じじぃの「人類の未来・暗黒のかなたの光明!梅棹忠夫がみた未来」

石巻市内駅近く3/21 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-EI649Vjx40&feature=related
シンポジウム「未来を探検する知のバトンリレー 人類の未来」 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LyK_IjRHw9s
特別展「ウメサオタダオ展」紹介ビデオ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=UFVEBdNQSdk
福島県疎開・避難問題について。- 2011.06.05 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=RDU2wM3D4OI
梅棹忠夫 Google 検索
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%A2%85%E6%A3%B9%E5%BF%A0%E5%A4%AB&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&prmd=ivnsulob&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=JZDsTbqEJpGSuAP90qDCDw&ved=0CEYQsAQ&biw=900&bih=555
200万年先人類の未来思い描き 梅棹忠夫さん未完原稿メモ初公開 2011.4.26 MSN産経ニュース
昨年7月に90歳で亡くなった民族学者で国立民族学博物館大阪府吹田市)初代館長の梅棹忠夫さんが生前、200万年先を思い描いて執筆しようとした未完原稿「人類の未来」の目次や小見出しなどを並べたメモ書き約100項目が見つかり、同館で開催中の「ウメサオタダオ展」で初公開されている。
展覧会に向け、同館所蔵の梅棹さんの資料を同館教授らが整理中に見つけた。
関係者によると、「人類の未来」の執筆については昭和40年代、出版社と企画を調整中に梅棹さん自らが「人類の未来について書きたい」と発案して始まった。しかし、結局未完に終わり、梅棹さんが描いた「人類の未来」は明らかにされないままだった。
今回披露されたのは、「人類の未来」のために作られた約100項目の小見出しを連ねた「こざね」。梅棹さんが創作する際に並べたとみられ、「地球的家庭論」「人間存在の目的」などのテーマが並ぶ。同展実行委員長の小長谷有紀・同館教授は「『環境』と『知的生命体』をキーワードに、未来の人類をやや悲観的に思い描いていたことが想像できる」と話す。
「環境」と「知的生命体」は、人類の現代から未来に通じるキーワードともいえ、改めて梅棹さんの先見性を示す資料として関心を集めている。
特別展では、梅棹さんの著作集にまつわる直筆原稿やスケッチ、取材ノートなど約500点を公開。6月14日まで。問い合わせは(電)06.6876.2151。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110426/art11042607520004-n1.htm
釈尊が説かれた「三車火宅の譬え」について教えてください 2010/7/27 Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1444296084
40年前の幻の名書。初公開★「人類の未来」梅棹忠夫、の目次紹介
http://creation.jugem.jp/?eid=3181
ETV特集 「暗黒のかなたの光明 〜文明学者 梅棹忠夫がみた未来〜」 2011年6月5日 NHK教育
【語り】中川緑 【番組案内役】作家・博物学荒俣宏
大阪に国立民族学博物館を創設、日本の民族学研究の礎を築き、比較文明学者として数々の業績をなした梅棹忠夫(うめさお ただお)が、昨年7月、90歳で亡くなった。梅棹は、大阪と生地京都を根拠地とし、世界中で学術探検を重ね、その知見をもとに戦後の日本社会に大きな影響を与えつづけた「知の巨人」だった。
20歳からはじまった探検調査は60か国以上。著作は生涯で240冊に及ぶ。斬新な文明論を展開した『文明の生態史観』(1957)、情報産業を文明史に位置づけた『情報産業論』(1963)、ベストセラーとなった『知的生産の技術』(1969)など、その先見性に満ちた著作は、今も多くの人々に読み継がれ、新たな発想の源となっている。
今春開催の「ウメサオタダオ展」(3/10-6/14国立民族学博物館)に向けて、梅棹の遺した資料が全面的に調査・整理された。その過程で、遺稿や映像、写真などの未公開資料も見つかり、その発想と活動の全貌を知ることができるようになった。
また今回新たに発見されたのが、未刊行におわり、幻の書ともいわれる「人類の未来」の資料だ。そこには、半世紀近く前に、地球規模のエコロジーの視点から、人類の行く末について数々の予言がなされていた。そしてその先に人類にとっての「暗黒のかなたの光明」を模索する梅棹の姿があった。
東日本大震災で、私たちの文明世界の価値観がゆらいでいるいま、番組では、梅棹忠夫と交流があった作家・博物学者の荒俣宏さんとともに、独自の文明論をもとにさまざまな予言をなした梅棹忠夫の未完の書「人類の未来」をめぐり、宗教学者山折哲雄さんや他の識者との対話もまじえて、梅棹忠夫から投げかけられている問いかけを考える
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605.html
どうでもいい、じじぃの日記。
6/5、NHK教育ETV特集』で「暗黒のかなたの光明 〜文明学者 梅棹忠夫がみた未来〜」を観た。
大体、こんな内容だった。 (手抜きしている)
宮城県石巻市の高台から市内の住宅地を見渡している荒俣さんの映像が出てきた。
先月、東日本大震災を被災地を訪ねた作家の荒俣宏さんです。
荒俣さん、「いかに津波が凄いか。ここは住宅密集地だったらしいけど、ほとんど跡形もないです」
巨大地震津波、そして原発事故。それ等を前に、現代文明はなす術もありませんでした。問われているのはまさに文明のあり方だと荒俣さんは感じています。
荒俣さん、「私は今、この光景の前で考えるのは、我々がこんなに信頼してきた文明がなぜこんなに脆くも破れ去ったということです。その現場を実は私たちは目撃してしまいました。まるでこの光景が文明と自然の関係、どうするんだという問い直しを迫っている。そういう現場だと思います」
実はかなり早い時期から、文明について考察した人物がおりました。梅棹忠夫という人です。彼は文明の未来を見通しながら、決してその先はバラ色の未来は待っているわけではなく、ひょっとすると、今私たちが目の当たりにしているこのような光景が起こるのではないかと予言した人物でもありました。
この梅棹忠夫はいったい何を言ったのか。そしてそこから私たちは何を学べるのか。もう一度、彼の思想を見直すべき時がきたのではないかと思います。
文明学者・民族学者 梅棹忠夫(1920〜2010)
文明学者 梅棹忠夫。戦後日本の文明学・民俗学を強力にリードし、去年90歳で亡くなった知の巨人です。
梅棹は半世紀に渡り、文明の未来について深く考察し続けました。
生前にテープレコーダーに録音された梅棹さんの声が出てきた。
「現在の未來学というのは、どのように考つつあるか。僕としてはだいたい悲観論。あかん」
1970年この発言をした当時、梅棹は一冊の本の執筆に取り組んでいました。タイトルは『人類の未来』。しかし、本は完成しませんでした。描こうとする未来があまりにも悲惨だったからと言われています。
梅棹が書き残した目次です。「暗黒」と記された最終章。しかし最後は「光明」という言葉で結ばれています。
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「電気新聞」(2000年)に「地球文明」というタイトルで関西電力会社会長と梅棹さんの写真と対談した記事が映像に出てきた。
梅棹は電力会社トップと行った対談の中でも、疑問を投げかけています。
関西電力会社会長、「軽水炉は基本的にフェイルセーフといって事故が起きてもちゃんと止まるようにするという考え方なんです」
梅棹忠夫、「なるほど。しかしね、民俗学の立場から言うと、人間というのは本当に何をするか分からない生き物ですよ。いろいろ手を尽くして完全に勉めても、それを裏切るようなことが起こる」
想定外。自然だけでなく、人間こそがとりもなおさず、予想外なことを引き起こす存在だと梅棹は見抜いていました。
人間が生み出した放射能により、町や村が一瞬にして人の住めない場所に変わってしまう。「文明との競争」に敗れた代償としてはあまりにも大きな痛手です。
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大阪府吹田市万博記念公園内にあるベンチで荒俣さんと宗教学者の山折さんが会って話している映像が出てきた。
日本人はなぜ梅棹の言う「文明との競争」に陥ってしまったのか。荒俣さんは山折さんの考えを聞きました。
山折さん、「大震災・津波の破壊とガレキの跡、ずっと続いている。あの現場に立って最初に頭に浮かび上がってきたのは、まさに地獄だ。あの賽(さい)の河原というのはこのような情景かと思いました。地獄にしろ、賽の河原にしろ、中世のイメージとして捕えていたわけだけど、それがものすごいリアリティをもってこの現代文明、我々の周辺に表れてきた。3.11の大災害になって言われることは、結局人間なんてのは自然の猛威の前にひとたまりもないということを思いました。・・・・」
この山折さんの話の中で、この地上にあるもので永遠なるものはひとつもない、形あるものは必ず壊れる、人は生きてやがて死ぬ という「無常観の3原則」。そして、西洋の自然は安定しているが、日本は地震津波とか自然が安定していない。こういう自然から西洋で近代科学が発達した。日本はその西洋の思想、科学を流用したことで一応成功した。しかし、西洋、特にゲルマン民族には「ノアの方舟」のような選民思想がある。それに対して日本には法華経の『譬諭品(ひゆほん)』に出てくるたとえ話で「三車火宅のたとえ」のような、論理を超えた情感を包括した東洋思想があるという。
自然への畏怖(いふ)を忘れることなく、文明を築き上げてきたはずの日本人。その伝統を逸脱して突き進むようになったのはそれほど昔のことではありません。何が私たちをそうさせたのでしょうか。
梅棹さんの「科学の本質」
文明によって自ら墓穴を掘ってしまうジレンマ。梅棹はその根本的な原因を考えました。注目したのが、現代文明を進歩させる原動力になった科学の本質です。
「人間にとって科学とはなにか。これはわたしはやっぱり『業(ごう)』だとおもっております。人間はのろわれた存在で、科学も人間の『業』みたいなものだから、やるなといってもやらないわけにはゆかない。いま現存する科学知識を全部消滅させることができても、人間はまたおなじことをやりはじめます。真実をあきらかにし、論理的にかんがえ、知識を蓄積するというのは人間の『業』なんです」 (『未来社会と生きがい』 1970年より)
人間が科学という業を持つが故に、文明は暗黒に向かうと予見した梅棹。梅棹がその業に気づいたのは世界の民族を文明の視点で調査してきた独特の研究の中からでした。
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テープレコーダーに録音された梅棹さんの声が出てきた。
「知能というのはばく進する性質がある。科学というものはそれによって支えられている。これは業や。こんなものは本当に性欲に非常によく似ているところがある。コントロールできひん。それは『お前ら子どもを作るな』というのと同じで、それはできひん」
知的探究心は業であるために制御することは不可能である。梅棹はこの事実こそが未来が「暗黒」にならざるを得ない根本的な原因だと考えるに至りました。
山折さんはさらに話を続ける。
西洋の思想は「ノアの箱舟」的救済の思想であり、それは多くの犠牲の物語の上に成り立つ選民思想である。しかし、日本人の中には数千年来培ってきた仏教の思想がある。今こそ仏教の教えを生かすべきときではないか。そしてそれが英知ではないかと。
梅棹が言う「光明」を私たちは見出すことができるのでしょうか。
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じじぃの感想
昔、梅棹忠夫著『文明の生態史観』を読んだ。
今回、テレビでこのような番組を観て、改めて梅棹忠夫さんの偉大さを再発見した。