エドワード・テラー - あのひと検索 SPYSEE
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Day at Night: Edward Teller, nuclear physicist 動画 YouTube
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IVY-MIKE -- FIRST HYDROGEN BOMB TEST 動画 YouTube
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エドワード・テラー フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
エドワード・テラー(Edward Teller)は、ハンガリー生まれでアメリカに亡命したユダヤ人理論物理学者である。アメリカの「水爆の父」として知られる。ローレンス・リバモア国立研究所は彼の提案によって設立された。
本来の専門分野では、原子核物理学、分子物理学などで多くの業績があり、代表的なものにヤーン・テラー効果やBETの吸着等温式がある。
スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』の、水爆好きのマッドサイエンティスト、ストレンジラブ博士のモデルの一人とされている。
【水爆開発】
1941年まで、ジョージ・ワシントン大学で教鞭を執り、そこでジョージ・ガモフに出会った。1942年ブリッグス委員会(Briggs committee)で働きながら、テラーはマンハッタン計画に参加する。第二次世界大戦中、テラーはロスアラモス国立研究所の理論物理学部門に所属し、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた超強力爆弾(水素爆弾)へと核兵器を発展させるべきだと強く主張した。1945年、ニューメキシコでの世界初の原爆実験(トリニティ実験)に立ち会い、「なんだ、こんなちっぽけなものなのか」と感想を述べたとされる。1946年にテラーはロスアラモスを離れ、シカゴ大学の教授になる。
1949年のソビエト連邦の核爆発成功の後、1950年テラーはロスアラモスに戻り、水爆計画に携わる。テラーは水爆を「マイ・ベイビー」と呼んでいたという。テラーとスタニスワフ・ウラムが実際に作動する水爆の設計を思い付いたとき、テラーは計画の長に選ばれなかった。テラーは再度ロスアラモスを去り、1952年、新たに設立されたカリフォルニア大学放射線研究所のローレンス・リバモア支部に加わる事になる。1954年、身上調査の審問を受けた際にテラーがロバート・オッペンハイマーを非難したことが元で、テラーとオッペンハイマーとの間の溝は広がることになる。
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『周期表でスラスラわかる! 「元素」のスゴい話 アブない話』 小谷太郎/著 青春文庫 2011年発行
元始、宇宙は単純だった 〜周期表1番目の水素の威力 (一部抜粋しています)
リチウムLiは周期表上最左翼のアルカリ金属で、同じ仲間にはナトリウムNa、カリウムK、ルビジウムRb、セシウムCs、フランシウムFrがあります。ただしこれらの仲間が生まれるまでにはあと数億年かかり、宇宙初期にはリチウムは唯一のアルカリ金属です。
アルカリ金属は反応性が高く、水と反応して燃えます。そのため単体金属は空気にふれないように保存しなければなりません。
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リチウムはあらゆる金属の中で最も密度が低く、水に浮きます。ただし水に浸けると前述のとおり燃え出します。経産省や金属鉱物資源機構はリチウムをレアメタルと見なしています。
用途としては、ノートパソコンに使われるリチウム・イオン電池が有名なのではないでしょうか。ただしリチウム消費の多くは電池ではなくガラスや冷媒吸収材用途です(ハイテクはしばしば原料を少ししか消費せず、レアメタルなどのハイテク材料の国内消費が昔ながらのローテク用途でほとんど占められるなんてことはよくあります)。
リチウムには水素を吸蔵する能力があります。同じ体積に水素ボンベ以上の水素を吸収できます。これの応用例で、宇宙初期の元素合成と関連あるものに、水爆があります。
水爆は水素の核融合反応を暴走させる装置ですが、普通の水素1Hではなく、重水素2Dを融合させます。宇宙初期の元素合成でも、重水素2Dは1Hよりの反応しやすく、さまざまな元素の合成に首を突っ込みます。
リチウムに重水素を吸蔵させた燃料に、核分裂爆弾で点火します。重水素が核分裂の高温の中で核融合を開始し、爆発にいたるという仕組みです。点火に核分裂爆弾を用いるタイプの水爆は、考案者エドワード・テラー(1908〜2003)とスタニスワフ・ウラム(1909〜1984)の名をとってテラー・ウラム装置といいます。
「水爆の父」・テラーは原水爆の「普及」に務めた人物です。1950年代の米国で。多くの科学者が原爆反対にまわる中、水爆の開発に尽力し、完成させました。死の灰の危険性を軽視し、核戦争を悲惨なものではないと考え、核兵器の土木工事などへの応用をさまざま提案しました。
たとえば核爆弾を使ってアラスカの海岸をえぐり、港を建設する「プロジェクト・テェリオット」を提案しましたが、このプロジェクトは途中で中止となり、周辺の住民とアザラシをほっとさせました・
ギリシャの王妃フリデリキに同様の提案をした時には、
「ご提案ありがとうございます。テラー博士。しかしギリシャには、廃墟はもう十分にありますので」
と返されたと伝えられます。
しかし1980年代、当時の大統領ロナルド・レーガン(1911〜2004)に核爆発を利用したミサイル防衛を提案した時には、レーガンはこれを本気にし、戦略防衛構想(SDI)、別名スター・ウォーズ計画を開始しました。ミサイル衛星、核爆発をエネルギー源とするX線レーザー、ビーム兵器などは実現しないまま、やがて政権は交代し、SDIはうやむやになりました。
核兵器を持てば、保有国どうしが戦争を回避するので、平和が保たれるという、いわゆる核抑止論を主張したテラーは、その「平和の意味を変えようとする生涯にわたる努力」に対してイグ・ノーベル平和賞を受けました。
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エドワード・テラー Google 検索
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