じじぃの「人の死にざま_351_キューブリック」

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2001 A Space Odyssey Opening 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=cWnmCu3U09w
2001 a space Odyssey :HAL doesn't want to open the door ! 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=JcNkMIwolKc
スタンリー・キューブリック ウィキペディアより
スタンリー・キューブリック(1928年7月26日-1999年3月7日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス生まれの映画監督。のちにイギリスに移住した。イギリス・ハートフォードシャーの自宅で心臓発作で息を引き取ったとされるが、正式な死因は明らかにされていない。
初期の頃より、監督のみならず映画製作全般にわたり、すべてを掌握する姿勢をとり続けた。「完全主義者」といわれ、特に晩年は映画製作に時間がかかることでも有名だった。
経歴
開業医を営むオーストリア=ハンガリー帝国に起源を持つユダヤ人の両親の長男としてニューヨークのブルックリンで生まれる。
SF三部作と呼ばれる『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』、『2001年宇宙の旅』、『時計じかけのオレンジ』の成功で世界の批評家から映像作家としての才能を認知される(正確に言えば、キューブリックはこの三作を『SF三部作』と呼んでいない上に三部作としての資料なども残っていないため、これは第三者の勝手な呼び方と考えられる)。
よく動くカメラ、大画面で深い奥行きの出る広角レンズの使用、『時計じかけのオレンジ』以降のカラー作品では自然光を利用した、あるいは自然光を模した照明も特徴で、自身並みの映画撮影者より遥かに安定した手持ち撮影が出来た。『ロリータ』以降の脚本、編集、選曲のいずれも独特なセンスと切れがあり、自作の公開に関して上映の劇場の地理的状況から上映システムに至るまでコントロールしようと努めている。日本での公開では字幕の翻訳も再英訳を校閲する方法で監修した。
12年ぶりの監督作品となった『アイズ・ワイド・シャット』の完成後、公開を待たずに心臓発作で死去。享年70歳。

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『字幕の中に人生』 戸田奈津子/著 白水社 1994年発行
映画はトータルで楽しみたい (一部抜粋しています)
スタンリー・キューブリック監督は究極の完全主義者といわれている。
自分の映画が公開されるときは、あらゆる国のポスターのデザイン、宣伝文句、宣材のすべて、フィルムの現像の焼き上がりチェックまですべてに目を通す。日本で印刷したポスターのある色が気に入らなかったときは、英国(彼はアメリカ人だが英国に住んでいる)で印刷させると言いだしたほどだ。
2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』など、過去の作品のほとんどは高瀬鎮夫さんが字幕をつけられていて、「キューブリックは字幕原稿の逆翻訳を要求する。バカげたことをなさる大先生だ」といつもボヤいておられた。その高瀬さんが亡くなられて、私に回ってきたのが『フルメタル・ジャケット』だった。
ベトナム戦争たけなわのころ、アメリカ国内の陸軍基地でしごきぬかれた新兵たちが、やがてベトナムの地獄へ送りこまれる。これだけで言葉の汚さは容易に想像できるが、ときに前半の鬼軍曹のしごきの場面がすさまじい。日本人の発想にはまったくないののしり文句を、次から次へ新兵に浴びせかける。
たとえばごく簡単な"Go to hell, you son of a bitch!"というせりふに「貴様など地獄へ堕ちろ!」という字幕をつけたとする。キューブリック感時はまず、文字どおりに英語に並べろと指示する。そのとおりにすると"You hell drop."となり、次に英語の構文にととのえると"You drop down to hell!"のようなことになる。
"Go to hell, you son of a bitch!"が"You drop down to hell!"になって戻ってきたら、キューブリック監督でなくても怒るだろう。
英語とフランス語のような祖先を共有し、いまも血縁関係を保っている言語同士ならともかく、英語と日本語のように、まったく異質の言語の間で翻訳;逆翻訳をやって、元の文章に戻ったらそれは奇跡である。
私は"a son of a bitch!"の気持ちには、「貴様」という、youとは違う日本語の呼びかけ言葉のなかに十分表現されていると思う。英語はyou1つ。日本語には相手を呼ぶ言葉がいったいいくつあるだろう。相手が男の場合、女の場合、子供の場合、大人の場合、目上の場合、目下の場合。根本的な言語の違いを考慮に入れず、逆翻訳の文字づらだけを見て、満足のゆくはずがない。
a son of a bitchは直訳すれば「メス犬の息子」「ふしだら女の息子」のことである。日本人がケンカの最中に「メス犬の息子め!」とどなったら、相手はたぶんキョトンとして、ケンカの気合は抜けてしまうだろう。日本人の観念のなかでのケンカの「場」のボギャブラリーは、貧困ではあるが「バカヤロー!」「こん畜生!」であり、それが怒りと挑発を表現する。
映画も同じである。観客が臨み、またなによりも楽しむのは、自分がそのドラマに感情移入して、ドラマにひたりきることである。ケンカの場面のa son of a bitchを「メス犬の息子め!」という聞き慣れない表現に訳して、一瞬なりとも客に「?」という戸惑いを与えるか、「このヤロー!」と抵抗のない表現に変えて、ケンカの場面そのもののドラマを楽しんでもらうか。私は十中八、九、後者を選ぶ。
フルメタル・ジャケット』ではa son of a bitchどころではない、あきれるほど卑劣でカラフルな侮蔑語やフレーズが機関銃のような早口で乱射される。監督はこれをすべて忠実に字幕にのせろと要求した。とても読み切れるものではない。画面の文字をひたすら追い、みみなれない表現にとまどう観客に、映画のほかの部分を楽しむ余裕がはたしてあるだろうか。
むろんシナリオは一語一句磨きぬかれたもので、どの言葉たりとも、なんらかの意味があってそこにある。
「ケツの穴でミルクを飲むまでしごき倒す!」という、一瞬目で追っただけではイメージが頭に入らない文章も、前後に間があって意味と咀嚼する余裕があれば、むろん訳したい。なんとすごい表現をするのだろう、とせりふの面白さに感心することもできよう。

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