じじぃの「なぜ東電役員は福島第一原発事故の責任をとらないのか?福島の謎」

原発のカリスマ 市民科学者 高木仁三郎 1/2 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=HWWKcdZ6XgE
加納時男氏 「放射線は健康にいい」発言について弁明 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FY4o0j1wqlA
東京電力元会長の勝俣氏ら旧経営陣3人をきょうにも強制起訴 福島第1原発事故の刑事責任追及 2016.2.26  産経ニュース
強制起訴されるのは、勝俣元会長のほか、武黒一郎(69)と武藤栄(65)の両元副社長。
議決を受けた東京地検の再捜査でも3人は再び不起訴となったが、検審が昨年7月に再び起訴を議決し、強制起訴が決定。東京地裁に選任された指定弁護士が捜査していた。
http://www.sankei.com/affairs/news/160226/afr1602260014-n1.html
2011年6月5日放送 NHK ETV特集 「暗黒のかなたの光明 〜文明学者 梅棹忠夫がみた未来〜」より
「電気新聞」(2000年)に「地球文明」というタイトルで関西電力会社会長と梅棹さんの写真と対談した記事が映像に出てきた。
梅棹は電力会社トップと行った対談の中でも、疑問を投げかけています。
関西電力会社会長、「軽水炉は基本的にフェイルセーフといって事故が起きてもちゃんと止まるようにするという考え方なんです」
梅棹忠夫、「なるほど。しかしね、民俗学の立場から言うと、人間というのは本当に何をするか分からない生き物ですよ。いろいろ手を尽くして完全に勉めても、それを裏切るようなことが起こる」
想定外。自然だけでなく、人間こそがとりもなおさず、予想外なことを引き起こす存在だと梅棹は見抜いていました。
人間が生み出した放射能により、町や村が一瞬にして人の住めない場所に変わってしまう。「文明との競争」に敗れた代償としてはあまりにも大きな痛手です。

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2011年7月3日、テレビ朝日サンデー・フロントライン』特集「発掘人物秘話 伝説の扉 反原発のカリスマ 高木仁三郎」 より
【司会】小宮悦子 【コメンテーター】東京大学大学院教授 藤原帰一東京新聞論説副主幹 長谷川幸洋
まだ終結の見えない福島第一原発の事故。ただ実はこの状況を今から16年前に指摘していた科学者がいます。
日本物理学会 1995年
●給水管の破断と緊急炉心焼却系の破壊
●非常用ディーゼル発電機の起動失敗
メルトダウンから大量の放射能放出
現在の状況を予見していた高木仁三郎さんです。2000年に62歳の若さでこの世を去った高木さんは世界に認められた核科学者でありながら、大学にも、企業にも属さず、市民で目線での活動を貫きました。
原発のカリスマ 市民学者 高木仁三郎
原発安全神話崩壊の今、注目される高木仁三郎の波乱の生涯を追いました。
東京都内で原発反対のデモのグループと一緒に行進している高木さんの映像が出てきた。
高木さん、(デモ行進中で)「プルトニュウムに未来はなく、未来を託すこともできない。可能な限りこのような活動を続けていきたい」
高木さん、(裁判所の前で)「こんな判決を書くのに十何年も何を費やしてきたのか。裁判所は」
原発運動の象徴的存在として、常に民衆と共に活動をしてきた核科学者 高木仁三郎。大学からも企業からも距離を置き、研究者として生きるのは茨(いばら)の道。しかし、仁三郎はあえてその道を選んだ。
自宅で、夫 仁三郎さんの遺影が飾られている前で妻の久仁子さんが話す。
久仁子さん、「自分でこうと思わないことをやっているような人生が一番いやだったと思うんですね」
(朗読)「実験科学者である私は、自らの社会生活を実験室として、農民や漁民の不安を共有するところから出発するしかないだろう」
ハンストやデモなど、その行動から反原発の活動家として見られることも多かった仁三郎。しかしその行動を支えていたのは科学への強い信頼と敬意だ。仁三郎が作り上げた「原子力資料・情報室」の共同代表 山口幸夫氏は仁三郎の素顔についてこう分析する。
山口さん、「クールな科学者気質だったと思う。理解はなかなか難しいかったと思う」
福島第一原発から約40km離れた海上から見た福島第一原発の建物の映像が出てきた。
(朗読)「原発サイトには使用済み燃料も貯蔵され、また集中立地が目立つ。福島浜通りのような集中立地点を大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」
まったく終息の見えない今の原発事故を16年も前に、的確に見抜いていたのは科学者として行った研究分析の当然の結果だった。
高木仁三郎 〜市民科学者が貫いたもの〜
小宮さん、(パネルを出して)「高木仁三郎さんは亡くなるまでこうした指摘を繰返していたんですね」
高木仁三郎氏の指摘 1995年 (日本物理学会誌からの要約)
●(原発)集中立地が目立つ福島浜通りなどを大地震が直撃した場合などの危険性
●故障が重なるとメルトダウンから大量の放射能放出に至る危険性
●老朽化原発(福島など)いつ廃炉にするか、具体的に議論すべき
1988年10月28日放送 「朝まで生テレビ!」のVTRの映像が出てきた。
「電源別耐用年発電原価」が書かれたパネルが出てきた。その中に水力、石油、石炭、LNG原子力の原価比較表が載っている。
東京電力原子力本部副部長、「それぞれのエネルギーのコストという耐用年発電原価で見るべきだ。原子力を進めてきたからこそ、原子力が石油に代替したからこそ、石油価格が下がって、逆転してきたわけです」
高木さん、「いろんな前提が入っているわけです。それをなしでそれをこの(パネルの)ように出すことがおかしい。たとえば、(廃炉にした後)何万年もの長い間の面倒をどうするか。こんなコストは全く入っていない。事故が起きた場合の損害賠償、保障の問題など。これを言わないというのはおかしい」
仁三郎がやり合っているのは、当時東京電力原子力本部副部長だった加納時男氏。加納氏は後に東京電力副社長を経て、自民党参議院議員となり、国の原子力政策を推し進めた、まさに原子力推進派の中心人物。
高木仁三郎死後、加納時男氏は語った。
「反原発を訴える学者で唯一尊敬できるのが高木仁三郎だった」(加納時男氏談)
(朗読)「考えられる事態とは地震とともに津波に襲われたとき。地域を覆うような大火に襲われたときなど様々なことがあげられる。そのような事態を想定して原発の安全や防災対策を論じることは避けられてきた。しかし考えうるあらゆる想定をして対策を考えていくことが、むしろ冷静で現実的な態度と思われる」

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『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 矢部宏治/著 集英社インターナショナル 2014年発行
被害者は仮設住宅で年越し、加害者はボーナス より
そうした被災者たちの憤懣は、事故の起きた2011年の年末、もっともグロテスクな形であきらかになりました。多くの被災者たちが仮設住宅で「どうやって年を越せばいいのか」と頭をかかえているとき、東京電力の社員たちに、なんと年末のボーナスが支給されたのです。
福島のなかでも、原発のすぐそばにある双葉町は、もっとも深刻な被害を受けた町です。その町民とともに埼玉県に疎開した井戸川克隆町長(当時)は、このニュースを聞いたときほど悔しい想いをしたことはなかったと語っています。
「被害者である福島県民が見知らぬ仮住まいのなか、放射能におびえ、毎日壁を掃除しながら不安な日々を送っているのに、どうして加害者であるはずの東京電力の社員たちが、ボーナスをもらってヌクヌクと正月の準備をしているのか」
「現在われわれは強制収容所に入れられているようなものだ。ただ食べ物とねぐらをあたえておけばいいというのでは、家畜と同じではないか」(2011年12月3日 「完全賠償を求める総決起大会」)

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じじぃの日記
2011年3月11日の福島第一原発事故以降、東京電力は「想定外」を何度繰返したことだろう。
「被害者である福島県民が見知らぬ仮住まいのなか、放射能におびえ、毎日壁を掃除しながら不安な日々を送っているのに、どうして加害者であるはずの東京電力の社員たちが、ボーナスをもらってヌクヌクと正月の準備をしているのか」
東電役員・社員のなかに、ボーナスを返上した人が一人でもいたのだろうか。