Lorenzo's Oil (1992) Official Trailer #1 - Susan Sarandon Movie HD
Oleo de Lorenzo - ALD
Lorenzo dies - 24 years on
7 Jun, 2008 nzherald.co.nz
His was the moving story of an American boy afflicted with a rare and disabling disease, whose parents would not give up in their search for a cure for him.
https://www.nzherald.co.nz/world/lorenzo-dies-24-years-on/T4MEO2PQHVFOQIGTBMLCW3FALE/
『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』
鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行
ロレンツォのオイル/命の詩 より
難病の息子を救うため治療法発見に奔走したオドーネ夫妻に映画公開後、非難が殺到
「ロレンツォのオイル/命の詩」は、不治の病に侵された1人息子を救うため奮闘する銀行員の夫とその妻の姿を、実話に基づき描いた作品である。静かに死を待つしかないという意見が大半のなか、夫婦は独学で治療に効果のあるオイルを考案。結果、息子は劇的な改善を見せるのだが、映画公開後、そのオイルを巡って夫婦は痛烈な批判にさらされる。
1978年5月、イタリア系アメリカ人の銀行員、オーギュスト・オドーネ(当時45歳)と、妻ミケーラ(同39歳)の間に待望の長男、ロレンツォが産まれる。
健康に何の問題もなく育ったロレンツォに異変が生じるのは1983年秋、5歳のとき。学校で突然友だちに大声を上げたり、不自然な転倒を繰り返すようになった。
心配したオドーネ夫妻がロレンツォをワシントン小児科病院に連れていったところ、医師は「副賢白質ジストロフィー」(ALD)の診断を下す。これは、先天的な脂質代謝異常によって脳にダメージを加える難病で、行動異常、無言症、失明、剥離などを経て2年以内に死亡するのが通例だった。
1983年当時、ALDの治療法は皆無で、大半の医師がさじを投げる状況だった。映画でも描かれるように、症状あどんどん悪化し植物状態になったロレンツォが発作で悶え苦しみ、その様子を為す術がなく見つめる両親の姿は痛ましい限りだ。
オドーネ夫妻は決意する。医師が見放すなら自分たちで息子を救う方法を探すしかない。
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さっそく2人は国立衛生研究所の図書館に通い、ALDの脂肪酸代謝に関する文献を読みあさる。当時まだインターネットを普及しておらず、全て手作業だった。
それから28ヵ月が過ぎた1987年夏、彼らは、たまたま見つけたポーランド語の動物実験論文をヒントに「オリーブオイルから搾り出した酸を投与すれば改善する」という仮説を打ち立て、ある食用工場で精製。これをロレンツォに飲ませ、血中脂肪酸値の低下に成功する。
さらに夫婦は研究を重ね、エルカ酸とオレイン酸の混合物に治療効果があるのではないかと思いつき、イギリスの老医師を口説き落とし精製に成功する。これが、後に「ロレンツォのオイル」と呼ばれる治療薬だ。結果、ロレンツォは簡単な意思表示や、絵本や音楽を楽しむまでに回復する。劇中では、このオイルによって救われたと思しき実際の患者たちの姿も映し出され、大きな感動とともに映画は終わるのだが……。
映画公開後、ALDの子供を持つ多くの親が、ロレンツォのオイルを争うように求め、我が子に投与し始める。当時、オイルは1リットル1千ドルの高値だったが、親にしてみれば藁にもすがる思いだった。が、実際にこのオイルがALDの症状改善に効果を示す例は少なかったようで、映画公開の翌年1993年、イギリスの権威ある医学雑誌が「ロレンツォのオイルは無効である。医学は映画のように簡単にはいかない」という論文を発表すると、世間はオドーネ夫妻に対して「いかさま」「詐欺師」と容赦無い批判を浴びせるようになる。映画で期待を持たれた分、失望も怒りも大きかったのだ。
四面楚歌の状態に置かれた彼らを支えた医師がいる。映画でロレンツォに食事療法を提案するものの、オイルの投与には最後まで反対し続けるALDの世界的権威。劇中ではある意味「悪役」として描かれていたため仮名だったが、実在のALD研究者にヒューゴ・モーザーがその人で、彼はオイルの臨床作用には消極的だったものの、オドーネ夫妻の研究を高く評価し、映画公開後は一貫して夫婦を擁護。2005年には、「ロレンツォのオイルはすでに症状が進行した患児には無効だが、血中VLCFA値が高値を示す子供の発祥予防や症状軽減には有効」という画期的な論文を発表。オドーネ夫妻の汚名返上に貢献する。
2007年7月、母親のミケーラが肺がんで死亡。ロレンツォは翌2008年5月、30歳でこの世を去る。直接の死因はALDではなく肺炎だった。なお、北米では現在、スクリー二ングによってALD発症前の患児を見つけ、早期から「ロレンツォのオイル」を投与して発症予防を行うプログラムが進められている。
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