じじぃの「人の死にざま_346_米原・万理」

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アンナ・ポリトコフスカヤが死んだ 2006/10/10 JanJanニュース
ロシアのジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが何者かに殺された。彼女は、チェチェン戦争、チェチェンでのロシア軍による人権侵害など多くの問題を訴え、プーチンを糾弾してきたことで有名である。
http://www.news.janjan.jp/world/0610/0610092483/1.php
米原万里 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
米原万里(よねはらまり、1950年4月29日-2006年5月25日)は、日本の、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家。代表作は『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』『魔女の1ダース』『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』『オリガ・モリソヴナの反語法』など。
【生涯】
鳥取県出身の日本共産党常任幹部会委員(当時)・衆議院議員米原昶の娘として東京都に生まれた。
1983年頃から第一級の通訳として、ロシア語圏要人の同時通訳などで活躍。特にペレストロイカ以降は、ニュースを中心に旧ソ連・ロシア関係の報道や会議の同時通訳に従事。1990年エリツィン大統領来日にあたって、随行通訳を務める。1992年には同時通訳による報道の速報性への貢献を評価され、日本女性放送者懇談会賞(SJ賞)を受賞した。
死去まで日本ペンクラブ(会長・井上ひさし)常務理事。実妹のユリは作家・戯曲家の井上ひさしの妻である。
生前最後の著作は、『必笑小咄のテクニック』(2005年)。卵巣がんを患い、除去したが1年4ヵ月で再発。2006年5月25日に鎌倉の自宅で死去したことが、5月29日に報道されて明らかになった。享年56歳。

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『うちのめされるようなすごい本』 米原万里/著 文藝春秋 2006年発行 (一部抜粋しています)
身内の反乱者
X月X日
診断は卵巣嚢腫(のうしゅ)。破裂すると危険なので内視鏡で摘出することになった。「健康保険制度がないため入院費がバカ高いアメリカでは日帰りで済ませる手術です」と執刀医。「入院は5日で十分です。すぐ仕事に復帰できます」とも。それでも、術後は真夜中まで朦朧(もうろう)としていた。麻酔が切れかかったとき、母が危篤状態になったと知らされた。翌朝、車椅子を押してもらって母の病棟まで行った。回復不能なのに人工呼吸器が取り付けられた母の身体は温かく、手を握り締めていると涙が止めどなく流れてくる。
自分の病室にもどって、池田清彦著『初歩から学ぶ生物学』(角川選書)を開くと、次のような記述ばかりが目に飛び込んでくる。「私たちは、『なぜ生物はみな死ぬのだろうか』と疑問に思っている。ところが、これは大間違いで、生物は基本的には死なない」「システムそのものとしての生物は不死なのである」「死ぬのは人間の個体であり、人間にも細胞レベルでは死なないものがある」「生殖細胞の系列だけは細胞分裂を繰り返し、死ぬことはない」「もうひとつ人間が生き延びる方法がある。それは、がんになることだ。がんにかかれば死ぬと思われているが、そのがん細胞を培養してもらえば、がん細胞はけっして死ぬことはないため、ある意味では不死である」。35億年以前に発生した最初の生物はバクテリアで、無限に分裂するので原理的には不死身。「その死ななかった生物が、なぜか同じタイプの染色体が2個ずつある2nの細胞の生物になった途端に死にはじめる」「2nの細胞は、死ぬことができるようになってはじめて多細胞になることができた「死ぬのは厭だという人は、nの原生動物に戻ればいい」
著者独自のブラックなジョークに笑いつつ、母のことを思うと涙が溢れてくる。
「私たちタ細胞生物が心までももつような複雑さを獲得したこととひきかえに死を運命付けられた」「非常に複雑なシステムを延々と維持しつつ不老不死で生き延びることは、所詮ずうずうしい考えというほかない」
また笑ってしまう。
世界から忘れ去られたチェチェンという地獄
X月X日
「毎日、何十人もの負傷者がアタギに運ばれてきた。外科医のわたしですら、これほど凄まじい身体内部の損傷は見たことがなかった。大腸や小腸をはじめ、肝臓や生殖器がまるでひき肉のように潰されていた。どれもこれも殺傷性の高い破砕性爆弾によるものだった」
ハッサン・バイエフ著『誓い』(天野隆司訳 アスペクト)は戦火の中、知力体力の限りを尽くして負傷者の治療にあたったチェチェン人医師の自伝。人間味溢れるしたたかな快男子で、自身幾度も命を危険にさらしながら、ロシア兵、チェチェン人の区別なく患者を救うために全力を傾ける。拉致問題、虐殺などロシア軍による度重なる残虐行為にもかかわらず、チェチェン兵も女たちも負傷したロシア兵を憐れみ介護し、極秘裏にロシアへの帰還を助けているのがすごい。ロシアのテレビではチェチェン人がロシア人捕虜を虐待していると報道しているというのに。武力では劣っていても、人間として圧倒的に勝っている。
長老たちは、兵士が契約兵でない限り食物を与えることを許容している。「契約兵とは一定期間軍務につく契約に署名した特殊部隊の兵士、つまり雇兵であって、チェチェンで闘うために刑務所から釈放された犯罪者が多い」「彼ら雇兵には、人間性のかけらもなかった。彼等にとって、チェチェンは罪に問われることなく略奪や強姦を行える格好の場所だった」
まともに訓練も受けず、行き先さえ本人にも家族にも知らされずに派遣されてきたロシア兵は雇兵たちに虐待されていて、著者が彼等の脱走を助けるスリル満点な話も出てくる。捕虜となったロシア人軍医を逃したためにチェチェン人への裏切行為ともなだれ自身が処刑されそうになるが間一髪で助かる場面もある。敵と味方、生と死、地獄と奇跡が紙一重で反転する極源状態の中で、無数の出会いとドラマがある。迫力満点のブラック・ジャックチェチェン版とでもいおうか、手に汗握る連会に巻き込まれて一気に読了。
X月X日
「ポリトコフスカヤの本を訳しているのを知ったロシア人は『彼女はまだ生きていられたの?』と驚いた。翻訳者の三浦みどりがあとがきに書く『チェチェン やめられない戦争』(NHK出版)がようやく出た、と書いたところで、「学校占拠事件の交渉人に同行して現地に向かったポリトコフスカヤが毒殺の疑いで重態」というニュースが飛び込んできた。彼女の同僚が毒殺された前例がすでにある。
なぜプーチン政権は彼女をこれほどまでに怖れるのか。彼女は別に武装勢力に肩入れしているわけではない。命がけの取材で彼女が伝えてくれるのは、普通の市民の目で見た、戦争に翻弄されるごく普通の人々の姿だ。読み進む内に、国際社会から忘れられ無法地帯と化したチェチェンに生きる人々の苦悩と恐怖と絶望が迫ってくる。とくに頭にこびり付いて離れないのは、傷ついた幼い子供たちの姿だ。
「少年たちと私たちおとなの間を6歳ぐらいの男の子がこっそりと這っていく。痩せこけて悲しげだ。男の子は涙を流さず、わめきもせず、母親にしがみついているのでもなく、あたりを考え深げに見回しながらつぶやいている、『耳が聞こえないっていいなあ・・・・』。ごくあたりまえに、落ち着いて、普通の話題、『ボール遊びって楽しいなあ』と言うのと同じ口調で。その時『グラッド』ミサイルの攻撃が始まった。今回の戦争で、人びとの聴覚も命も乱暴に踏みにじっているもっとも怖ろしい兵器だ」
「グローズヌイ老人ホームの2階にある45号室に無口で小さな子どもが住んでいる。53人の老人たちと寄り添うように。女の子だ。4歳かもしれない。7歳かも。女の子は用人深い鋭い目つきで上目遣いにこちらを見る。まるでその動作は野生化した猫のようだ。いつも鉄製のベッドの下の、それも奥の方に隠れようとする」「調理場で料理人たちが鉄のひしゃくを落として大きな音を立てようものなら、必ずベッドの下に潜り込んだ。銃声が聞こえた時にはまるで脚を払われたかのようにあたりかまわず身を伏せてしっかり両手で頭を抱えた。身に染みついた動作だ」
                             (週刊文春 2004.9.16)

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