じじぃの「人の生きざま_35_J・ワトソン」

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Dna Molecular Biology Visualizations - Wrapping And Replicat 動画 YouTube
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ジェームズ・ワトソン フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ジェームズ・デウィー・ワトソン(James Dewey Watson, 1928年4月6日 - )は、DNAの分子構造における共同発見者の一人として知られる、アメリカ出身の分子生物学者である。ワトソン及び、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスらは、「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」に対して、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
シカゴ大学卒業後、米インディアナ大学大学院で生物学を専攻。
グアニン (G) と シトシン (C)、アデニン (A) と チミン (T) の4つの塩基とデオキシリボース(糖)とリン酸基の分子模型を用い、DNA構造の研究をしていた際に、ロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折の写真をモーリス・ウィルキンスから紹介された。このX線回折のデータを参考にして、フランシス・クリックらと議論の末、DNAの二重らせん構造を発見した。そのことが後の分子生物学の飛躍的発展に繋がり、彼はクリックやウィルキンスと共に1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
【議論と批判】
優れた業績の反面、問題発言が多いことでも知られる。また、経歴に関する幾つかの疑念が指摘されている。
2007年10月14日、「黒人は人種的・遺伝的に劣等である」という趣旨の発言が英紙サンデー・タイムズ一面に掲載された。同紙によるとインタビューにおいてワトソンは「アフリカの将来については全く悲観的だ」「(我々白人が行っている)アフリカに対する社会政策のすべては”アフリカ人の知性は我々と同等である”という前提で行われているが、それは間違いである」「黒人従業員の雇用者であれば、容易にそれを納得できるだろう」などと語ったという。

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TIMEが選ぶ20世紀の100人〈上巻〉指導者・革命家・科学者・思想家・起業家 徳岡孝夫/訳 1999年発行
分子生物学者】ワトソンとクリック 【執筆者】ロバート・ライト (一部抜粋しています)
1953年2月28日、フランシス・クリックは英国、ケンブリッジのパブ『イーグル』に入ってくるなり、「われわれは生命の秘密を突き止めた」と告げた−−ジェームズ・ワトソンは回顧して語っている。実際、彼らは生命の秘密を発見していたのだった。その朝、ワトソンとクリックはデオキシリボ核酸(DNA)の構造を突き止めていたのだ。そしてその構造−−自分自身のコピーを作るために「ジッパーを外す」ことができる「二重らせん」−−によってDNAが生命の遺伝情報を伝える物質であることが確認された。
その時解き放された独創的な力が、数十年後の遺伝子工学の時代になって生き生きと輝き出す。しかし、その最初から、ワトソンとクリックにはトラブルを招くような過剰な自信の徴候が表れていた。ワトソンによる著名な回想録『二重らせん』に書かれているように、それは最善のない野望、権力に対するいらだち、反響に対する、軽蔑の物語だった(「科学者のうちのかなりは」とワトソンは説明する。「視野が狭くて鈍いだけでなく、単なるばかだ」)。にもかかわらず、ワトソンとクリックの物語は、崇高な共同作業の記録でもある。同僚のひとりが言ったように、「ふたつの知性の素晴らしい共鳴−−1足す1が、2ではなく、10となるような最高の状態」の例だった。
ふたりはある意味では不釣り合いなコンビだった。イギリス人のクリックは35歳で、まだ博士号を持っていなかった。12歳年下のアメリカ人のワトソンは、シカゴ大学を19歳で卒業し、22歳でやすやすと博士号を取っていた。しかしふたりは、境界を超えることを異に介さない、ある種の放浪癖というものを共有していた。クリックは物理学から化学と生物学に移っていた。「生物と無生物の間の」境界線に魅せられていたのだった。ワトソンは初め鳥類学を学んだが、ウイルス学のために鳥を見限り、欧州で学位取得後の研究をしている時に、もうひとつ大きな方向転換をした。
ナポリの学会でワトソンは、エックス線結晶学の成果であるぼんやりとしたDNA分子の写真を見た。DNAは、遺伝子を作っている物質かもしれないと言われていた。「これが生命の謎を解き明かすカギかもしれないと思ったら、DNAを頭から締め出すことができなくなった」と彼は後に書いている。また「あえて自説を唱えないような、くすぶった学者として生きていくより、自分が有名になるところを想像した方がずっとましだった」とも。
栄光の追求、DNAの構造を解明した暁に約束されているノーベル賞、化学者ライナス・ポーリングとの競争−−これらをテーマにしたワトソンの著書は、控えめなクリックには不満だった。ノーベル賞などどちらの口からも出た覚えはないとクリックは言う。また「わたしの印象としては、ただ何と言うか、問題を解こうと懸命になっていただけなんだ」と彼は後に語った。しかし目的が何であったにせよ、ワトソンとクリックはDNAに魅せられており、ケンブリッジ大学の研究室で出会った時から、ふたりはチームを組んだ。
ワトソンとクリックの間の友情に近いものが、このロンドンのキングズ・カレッジの研究室に存在していたら、運命は違ったものになっていたかもしれない。その研究室では、ロザリンド・フランクリンという女性が、世界一はっきりしたDNAのエックス線回析写真を撮っていた。モーリス・ウィルキンスという同僚がやはりDNAの研究をしていたが、フェミニストの先駆けだったフランクリンを嫌っており、彼女もまたウィルキンスを嫌っていた。ワトソンの考えでは、この敵対関係により、ウィルキンスは、フランクリンのいままでで最高の、かつ未発表の写真をワトソンに見せたということになる。「写真を見た瞬間、わたしは驚きで開いた口がふさがらなかった」とワトソンは回想する。この盗み見で「らせんの重要なパラメーターをいくつか決めることができた」。
フランクリンは1958年、37歳でガンで死亡した。ノーベル賞は死後に贈られることはないので、1962年、ワトソン、クリック、ウィルキンスの3人が同賞を受賞した。クリックの意見では、もしフランクリンが生きていたら「モーリスに賞を与えて彼女に与えないということはできなかった」、なぜならば、「彼女がカギとなる実験をしたからだ」。フランクリンの役割はそれだけにとどまらなかった。ワトソンとクリックの初期の理論に対して彼女が批評を加えたことで、彼らは研究を基礎からやり直したし、彼らがDNAの構造を解明した時点で彼女の研究がどこまで進んでいたかの証拠も彼女のノートに残されていた。フランクリンはそれがある種の二重らせんであるというところまで考えを絞っていたのだ。しかし彼女は、重要な道具を使っていなかった。その道具というのはワトソンとクリックがケンブリッジでいじり回していた、巨大な3次元の分子モデルだ。
最後のピースをはめ込んだのはワトソンだった。彼は研究室で、段ボールで作った4つの塩基の模型を手に考え込んでいた。この4つの塩基−−アデニン、チミン、グアニン、シトニン−−は、今日ではDNAを構成する4つのアルファベット、A、T、G、Cとして知られている。「ふたつの水素結合で結びついたアデニンとチミンのペアは、グアニンとシトニンのペアとまったく同じ形をしている」ことに彼は蚊がついた。したがって、それぞれの塩基のペアは、DNAのねじれたはしごの段になることができるのだ。
このAとT、GとCの補完関係にこそ、DNA複製のカギが隠されていた。二重らせんは、遺伝的アルファベット、たとえばCATから成る1本のひもと、その一段一段に補完的に対応するペア、GTAから成るひもで構成されている。らせんがほどけた時は、補完的なひものそれぞれが型板となる。G、T、Aの塩基は、それぞれ自然にC、A、Tを誘導し、元と変わらないひもが反対側にできる。こうして新しい二重らせんが作られる。
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ワトソンはニューヨーク州コールド・スプリング・ハーバーの分子生物学研究所の所長として、その研究所を科学研究の牙城に変えた。またヒトゲノム・プロジェクトの責任者としてワトソンは、約40年前の自分たちのDNA発見の帰結として、白熱した論争を経験することになった。
二重らせんが口火を切った。現実的、哲学的諸問題が次々と姿を現すにつれ、政治、哲学、そして宗教までもがその渦に巻き込まれるだろう。しかし、ここにひとつの心理が永遠に存在し続けそうだ。DNAの分子に着目するか、その発見の過程に着目するかとは無関係に、その真理は浮上してくる。すなわち、生命の秘密は、相補性にあるのだ。

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