Phoenicians 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hLHNh4caX4Y
海の商人がつくった地中海の楽園 3/26(日)『世界遺産』「イビサ 生物多様性と文化(スペイン)」【TBS】 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lKEZo6aLU9w
海の商人 フェニキア人
フェニキア文字
上段がフェニキア文字、下段がアルファベット
THE世界遺産 「イビサ 生物多様性と文化」 2017年3月26日 TBS
【ナレーター】藤原竜也
●3000年前の海の商人“紫の人”
イビサ島に高度な文明を持ち込んだのがフェニキア人。
地中海の東の果て、現在のレバノンから海に乗り出し、耐久性に優れた木材や、当時珍重されたカイムラサキで染めた絹を輸出し、地中海交易を支配した。
ムーレックスと呼ばれる巻貝。イビサ島、フェニキア人の集落の貝塚から大量に見つかりました。この貝、食用ではなく、貝からわずかに採れる紫の色素で、絹を染めました。フェニキアとは、ギリシア語で「紫の人」という意味なのです。
スペイン・イビサ島の幾何学模様の遺跡。最古の「海の商人」、フェニキア人の集落跡です。フェニキア人は地中海全域の交易を担いましたが、残った遺跡は少なく、ここはとても貴重なのです。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20170326/
『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行
ソロモン神殿の崩壊 より
BC950年ごろ、エルサレムの大神殿を作ったのはソロモンである。ヘブライ人の神を祭るこの壮大な神殿に雇われた職人は、ほとんどシリア人とフェニキア人だった。ソロモンの宮殿と神殿の建立は、ヘブライ人の国勢と威信の頂点であった。
しかしそのあとで国の衰退が始まり、イスラエルの12支族は2つの王国に分裂した。多数派は、サマリアに首都を置くイスラエル王国に拠った。しかし南のユダ王国は、首都、聖都としてエルサレムを擁し、ダビデとソロモンの正統な後裔をもって任じた。
ヘブライ民族はやがて、アッシリア、バビロニアの2大勢力にはさみうちにされる格好になった。サマリアは、BC722年、アッシリア王サルゴン2世の攻略倒れ、イスラエル人2万8000万人が流刑に処された。彼らが、のちにいう”失われたイスラエルの10支族”である。サマリアの人工補充のために、アッシリアは他国の流刑囚を移した。この移住民と追放を逃れたイスラエル人が結婚して生まれた子孫が『聖書』に記された、”よきサマリアびと”である。
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『ヒッタイト帝国―消えた古代民族の謎』 ヨハネス・レ-マン/著、内野隆、戸叶勝也/翻訳 佑学社 1979年発行
楔形文字と象形文字 より
純然たる象形文字大きな長所を持っているが、絵による言葉の多くは非常にたくさんの符号に広がることを恐れて、中国語とは別の道をたどった。
つまり絵記号に音標記号をあてはめたのであった。エジプトの象形文字は、今日でも女、男、目、水などのように、すぐわかる絵からできているが、音標記号をあてはめる場合には、決定的なことだが、そこに表わしている意味とはもはや関係がなくなる。たとえば雄牛の頭の絵は、もはや雄牛を意味せず、雄牛にあたる単語<Alef>は<A>で始まるので<A>の音を表わす。家は<Bait>なので<B>の文字を表わす。したがってこの両方をいっしょに書けばABとなり、我々がフェニキア人から取り入れたように「アルファベット」となる。
個々の符号をさまざまな音のために選択するという、我々ドイツ人にとっては当たり前の方法によって、実際文字の数は自然と制限された。しかし短所としては、文字は言葉に結びついているし、その言語を話せる人にしか理解されないことである。つまり私は、troisとかthreeとかがどんな意味か習わなければならなくなる。
象形文字を読むということは多少雑な判じ絵を解読するようなものと思ってはならない。エジプト人は首尾一貫していなかったから、事は本質的に複雑なのである。同じ絵記号が1つの本分の中で異なった役割を持っていることがある。一方は、花の絵が花を意味するように実際その物を表わしている。しかし他方多くの場合、その絵は個々の子音あるいは子音のつながりを表わす音標記号として使われている。たとえば、「農耕用の鍬」が描いてある場合は、実際の農耕用の鍬を意味することもあるし、同時に「愛する」という意味にもなる。なぜなら、農耕用の鍬を意味する話し言葉が、愛するという語を意味する子音のm-rからできているからである。
さらに読むときの補助手段として絵記号と音標記号の他に、書かれているだけで読まれない、いわゆる限定記号が考案された。それは子音が同じ意味内容のものが混同されるのをさけるために使われた。たとえばm-n-hという語はパピルスの草、青年、蝋という3つの意味を持つが、このm-n-hがなにを意味するかによって、その概念を明らかにするために植物、男、あるいは鉱物の象形文字が描かれたのであった。したがって同じ絵記号でもその本来の意味を表わしたり、1つの音標記号を意味したり、時には限定記号としてまったく無声の存在にもなる。
このことに気がつくまでは、当時の言語慣習にしたがって、象形文字は「読めないもの」とされていた。ところがフランスのシャンポリオンは1822年に2ヵ国語で書かれた碑文(特にロゼッタストーン)から、プトレマイオスとクレオパトラという2つの名前を読むことに成功し、その結果だんだんと象形文字の解読にも成功していった。
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紀元前2000年代にメソポタミアで発達した楔形文字は、今では信じられないことだが、エジプトの象形文字と同じ絵文字から発生した。
それはユーフラテス左岸のウルクで見つかった絵文字で最も古い有名な文字である。裂けたアシを使い、うまく記号が刻めるように湿った粘土を使ったため、渇いてだんだんと尖った形になったのである。それによってこの文字の名前となった特徴的な「くさび形」が発生したのであった。
楔形文字は構造がエジプトの象形文字にとても似ていて、絵記号、音標記号、(無声の)限定記号と同じような記号を用いている。ただ楔形文字には、子音だけでなく音節も表わせるという違いがある。つまり母音も書き表わせたのである。
原理は同じであったが楔形文字の解読には長いことかかった。1802年、ドイツの言語学者グローテフェントが数人の支配者の名前を読み、最初の鍵を見つけたが、その後やっと1860年頃になって楔形文字を使っているいろいろな言語を読むことが可能となった。今日多くの言語がラテン文字のアルファベットを使っているように、当時シュメール、アッカド、エラム、ヒッタイト、古代ペルシャ、及びその他の諸民族が楔形文字を使っていた。
このいわゆるバビロニア−アッカドの楔形文字は、発端が同じであるにもかかわらず、純粋な字母に発展しなかった。一方ペルシャの楔形文字は、やっと紀元前500年頃になって、ついに字母と音節文字が融合し41の文字(36の音標文字と5つの限定文字)が発生するに至った。それは楔形文字で書かれた唯一の純粋なインド・ヨーロッパ語である。
楔形文字は、象形文字と同じように、時がたつうちにその煩雑さから、純粋な音標文字を切り離してしまった。象形文字草書体(いわゆる民衆文字)の最後の手紙は紀元前470年頃のものである。その間にフェニキア人は、最初から字母アルファベットを使う新しい書き方をすでに「発見」していた。
ヒッタイトは固有の象形文字を持っていた。それは記念碑(ハマトの石のように)や封印のように、特に祝い事のために使われた。しかしヒッタイトは彼らの固有の言語を書き表わすために、バビロニアアッカドの楔形文字をも使っていたのである。