じじぃの「未解決ファイル_111_おしゃべりカケス」

Eichelhaher (Garrulus glandarius) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=BIig0z-EcrU&feature=related
自分の歌に酔いしれるインコ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=cumyPbzdB9k
『もの思う鳥たち―鳥類の知られざる人間性 セオドア・ゼノフォン・バーバー/著 笠原敏雄/翻訳 2008年発行
偉大なるロレンツォ――おしゃべりカケス (一部抜粋しています)
明らかに巣から転落して傷ついたカリフォルニアカケスのひなが、ナチュラリストロバート・フランクリン・レスリーのもとに届けられた。妻とともにレスリーは、親を失った野生動物のためのクリニックを開いていた。ふたりは、この小さなひなの旺盛な食欲を、点眼器を使って満たしてやりながら世話を続け、ひとまず健康を回復させた。メディチ家の当主にちなんでロレンツォと名づけられたこのオスのカケスは、レスリー夫妻の家庭で、「家族の一員として」、(近くでつがいの相手と新しい生活を始めるまでの)3年近くを自由に暮らした。
レスリー家で世話になっている間、ロレンツォは、入りたい時はいつでも入れる、出入り口が開け放たれたケージをあてがわれていた。その後、屋外に大きな鳥小屋がロレンツォのために建てられたが、この小屋も出入り自由になっていた。(とはいえ、保護ないし罰のまめに閉じ込められることも、時おりあった) 慣れるための期間が過ぎた後のロレンツォは、屋外と屋内で過ごしていた。毎夕30分ほどは、一家の居間で文字通りレスリー夫妻とのつきあいを楽しみ、夜になると、室内のケージの中か、きまった電灯の笠の上で眠った。
ロレンツォは、自分にとって大切に見えるものは何でも、特殊な音声や身体言語を使ってレスリー夫妻に伝えた。ロレンツォの身体言語は、体の各部位を動かすことに加えて、目の表情を変化させるものだった。レスリーは次のように報告している。「ロレンツォが意志を伝えようとするさいに示す能力が高く完璧なものであることは、見る者に強い印象を与えた。次々に変わる目の表情は、そこに好奇心や深い研究の跡、好き嫌い、意気込み、虐待されたという思い、怒り、落ち着かず退屈な感じ、そして時おりは、あからさまな嫌悪感があることを明らかに示していた。こうした表情は、ロレンツォが見せた日常的表現であった」
ロレンツォの身体言語には、次のような発言が含まれている。
●「[ケージや鳥小屋から]出して」――決まったつつきかたをしながら、ガラガラという声を出す。
●「飲みものがほしい」――金属的な喉頭音を出しながら、頭をひょいと動かす。
●「食べものはもういい」――後ずさりしながら、頭を上げ、奇妙な形で回す。
●「あなたに腹を立てている」――決まったやりかたで手をつつく。
●「それをください」――それとは別のつつきかたをする。
●「すみません」――ふつうは、相手の手を軽く噛(か)む。
●「行きたくない」――レスリー夫妻がロレンツォを呼んだが、自分がもっと大切だと思うことをしていたらしく、すぐには来なかった、というまれな場合にしか発したことのない奇妙な鳴き声。ロレンツォが「行きたくない」という発声をした後にも、レスリー夫妻が呼び続けると、ロレンツォは、別の聞き慣れない声をいつも出した。レスリーはそれを、「黙れ」のカケス版と解釈した。
同様に、音声と行動をさまざまに組み合わせることで、ロレンツォは、「ぼくのお風呂をここに置いて」とか「ぼくは遊ぶ準備ができてるけど、あなたはどう」などの要望を伝えた。禁じられたことをしようとして"こそこそ"抜け出す時や、プライドが傷つけられたため立ち去る時はともかく、ふつうの状況で別れる時に「さよなら」を言う場合には、独特の声音(こわね)を使った。
一度しか使ったことのない伝達手段は、まさにその時その場で工夫されたものだ。たとえば、「行って助けてあげて」とレスリーに伝えたことがあるが、その場合には、独特の「叫び」声をあげながら、レスリーの胸毛をひっぱって、巣から(かっての自分のように)落ちたひな鳥のところへ、レスリーを巧みに誘導した。
ロレンツォの理解力は、レスリー夫妻にとっても、ロレンツォと交流のあった他の人たちにとっても、驚くべきものだった。人間の笑いには複数の意味があることを、ロレンツォは明らかに理解していた。自分が真剣にふるまった時に笑われると腹を立てたが、道化師役を演じて笑われた時には喜んだからだ。
また、"所有権"という概念や考え方も理解した。それは、自分の所有する20数個のおもちゃの動静に、いつも目を光らせていたからだ。(ロレンツォのおもちゃには、たとえば、トイレットペーパーの芯がある。ロレンツォはそれを、くちばしと両翼とかぎ爪を巧みに利用しながら、上に乗って前進させるスクーターとして遊びに使っていた) ロレンツォは、それぞれのおもちゃがいつも自分が置いているところにあるかどうか、毎日チェックしていた。そして、なくなったものがあると、たちどころに叫び声をあげ、それを取り戻すまで、夫妻のどちらかの手をつついて不満を訴え続けた。
ロレンツォは、「ルールのあるゲーム」という概念も理解していた。それはレスリー夫妻を巧みに誘導して、3種類のかくれんぼを一緒にしようと誘ったことからもわかる。それらのかくれんぼは、それぞれのルールが違っていた。それは、夫妻がロレンツォのおもちゃをひとつ隠して、ロレンツォがそれを見つけるというもの、ロレンツォが隠れて、夫妻がロレンツォを見つけるというもの、夫婦が隠れて、ロレンツォが夫妻を見つけるというもの、の3種類だ。驚くべきことにロレンツォは、近くにいる多種の数羽の鳥を巻きこんで、何種類かの"追いかけっこ"も計画した。そのそのうちのひとつでは、「アルミの輪を[リレーのバトンのように]くわえているあの鳥を追いかけろ」というのが、そのルールになっていた。ロレンツォは別のゲームもいくつか考え出し、練習を重ねるにつれ、どのゲームもますます上達した。
ロレンツォは"みんなで歌う"という考え方も理解していた。クラシック音楽は静かに聴いていたが、(エルビス・プレスリージョーン・バエズのような)ソロ歌手の場合には、それをまねて一緒に歌ったからだ。
ロレンツォは"人づきあい"の意味を理解していた。毎晩30分ほどレスリー夫妻と一緒にいて、レスリー夫人の首にくっついてキスをしたり、くちばしやかぎ爪でレスリーのあごひげをとかしたり、夫妻の肩に乗ってクークー鳴いたり、目を半ば閉じてふたりに"やさしく語りかけ"たり、ささやいたり、その日に起こった好奇心をそそる出来ごとについて、発声と身体言語を使って時おりふたりに話そうとするなど、一連の社交的な行動をしていたからだ。(レスリー夫妻は、その背景画わかっていた場合には――つまり、その日の早いうちに、自分の鳥小屋が2頭の犬に壊されたなどのゆゆしき事件を目撃していた時には――ロレンツォのパントマイムのような伝達内容がはっきり理解できた)
罰を与えられて鳥小屋に閉じ込められた時、ロレンツォは釈放してもらおうとして、大切なおもちゃをレスリー夫妻に差し出した。こうした行動から、"保釈料"という概念を理解していたことがわかる。また、"取り引き"という考え方も理解していた。訪問者の指輪やブレスレッドや宝石類を引っ張り、それからすぐに自分のおもちゃをひとつ取りに行って引き返すと、訪問者にそのおもちゃを渡しながら。目をつけていた宝飾品をもう一度引っ張ったからだ。訪問者たちは、ロレンツォがそれを一時的に借りるだけで、おもちゃと引き換えに返してくれるはずだと思い込み、自分たちの貴重品を、ロレンツォのおもちゃと"取り引き"した。ところが、ロレンツォは訪問者たちの貴重品を絶対に返さなかった。この事実からすると、どうやら自分のおもちゃよりも訪問者の貴重品のほうがほしかったということらしい。、レスリー夫妻はいつも、それらを回収して返却しなければならなかった。
ロレンツォはスリの早わざの重要性も承知していた。訪問者の貴重品が"取り引き"で手に入らなかった時には、プロのスリが基本としている実用的行動指針――相手の注意がそれている時を狙って、貴重品をすばやく手に入れるという原則――に従って、それを手に入れた。ロレンツォは、3人の訪問者がいれば、そのうちのひとりに対しては耳たぶを引っ張り、もうひとりに対しては髪をくしゃくしゃにし、残るひとりに対しては、その服のえりに食後のミントをつける。3人の注意がそれぞれそれた隙(すき)に、サッと舞い降りて、目当ての貴重品をひったくるのだ。
ロレンツォの行動は、"援助"や"分配"という概念を理解していることも示していた。ロレンツォはレスリーを先導して救い出させた、成鳥になりつつある別種のオス鳥と2ヵ月ほど共同生活していたが、その間に、食物や就寝用ケージやおもちゃをその鳥と分け合った。また、夫婦くな子どもたちを抱える母リスに、自分の食べものを分け与えるという行動を活発にくりかえしていた経過も観察されている。また、「ひそかな復讐」の意味を理解していることも、その行動から示されている。2羽の(ロレンツォをつついて、食物を奪ったことのある)カラスが巣を飛び立ったのを見たロレンツォは、すばやくその巣に直行し、中の卵をころがして下に落とした。それから、自分のケージに戻り、レスリーを呼んで鍵をかけさせ、後でカラスが犯人を探しに来た時には、何と寝ていたふりをしたのだ。
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ロレンツォがつがいのメスとかかわりをもつようになった最初の数週間は、そのメスが屋外の鳥小屋にいるロレンツォを定期的に訪問した時、2羽は、たえず発声し、互いに早口でまくしたてたり"ぺちゃくちゃ"しゃべったりしながら、あれこれと"話して"いるように見えた。ロレンツォはつがいの相手と意味のあるやりとりをしていたのだろうか。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ときどき、テレビ朝日ナニコレ珍百景』を見るが、インコとかオウムが歌を歌ったり、飼い主と会話したりするのが出てくる。
感心しながらも、彼らはお脳が小さいのだから、いわゆるオウム返しをやってんだろうなと思って見ていた。
『もの思う鳥たち―鳥類の知られざる人間性』の本の中にひなから人間の手で育てられたカケスの観察日記のようなのが載っている。
ロレンツォは、「ルールのあるゲーム」という概念も理解していた。
ロレンツォは"みんなで歌う"という考え方も理解していた。
ロレンツォは"人づきあい"の意味を理解していた。
ロレンツォはスリの早わざの重要性も承知していた。
ロレンツォの行動は、"援助"や"分配"という概念を理解していることも示していた。
この本の中にこんな記述がある。
大多数の人には、小さなものに知識や意識があるはずがないという思い込みが、深く浸透している。人間と同じくらいの、あるいは人間よりも大きい哺乳類――チンパンジー、イルカ、クジラ、ゾウ――なら、ある程度は知的な意識をもっていると思うかもしれないが、鳴禽類のように小さな生物が知的意識をもっていると考えるのは、非常に難しい。
「小さな脳」にまつわる虚偽
次の3段論法に基づいている。
大脳皮質は知能の座だ。
しかし、鳥の大脳皮質は非常に小さい。
したがって、鳥にはごくわずかな知能しかない。
この本には鳥の他にもゴリラ、チンパンジー、イルカ、クジラ、アリ、ミツバチなどにも記述がある。
特にアリについて多くのページを割いている。
アリの学習能力も、やはり驚異的だ。研究室で行われた実験では、アリが、10ヵ所もの袋小路をもつ難しい迷路の通りかたを覚え、4日後にテストされた時にも、それを記憶していたのだ。
著者は「認知比較行動学」の学者である。
この本は今までの西洋史観を覆すものである。
人間がこの地球の生態環境をズタズタに壊しているのを知るとき、いかに今までの西洋史観が間違っていたかがわかるというものであろう。