じじぃの「カオス・地球_330_日本人の精神構造史・はじめに・原発事故」

原発のカリスマ 市民科学者 高木仁三郎 1/2

動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=HWWKcdZ6XgE


友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ

http://www.cnic.jp/takagi/words/tomohe.html

すぐ忘れる日本人の精神構造史

【目次】

はじめに

序章 民俗学の視点で日本の歴史を見るということ
第1章 日本人のマインドは、縄文ではなく稲作から始まった
第2章 武家政権が起こした社会変化
第3章 信仰、道徳、芸能の形成
第4章 黒船来航、舶来好き日本人の真骨頂
第5章 敗戦、経済大国、そして凋落へ

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『すぐ忘れる日本人の精神構造史―民俗学の視点から日本を解剖』

新谷尚紀/著 さくら舎 2024年発行
生活が苦しくても「しかたがない」と我慢する、責任追及をせず問題点をふわっとさせたまま何となく進み、やがて忘れる――そんな日本人の思考や行動の傾向性は「稲作を土台に、律令制+荘園制+武家政権の時代」を経て培われてきたといえる。本書では日本の歴史の経歴、慣習の積み重ねを民俗学の視点から歴史を追跡することで、どうやってそのような日本人が育まれたのかを知り、これからの社会のあり方、日本人のあり方を考える。

はじめに より

いまの日本の「おかしさ」
現在の日本は、どうしてこんなにおかしくなっているのでしょうか。
異常なほどの燃料費の値上げ、ガソリン代や石油やガスの価格が高騰しています。電気料金も大幅に値上げされています。食料品の値上げも異常なほどです。原料費、燃料費、輸送費などすべてあらゆる生活用品にかかわるものが値上げされて、私たちの家計を強く圧迫しつづけてきています。

それを、2022年(令和4)2月24日からの、ロシアのプーチン大統領によるウクライナ侵攻の影響とする見方も、メディアの一部からはありました。しかし、原因は決してそれだけではありません。歴史を振り返ってみれば、それは明らかです。2013年(平成25)から安倍晋三(あべしんぞう)元首相のもとで黒田東彦(くろだはるひこ)元日銀総裁が進めたのが、異常な円安政策でした。国債の大量買い入れ、マイナス金利政策、日本の保有資金を国債市場に流しつづけて、円安維持の政策を10年間も続けてきた結果が現在なのです。燃料費や資材費などの輸入品価格の高騰が日本の経済を圧迫しているのは、あたりまえの結果です。

ふしぎなのは、こんなに消費生活が厳しい状態なのに、日本人の多くが、「まあしかたがない、頑張って耐えるしかない」というふうに思っているということです。その原因を考えてみればかんたんにわかることなのですが、ついそこにはみんな思いが及ばないようなのです。いったいなぜなのでしょうか。

ふしぎなことはほかにもあります。それは2011年(平成23)2月11日の東日本大震災の大地震と大津波の被害と、東京電力福島第一原子力発電所の水素爆発とメルトダウン、そしてその後の関係者の対応についてです。

原子力利用が危険であることは、物理学者なら誰でも熟知していることです。それを公開しながら慎重な活用をすべきなのに、それを隠して自己利益のために原発安全神話をつくってきた関係者が、政治・経済・学術、そしてマスコミの世界に多くいました。原発はCO2排出もなく、もっともクリーンなエネルギーと宣伝してきた人たちも多くいました。原発事故によりその嘘がバレたのに、その責任の所在を確認しようとする人がいないのです。

福島第一原子力発電所の大事故で大気中に放出された放射能の量だけでも、ヨウ素131が300PBq(ペタベクトル)、テルル132が310PBq、セシウム134が15PBq、セシウム137が15PBqでした。そのうちセシウム137の放射能半減期は30年です(今中哲二「福島第一原発事故放射能汚染――飯館村調査の7年間を振り返りながら」)。また、この事故で放出されたのは放射能だけではありません。原子炉でメルトダウン・溶融した燃料デブリを冷やすための大量の水や、建屋や原子炉などを通る雨水や地下水の中に含まれるセシウムストロンチウムやトリニチウムなど、さまざまな超危険な放射性物質を含む汚染水の処理という問題はいまも続いていて、きわめて深刻です。

そんなとき、自分の死の恐怖や家族への思いも超えて、その現場で文字通り懸命に対応を貫いた吉田昌郎(よしだまさお)所長をはじめとする現場の人たちの責任感、そしてその仕事と実績は、本来永劫に日本に住む人たちが決して忘れてはいけない、貴重な歴史の上での事実だったと思います。もし、吉田所長と、その考えと行動倫理を共有して働いたそのときの東京電力の現場の人たちがいなかったら、もし彼らが危険な現場から逃げだしてしまっていたら、いま東京を含めて、東日本の広い範囲で人々がふつうに生活できない放射能の汚染地区になっていた可能性が高いからです。

それにもかかわらず、このような地球規模の大事故に対して、日本ではいまもその責任を誰も取ろうとはしていません。
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原発事故という恐怖を体験したことであらためて明らかになった日本の社会の問題点とは、大事故であっても誰も責任を追及されない、誰も責任を取らない、そしてそれでいいと考えている、いまの日本人と日本の社会の現状です。もし、今後もまた同じ事故や失敗、いやもっと致命的な事故が起こっても、おそらく日本の人たちは誰も責任を取ろうとはしないのでしょう。

こういった日本社会のようすは、いまから約80年前の、戦争と敗戦という悲惨な歴史を思い起こさせます。日本だけでも310万人以上もの死者を出した太平洋戦争は、東京大空襲をはじめとする大都市や中小都市への爆撃や、広島と長崎への2発の原子爆弾などで国が焦土と化し、1945年(昭和20)の敗戦という結果に終わりました。

しかし、そのような残酷な戦争に向かう政策を進めた政治家や軍人たちへの政治責任を追及することなく、敗戦直後の東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣は「1億総懺悔(ざんげ)」という無責任な言葉によって、政治や経済の責任の所在をあいまいにして、国民みんなで懺悔しようと言ったのでした。自分たちの政権担当者に責任があったはずなのに、それを国民みんなの責任だとしたのです。「それはおかしい」と思った人たちは、当時いなかったのでしょうか。

太平洋戦争の悲惨さの極致は、1945年8月の広島と長崎への原爆の投下でした。広島の原爆死没者名簿を納めている石棺には、
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」
という日本語が刻まれています。その英文には”For we shall not repeat the evil”とされていますが、それは英文学専門の日本人の愛学教授の作文です。英文を母国語とする人の言葉ではありません。「過ちを繰り返さない」とありますが、その主語weが、戦争を始めた日本政府なのか、原爆を落としたアメリカ政府なのか、が明らかにしてありません。「安らかに眠って下さい」とありますが、そのように言うことのできる、責任ある主体とはいったい誰なのでしょうか。