じじぃの「未解決ファイル_99_視覚」

The evolution of the human eye - Joshua Harvey 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qrKZBh8BL_U
Blind man sees wife for the first time in a decade - here's how 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O51vis2iLGo
Trippy Eye Trick 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=wBL4hRoqRWY
NHKスペシャル 「生命大躍進第1集 そして"目"が生まれた」 (追加) 2015年5月10日
【番組ナビゲーター】新垣結衣
今から約5億年前、それまで目を持たなかった祖先が突如として精巧な目を持つように進化しました。
5億500万年前、カンブリア紀の海は命溢れる世界でした。地球に生命が誕生してから30億年以上もの長い間、生命はずっと目に見えないサイズの微生物にとどまっていました。ところがカンブリア紀に突如大きく複雑な姿をした動物へと進化しました。この動物時代の幕開けに王者として君臨したのがアノマロカリスです。左右に突き出た2つの複眼は一度に360度見渡せます。目は生き残りに欠かせない武器となっていました。
DNAの研究が進んでいます。植物と動物のDNAが合体して植物の光センサが動物にもたらされた。そして、目は第2の進化、くっきり見えるカメラ眼を手に入れました。
DNAが4倍になったことが、進化の大躍進を支えている、DNA研究の成果が紹介されます。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0510/
坂上忍のホントにすごい雑学2 2015年4月5日 フジテレビ
【出演】坂上忍澤部佑(ハライチ)、石原良純、おのののか、カンニング竹山岸博幸篠原ともえ松嶋尚美間宮祥太朗三船美佳
知って得する!誰かにきっと言いたくなる!
そんな「雑学」の数々を「インパクトのある映像」で紹介していくこの番組。
▽盲目の男性を救った感動の雑学
サングラス部分で撮影された映像の信号をコンピューターで脳に伝達していたのです。
アレンさん、「スゴイ! 見えるぞ!」
結婚10年目にして初めて妻の顔を見た!
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/150405zatsugaku/
サイエンスZERO 「シリーズ五感の迷宮(1)錯覚から迫る視覚、錯視の謎」 2010年4月30日 NHK教育
【司会】安めぐみ、山田賢治 【語り】土田大 【ゲスト】クロースアップマジシャン 前田知洋大阪大学大学院生命機能研究科教授 藤田一郎
私たちはどうやって見ているのか? その問いにヒントを与えるのが、視覚に関する錯覚「錯視」。見ていると色や見え方が変化する錯視から、見るために作り上げられた脳のしくみがわかる。錯視が起こるのは脳がミスをするのではなく、経験によって作られた脳のルールが働いていることを示している。また錯視を知ることは、ヒトの歴史を知ることにもつながる。新シリーズ「五感の迷宮」第1回は、錯覚を通じて視覚の謎に迫る。
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp303.html
『見る―眼の誕生はわたしたちをどう変えたか』 サイモン・イングス/著 吉田利子/翻訳 早川書房 2009年発行
眼が見るということ (一部抜粋しています)
1777年、フランツ・アントン・メスメル(1734〜1815)はマリア・テレジア皇后の宮廷顧問ヨーゼフ・アントン・フォン・パラディスの娘マリアの視力を回復しようと試みて、恐るべきトラブルに見舞われた。マリア・フォン・パラディスがどうして視力を失ったかは−−2歳から5歳までにだんだんに見えなくなった−−わからない。一般には、彼女の失明は「心因性」ではないかと言われている。つまり眼にも視神経にも脳の視覚中枢にも悪いところはなく、失明は解離性障害の産物だろうという。要するに(身も蓋もない言い方をすれば)原因は心にあったということだ。そう考えると、メスメルの成功も納得できる。現在なら、彼が「動物磁気」と呼んだものを上手に応用したというその治療法は明らかにインチキ療法の気配があるとされるだろう。だが残されている資料からして、メスメルは真剣だったようだ。メスメルのライフワークは、信仰療法に科学的根拠を与えることだった。彼が失敗したとしても、それは興味深い失敗であって、後の研究者に医学的な暗示の力(「プラシーボ効果」)を示すものだった。
メスメルが会った時、マリアは音楽の才能豊かな18歳の少女で(メスメルの友人モーツアルトは、ピアノ協奏曲変ロ長調をマリアに捧げている)テレジア皇后のお気に入りだった。メスメルは(ごく控えめに言っても)暗示の力でマリアの心因性失明のカギを開けることができて、彼女はしばらくは視力を回復したかに見えた。それから何が起こったかは諸説あり、しかも話は後になるほどドラマチックになっていく。一説では、マリアが盲目であるために家族は年金を支給されていたから、母親が無理やりにメスメルから引き離し、娘を張り倒して言うことをきかせたので娘はまた見えなくなったという。母親がほんとうにこれほど性悪(しょうわる)だったとすれば、失明の原因も推測できると想像力豊かな向きは思うかもしれない。言葉にできないような、激しいトラウマを残す出来事が、心因性視覚障害のひき金になる場合も多いからだ。また別の説では、メスメルが18歳の患者を誘惑したことになっている。これはあり得なかったことではなさそうだ。伝記によるとメスメルは真に知的で働き者であると同時に、倫理的信頼よりも歪んだ賞讃に突き動かされやすい軽薄者でもあったらしい。だが、この説も先の説と同じく根拠に乏しい。どちらも信じないにこしたことはなさそうだ。
それよりも興味深いのは、それまでの10年にマリアを治療しようとして成功しなかった医師たちがメスメルに浴びせた敵意のほうではないか。どこまでが嫉妬に起因するにしろ、彼らの苦情は公的文書に記載されたまじめなもので、そのわかりやすさが破壊的だった、メスメルが主張するようにマリアが見えるようになったなら、どうして彼女は何も見分けることができないのか? どうして彼女はものの名を言えないのか? メスメルはマリアの視力を回復させた、あるいは見えると暗示をかけたが、マリアは見えてもどうしていいかわからなかったようだ。結局、非難の応酬に決着をつけたのは、「そのような無意味なこと」はやめなさいという皇后の静かな言葉だった。メスメルは失望してウィーンを去ってパリに向かい、マリアはまた盲目になった。
マリアはそのほうがよかった。再び5歳のころから慣れ親しんだ音の世界に集中できるようになったマリアは著名な作曲家、演奏家となった。少なくとも5つのオペラとカンタータやリート、それにたくさんのピアノ曲を作曲している。いちばん長い欧州演奏旅行は3年に及んだ。わたしは彼女の失明を残念だと思うが、それは晴眼者の偏見だろう。盲目の読者なら、当時の女性としては大変に成功し、数々の作品を残し、あちこちを旅した自立した女性の生涯に惜しむべきことは何もないと考えるかもしれない。
メスメルの悪名や後世の者が向ける偏見、それに宮廷の派手なひがみ混じりの噂話、新聞がにぎやかに書き立てた記事などに隠されているが、マリアのケースは貴重な、そして典型的な事例だった。奇跡的に視力を回復したマリアは、盲目のほうが良かったと認めたのだ。治療の効果があがるにつれて、マリアはこう言ったとメスメルは記している。「どうして、わたしは前よりも幸せではないのでしょう? 見るものはすべて不快な気分をもたらすのです。ああ。盲目のころのほうがずっと楽でした」。リチャード・グレゴリーとジャン・ウォレスの感動的な報告書「幼年期の盲目からの回復」にはマリアとよく似た物語が記されている。
この2人のケンブリッジの研究者は、1906年生まれで生後10ヵ月で失明したS・Bという男性について語っている。S・Bは52歳のときに角膜移植で視力を回復した。グレゴリーとウォレスが記録したのは、S・Bの視力回復と視覚的記憶を育もうとする努力、そしてそれまで知っていた世界と、新しく開かれた眼で見た色とかたちが織り成すわけのわからない世界を関連づけようとする苦痛に満ちたプロセスである。2人はまたS・Bの鬱状態や、元気で積極的な盲人だった彼が自信のない不機嫌な晴眼者になったことなどを記している。「彼の物語はある意味で悲劇的だ」と2人は言う。「彼は非常に大きなハンディを負っていたが、元気に明るく暮らしていた。そのハンディが奇跡的に取り除かれたかに見えたとき、彼は安らぎと自尊心を失った」
S・Bは靴修理を習い覚えていた。グレゴリーとウォレスは、初めのころ、には楽しいのではないかと考えてロンドンの科学博物館に連れていった。ガラスのケースのなかにねじ切り旋盤が展示されていた。それはたS・Bがよく知っていて、自分も使えたらと願っていた機械だ。
  彼は旋盤を見ても、一番手前にあるのはハンドルだろうという以外には、何を言えばいいかわからないようだった・・・・彼は刃や材料の金属などがよく見えないと不満そうで、落ち着かなく見えた。わたしたちは館員に頼んで、S・Bが触れるようにケースを空けてもらった。すると驚くべきことが起こった。彼はたくみに手で旋盤をなでまわし、横軸の送りハンドルに触れて、これがハンドルだと自信ありげに言い、それからサドル、旋盤床、主軸台などに進んだ。彼は目を閉じて熱心に両手に触れていた。そのあと、旋盤から少し離れて目を開けた彼は、「触ったから、これで見えるようになった」と言った。
わたしたちは身体的な存在だ。子どものころに手で触れてものを覚え、触角と視覚的経験を関連づけて、視覚世界をどう解釈すべきかという個人的なルールを作り上げていく。長年眼を使わないでいたら、盲人の脳は色とかたちと奥行きと動きの世界を解き明かすことはできないだろうし、成熟して経験を積んだほかの感覚に遅れた視覚が「追いついて」1つに統合されると簡単に考えるべきでもないのだろう。
視覚障害を適切に治療としようと思えば欠かせない、しかし心乱されるある実験では、発達の重要な段階で仔ネコから視覚的刺激を奪ってしまう。このネコは決して適切に見ることを覚えられない。不運なネコに起こったことは、同じように人間にもあてはまる。いまに至るまで、幼いときに失明して後に視力を回復した人は、視覚的世界を十分に楽しむことができない。そのすべてが、少なくともある程度までは「盲人」の技術に頼らざるを得ないのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
6/3、再放送だったがNHK教育地球ドラマチック』の「ヒトの“視覚”はこんなにスゴイ!」を観た。
人間の脳は何らかの形で「視覚」と70%ぐらい関係しているのだそうだ。
モノを見て判断することは2つの眼からの情報と今までの学習による脳の複雑な仕組みで行っているのだ。
「小さなものや遠くにあるものは、網膜上では同じように小さく見える。しかし、我々は小さな顔を見たとしても、顔が小さいと知覚することはなく、顔が遠くにあるように知覚する。このことは、『顔というものは実際にはこの程度の大きさのはずだから、網膜上で顔が小さいということは遠くにあるのだろう』という推論を我々が無意識的に行っているのである」
番組の中に3歳で目が見えなくなり、大人になって目の手術によって目が見えるようになった人が出てきた。しかし、目が見えるようになったからといって、普通の人のように目で判断はできない。
視覚に関する錯覚を利用したトリックが出てきた。
錯覚が起こるのは脳がミスをするのではなく、経験によって作られた脳のルールが働いている。
リチャード・ワイズマンの視覚トリックマジック。すべてのトランプの裏地の色が一瞬にして赤→黒に変わってしまう。
番組の中ではテレビは連続してやっているようだが、実はトランプの裏地の色が変わる前と後はテレビの映像は連続していない。
トランプが変わったのではなく、前と後では周りの色が変わっていてあたかもトランプの色が変わって見えるというもの。「視覚の遮断効果」というのだそうだ。
前田知洋のカードマジックもそんなことしているのかしら。