じじぃの「人の死にざま_312_シャンポリオン」

ジャン=フランソワ・シャンポリオン - あのひと検索 SPYSEE
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カルトゥーシュ 画像
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ロゼッタ・ストーン 画像
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Jean-Francois Champollion 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Hn9ylQ5e8mU
ロゼッタ・ストーン フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ロゼッタ・ストーンロゼッタ石、Rosetta Stone)は、エジプトのロゼッタで1799年に発見された石碑である。
3種類の紀元前の文字で書かれており、最後の文字は古代ギリシャ語であった。3種類の文字で同じ内容が書かれていると推測され、何人もの学者が解読を試みた。最初にトマス・ヤングがファラオ名など固有名詞の解読に成功し、ヤングのアプローチをヒントに、最終的にジャン=フランソワ・シャンポリオンによって解読される。
現在は、イギリスの大英博物館で展示されている。

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ジャン=フランソワ・シャンポリオン フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ジャン=フランソワ・シャンポリオン(Jean-Francois Champollion、1790年12月23日-1832年3月4日)は、フランスの古代エジプト学の研究者。ロゼッタ・ストーンを解読し、ヒエログリフ古代エジプト象形文字)を解明したことで知られ、「古代エジプト学の父」と言われている。
1790年、フランスのロット県フィジャックに生まれる。少年時代から非凡な語学的才能を示し、9歳でラテン語を話したという。20歳までにラテン語ギリシア語、ヘブライ語、アムハラ語、サンスクリット語、アヴェスタ語、パフラヴィー語、アラビア語、シリア語、ペルシア語、中国語などを習得していた。コプト語などの東洋語に対する関心を持っており、発見されたばかりのロゼッタ・ストーンをイゼール県知事だった数学者ジョゼフ・フーリエに見せてもらって以来、そこに書かれている文字(ヒエログリフ)の解読に取り組み始めた。
1809年、グルノーブル大学の歴史学助教授となる。1822年、ヒエログリフの解読結果をパリ学士院で発表した。1824年から1826年までイタリアに滞在。トリノ美術館から古代エジプトパピルスと芸術品を相当数提供してもらったことにより、精力的に研究活動に取り組む。1828年1830年に、長年の夢であったエジプトへの調査旅行を果たす。その後、パリに戻り、コレージュ・ド・フランス古代エジプト学教授となった。しかし、1832年3月4日、41歳でパリで死去し、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。功績を称えて、小惑星(3414)のシャンポリオンが彼に因んで命名されている。

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『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行 (一部抜粋しています)
ロゼッタ・ストーンの解読
1799年、エジプトのロゼッタ付近で塹壕(ざんごう)を彫っていたフランス兵が黒色玄武岩の石板を見つけた。これがロゼッタ・ストーンであり、神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字、それに古代ギリシャ語が刻まれていた。内容は3つとも同じものと思われ、古代ギリシャ語をかぎにして解読の作業が進められた。1822年に至って、フランスの若い学者シャンポリオンヒエログリフの解読に成功した。
ロゼッタ・ストーンの秘密のもっとも肝要な部分はすでにシャンポリオン以前の学者によって解かれていた。それはエジプトの文書で王の名前を書くときに用いられる楕円形の囲みに入っているのがプトレマイオスの名前だということであった。シャンポリオンは、その単語のヒエログリフをそれに相当するギリシャ文字に対応させていった。P、L、Oに当たる文字については、ファイレのオべリスクにあるクレオパトラを表す囲みで確認できた。これを手がかりとして、さらに他の王の名前から、次々に解読可能な文字を割り出していったのである。

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ヒエログリフ解読史』 ジョン・レイ/著 田口未和/翻訳 原書房 2008年発行
よみがえる古代エジプト (一部抜粋しています)
飽くことなく探求を続けたシャンポリオンは、パピルスの断片などに記された歴史をどのように再構築していったのだろうか。出発点はトーマス・ヤングと同じだった。ロゼッタストーンギリシャ語部分に見つかる名前を、バンクスが持ち帰ったオベリスクに刻まれていた「プトレマイオス」や「クレオパトラ」とわかった名前と比べたのだ。こうしてシャンポリオンヒエログリフのアルファベットの大部分を知ることができた。そしてヨーロッパに次々と届きはじめていたエジプトからのほかの碑文の写しを用いて、さらにその幅を広げることに成功した。
とくに役立ったのが、古代にはテーベの一部だったカルナクの巨大な神殿の模写や文字の型押しで、プトレマイオスといくつかのローマ皇帝の名前がそこに見つかった。シャンポリオンはデモティク部分に現れる文字についても同じように照合していった。こちらはギリシャ語部分に登場するさまざまなギリシャの名前が、順序どおり現れることが多かった。シャンポリオンが『ダシエ氏への書簡』で自信たっぷりに発表したのは、このヒエログリフとデモティクのアルファベットについてだった。
しかし、シャンポリオンが自信をもった本当の理由は、『ダシエ氏への書簡』には書かれていない。20文字ほどのアルファベットは出発点にすぎなかった。こうしたアルファベットはギリシャの人名など外来語を表すのに役立ったろうが、それでは、それ以外の数百、数千ものヒエログリフの記号は何を表すのか? 明らかに、これらはアルファベットではない。
しかし、若いシャンポリオンはすでに、残りの文字をいかに解読するかについての鍵を手にしていた。アカデミーでの会合の1週間前、カルナクの神殿が彼に大きな秘密を差しだしていた。これまでに見つかったなかではもっとも規模の大きい円柱広間の壁や柱の上に、4つの記号を組み合わせてできたカルトゥーシュが繰り返されていた。Θ∋пп (「カルトゥーシュ Google 検索」参照の事)という形のものである。これは王の名前である可能性が高く、ギリシャ人がこの国を支配しはじめる以前の時代の人物であることはほぼ間違いなかった。しかし、そのうちの誰の名前なのだろう。どこから解読を始めたらよいのだろうか?
シャンポリオンが直面したこの問題を理解するには、文字表記の成り立ちについて考えてみるのが助けになるだろう。イギリスのウォーバートンや、デンマークからイタリアに移住したゾエガが、初期の文字の形成段階に関心を寄せていたことについては、すでに述べた。シャンポリオンは彼らの理論についてよく知っていたが、さらに先に進む必要があった。
文字の発達は基本的には3つの道筋のどれかをたどる。「絵」と「語呂合わせ」と「合成文字」である。自然界のものを絵に描くことが文字の始まりとなるのが一般的だが、一般的であるからといって、表したものの意味がすべて正確に伝わったわけではない。鳥や魚や三日月の絵は、どんな言語を使おうとも、すぐにその言葉を思い浮かべさせる。しかし、もっと複雑なものになり、人がパンダに向けて矢を放っている絵なら、伝えるメッセージの幅は広くなる。そのメッセージの定義は時代や場所によって変わってくるのだろう。「私はパンダを仕留めた」にもなれば、「運よければ、私はパンダを仕留められるかもしれない」、「パンダが葉を食べてしまうまえに仕留める」など、さまざまな意味にとらえることができる。パンダと矢で射ることに関係することなら何でも可能なのだ。絵に描かれているものは自然界に存在しているものに対応しているので、絵が意味をもつことはわかるが、状況と詳細はあいまいなまま残る。絵を描いた人がどこかに移動してしまえば、その人が正確に何を意味したかについては推量するしかない。
絵で表現できない言葉についてはどうだろう。「信仰」や「信頼」などの概念は絵で伝えるのはむずかしい。ヴィクトリア時代の画家たちが好んだ複雑な寓意表現などを用いなければ無理だろう。そうした寓意画でさえ、実際のところ解決策にはならない。そこで登場するのが「語呂合わせ」だ。「信仰」(belief)は絵で描くことはできないが、「蜂(bee)」と「葉(leaf)」を並べて描くことはできる。この方式では、絵はその意味する言葉ではなく、音声価値のために使われているのであり、その結果として、特定の言語においてのみ意味を伝えられることになる。つまり、蜂と葉を並べても、フランス語やドイツ語では「信仰」を表すことができない。この音声的要素がヒエログリフにも見られ、おそらく最初期の文字として知られるイラク南部の楔形文字でも使われている。中国語にも同じものが見られる。そう考えると、古代世界では、音に由来する語呂合わせという考えが、ひとつの文明から別の文明へと伝えられ、発生源はひとつの場所だったという可能性が出てくる。
ところが、同じ方式がメキシコのマヤの碑文にも見られる。私たちが知るかぎり、マヤ文明はほかの古代文明とは接触をもたなかったので、マヤ人はその方式を独自に編みだしたことのなる。おそらく語呂合わせの文字というものは、人間が共通して思いつくものであり、文字を発達させたすべての社会に見ることができるのではないだろうか。最近のことになるが、私はポストゲート(Postgate)という友人の誕生会に招かれた。誕生ケーキは門(gate)の上にポスト(post)を描いた絵で飾られていた。この方法は家紋に利用されることもある。たとえばバートン(Burton)という名前は、アザミ(burr)の乗った樽(tun)で伝えることができる。ここでは、絵が象徴的な目的を達成することになる。もしあなたがバートンという名前なら、これを紋章に使うことができる。
同じように、「女王の地位」(queenship)という言葉は、完全に抽象的な概念なので、絵を通して伝えるのは不可能だ。しかし、英語にかぎって考えれば、「王冠をかぶった女性」の横に「船」の絵があれば、うまく伝えることができる。最初の「王冠をかぶった女性」は、女性の支配者という概念を伝え、表意文字と呼ぶことができるが、「船」のほうはこの場合、shipという音の価値のためだけに使われている。シャンポリオンはカルナクのカルトゥーシュの中に、これと同じような絵文字の結びつきを見つけ、それがヒエログリフの特徴であることを知った。
この語呂合わせの原則を論理的に拡大すると、文字の絵としての側面が完全に忘れられることになる。シャンポリオンが引きだそうとしたヒエログリフのアルファベットの中にも、ある程度その傾向が見られる。たとえば、差しだされた手は単純に「d」の音を表し、手に似たように見える形は偶然にすぎない(エジプトの「手」を表す言葉は、もとはこの音を含んだいたが、やがてまったく異なる言葉が「手」を表すようになり、絵と音の結びつきはずっと昔に失われてしまった)。
ヒエログリフ象形文字の要素を強く残しているが、デモティク文字となるとすっかり抽象的に形に変わっている。私たちが現在使っている26文字のアルファベットも、その象形文字の起源はすっかり失われてしまっているが、もとは一連の絵文字で表されていたもので、おそらくはエジプトヒエログリフが基礎になったと思われる。しかし、エジプト文字で使われていた音価ではなく、自分たちの言語により近い、ヘブライ語から派生したセム語か、シリアかパレスティナのどこかで話されていた同様の方言の音価のほうを採用した。この場合は。絵文字の全体ではなく、絵が表す言葉の最初の音だけをとる、頭音法と呼ばれる法則を使っている。たとえば、雄牛(セム語で雄牛はaleph)の頭の絵が「a」の音を伝えるために使われ、波打つ水(セム語で水はmayim)が、「m」になった。大文字の「A」は、上下さかさまにすると、今でもその起源になった雄牛の頭に少し似ているように見える。小文字の「m」も、水が波打っているように見えなくもない。しかし、私たちはこうした成り立ちについてはほとんど知らず、アルファベットの絵的な要素について考えることはない。私たちにとって、26文字それぞれの音は習慣で使うだけのものになっている。
文字の発達における第3のアイデアは、絵文字の合成だった。これは複雑な概念を表すために絵記号を結びつけたもので、通常は音声要素とは関係ない。「信頼」という概念は絵で伝えることは不可能だが、中国人はこの問題を解決するために、「人」の横に言葉を意味する「言」の文字をおいて表した(「言」の字は、もとは口から言葉が現れる様子を絵にしたもの)。「信」は"言をたがえない人(約束を守る人)"を表すために絵を組み合わせたもので、それぞれの絵が表す言葉のもつ音とはまったく関係がない(この例では、中国語の「信」の字の発音は、「人」「言」をつなげた発音ではない)。漢字の組み合わせとその並べ方が、意味を伝えるのである。
理論的には、この種の合成文字は話し言葉とは独立しているので万国共通のものだ。たとえば、「ドライクリーニングのみ」「犬は禁止」「壊れもののガラス」「このピーナッツにはナッツが含まれるかもしれません」といったメッセージを世界の誰が見てもわかる形で伝えるために、包みや容器の上にこうした絵記号が使われることがある。実際には、こうした象徴的記号は意味があいまいになることが多く、結局は製造元に対して、メッセージをきちんと言葉で明記するように望むことになる。合成文字が初期の文字の発達段階で、語呂合わせほど多く使われなかったのはこの理由のためかもしれない。しかし、ヒエログリフには絵記号の組み合わせを使った部分がときおり登場し、ここでもまた、そのことに最初に気づいたのはシャンポリオンだった。

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ジャン=フランソワ・シャンポリオン Google 検索
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