じじぃの「団塊世代の高齢化!新興衰退国ニッポン」

統計局ホームページ/I 高齢者人口の現状と将来
図2 65歳以上人口の割合の推移の国際比較
http://www.stat.go.jp/data/topics/171-1.htm
平成20年版 高齢社会白書
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2008/gaiyo/html/s1-1.html
『新興衰退国ニッポン』 金子勝児玉龍彦/著 講談社 2010年発行
目前に迫る史上最大の波:団塊世代の高齢化 (一部抜粋しています)
事態は深刻である。介護保険に頼れない。救いだっ措置処理もなくなってしまった。子供は職と収入を得る為に、都会で働いている−−。
こうなると、老いた病人を介護するのは同じく年老いた配偶者だけだ。老老介護である。しかも介護はビジネス化し、市場原理の下、ひたすら費用削減だけが叫ばれる。結果として、老人が不自由な体にムチ打ちながら、在宅で要介護者となった配偶者のケアに当たることになる。
これは介護の在宅化ではない。介護の「密室化」「孤独化」にほかならない。そしてすべてに疲れ果て、絶望し、やがて配偶者を殺し、自分も後追い自殺をしようという人も現れる。それが老老介護殺人の実態である。
そして老老介護殺人とともに、孤独死も増えている。独居で介護が必要な人は自分を殺してくれる配偶者もいない。だれにも看取られず、独り部屋の中をのたうちまわり、挙げ句にひっそりと息絶える。人の一生としてこれほど寂しい死はない。何と恐ろしい光景だろう。
日本の介護はすっかり荒廃してしまった。人が生を終えるに当たって、安らかに死んでいける場所すら、今の日本は人々に与えることができないでいる。これでは長寿大国は台無しだ。長生きすることが苦しみになりかねない。長患いはしたくない。どうせ死ぬなら、ぽっくり逝きたい。そんな嘆きが巷に溢れるのも無理はない。その嘆きの中に、日本の衰退を感じる。
事態は深刻である。「図2 65歳以上人口の割合の推移の国際比較」が示すように、日本の高齢化は世界でも群を抜いている。2005年には65歳以上の人が人口の20%を超え、世界のトップになった。
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これからも日本の高齢化率は世界のトップでいく。世界の多くの国は日本のあとをついてくる。介護をめぐる制度の改革はもはや、待ったなしだ。特に団塊の世代の高齢化が目前に迫っている。この高齢化のピークをまずはどう乗り切るか? それが差し迫った課題として浮上している。その解決のためには消費税を含む税負担の増加だけでなく、これまで積み上げてきた年金の原資を一時的に取り崩す、という決断もしなくてはならないだろう。この波を乗り切ることが、日本の国民にとっての最大の課題となることを正面から見据えていくことが求められているのだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
『新興衰退国ニッポン』という本に「目前に迫る史上最大の波:団塊世代の高齢化」が載っている。
じじぃはタモリの下、たけしの上の世代だ。
昭和20年(1945年)に太平洋戦争が終わり、戦地から引揚者が昭和21年、ピークに達した。
昭和21年以降にお父さん、お母さんがせっせと頑張って生んだ子供の世代が「団塊の世代」である。
団塊の世代は昭和22年(1947年)〜昭和24年(1949年)に生まれた者をいう。
彼らが65歳に到達するのは平成24年(2012年)で、3,000万人を超える。
平成17年(2005年)には5人に1人が高齢者だったのが、平成27年(2015年)には4人に1人が高齢者になる。
団塊の世代の人々が65歳以上の高齢者になるころは、日本は4人に1人の高齢者社会なのである。
そして、日本の高齢者の比率は世界一なのだ。
戦後、高度成長を経験し、今、日本は成熟期を迎えた。
成熟期で迎えた日本の高齢者は、幸せなのだろうか。幸せなのではないのだろうか。