摘。 加えて、福島浜通りの「集中立地」についても、「大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」と 、その危険に警鐘を鳴らしていた
・『原発サイトには使用済み核燃料も貯蔵され、(中略) 集中立地が目立つ(福島浜通り福井県若狭、新潟県柏崎、青森県六ヶ所村など)が、どう対処したらよいのか、想像を絶する (中略) これから徹底的に議論し、非常時対策を考えて行くべき』
サンデー・フロントライン
・2011年7月3日 テレビ朝日 サンデー・フロントラインで特集された。

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サンデー・フロントライン 「発掘人物秘話 伝説の扉 反原発のカリスマ 高木仁三郎 2011年7月3日 テレビ朝日
【司会】小宮悦子 【コメンテーター】東京大学大学院教授 藤原帰一東京新聞論説副主幹 長谷川幸洋
特集 尾行に無言電話も・・・ 反原発のカリスマ 市民学者 高木仁三郎
http://www.tv-asahi.co.jp/s-frontline/
どうでもいい、じじぃの日記。
7/3、テレビ朝日 『サンデー・フロントライン』で特集「発掘人物秘話 伝説の扉 反原発のカリスマ 高木仁三郎」を観た。
こんなことを言っていた。
まだ終結の見えない福島第一原発の事故。ただ実はこの状況を今から16年前に指摘していた科学者がいます。
日本物理学会 1995年
●給水管の破断と緊急炉心焼却系の破壊
●非常用ディーゼル発電機の起動失敗
メルトダウンから大量の放射能放出
現在の状況を予見していた高木仁三郎さんです。2000年に62歳の若さでこの世を去った高木さんは世界に認められた核科学者でありながら、大学にも、企業にも属さず、市民で目線での活動を貫きました。
原発のカリスマ 市民学者 高木仁三郎
原発安全神話崩壊の今、注目される高木仁三郎の波乱の生涯を追いました。
東京都内で原発反対のデモのグループと一緒に行進している高木さんの映像が出てきた。
高木さん、(デモ行進中で)「プルトニュウムに未来はなく、未来を託すこともできない。可能な限りこのような活動を続けていきたい」
高木さん、(裁判所の前で)「こんな判決を書くのに十何年も何を費やしてきたのか。裁判所は」
原発運動の象徴的存在として、常に民衆と共に活動をしてきた核科学者 高木仁三郎。大学からも企業からも距離を置き、研究者として生きるのは茨(いばら)の道。しかし、仁三郎はあえてその道を選んだ。
自宅で、夫 仁三郎さんの遺影が飾られている前で妻の久仁子さんが話す。
久仁子さん、「自分でこうと思わないことをやっているような人生が一番いやだったと思うんですね」
(朗読)「実験科学者である私は、自らの社会生活を実験室として、農民や漁民の不安を共有するところから出発するしかないだろう」
ハンストやデモなど、その行動から反原発の活動家として見られることも多かった仁三郎。しかしその行動を支えていたのは科学への強い信頼と敬意だ。仁三郎が作り上げた「原子力資料・情報室」の共同代表 山口幸夫氏は仁三郎の素顔についてこう分析する。
山口さん、「クールな科学者気質だったと思う。理解はなかなか難しいかったと思う」
福島第一原発から約40km離れた海上から見た福島第一原発の建物の映像が出てきた。
(朗読)「原発サイトには使用済み燃料も貯蔵され、また集中立地が目立つ。福島浜通りのような集中立地点を大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」
まったく終息の見えない今の原発事故を16年も前に、的確に見抜いていたのは科学者として行った研究分析の当然の結果だった。
高木仁三郎 〜市民科学者が貫いたもの〜
小宮さん、(パネルを出して)「高木仁三郎さんは亡くなるまでこうした指摘を繰返していたんですね」
高木仁三郎氏の指摘 1995年 (日本物理学会誌からの要約)
●(原発)集中立地が目立つ福島浜通りなどを大地震が直撃した場合などの危険性
●故障が重なるとメルトダウンから大量の放射能放出に至る危険性
●老朽化原発(福島など)いつ廃炉にするか、具体的に議論すべき
      ・
1988年10月28日放送 「朝まで生テレビ!」のVTRの映像が出てきた。
「電源別耐用年発電原価」が書かれたパネルが出てきた。その中に水力、石油、石炭、LNG原子力の原価比較表が載っている。
東京電力原子力本部副部長、「それぞれのエネルギーのコストという耐用年発電原価で見るべきだ。原子力を進めてきたからこそ、原子力が石油に代替したからこそ、石油価格が下がって、逆転してきたわけです」
高木さん、「いろんな前提が入っているわけです。それをなしでそれをこの(パネルの)ように出すことがおかしい。たとえば、(廃炉にした後)何万年もの長い間の面倒をどうするか。こんなコストは全く入っていない。事故が起きた場合の損害賠償、保障の問題など。これを言わないというのはおかしい」
仁三郎がやり合っているのは、当時東京電力原子力本部副部長だった加納時男氏。加納氏は後に東京電力副社長を経て、自民党参議院議員となり、国の原子力政策を推し進めた、まさに原子力推進派の中心人物。
高木仁三郎死後、加納時男氏は語った。
「反原発を訴える学者で唯一尊敬できるのが高木仁三郎だった」(加納時男氏談)
      ・
(朗読)「考えられる事態とは地震とともに津波に襲われたとき。地域を覆うような大火に襲われたときなど様々なことがあげられる。そのような事態を想定して原発の安全や防災対策を論じることは避けられてきた。しかし考えうるあらゆる想定をして対策を考えていくことが、むしろ冷静で現実的な態度と思われる」
じじぃの感想
3.11の福島第一原発大震災以降、東京電力は「想定外」を何度繰返したことだろう。
東京電力には東京大学出身のエリートが大勢いるのだという。
この高木仁三郎とは比較すべき対象にもならない。
また、原発事故の後、70年安保で左翼から右翼に転向した者のように、態度をがらりと変えて反原発を言う学者や評論家がいかに多いことか。