DNA Discoveries Before Watson and Crick
ワトソンとクリック
生命情報科学の源流 ワトソンとクリック
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1953年(昭和28年)4月、カリフォルニア大学バークレー校ウイルス研究所に滞在中の渡辺格・東大輻射線化学研究所・助教授は、英国ケンブリッジでワトソンとクリックがDNAの二重らせんモデルに到達したとの大ニュースを聞いた。
このモデルこそは、それまで、概念としてしか知られていなかった“遺伝子”の実体を解明するもので、1905年(明治23年)のアインシュタイン“奇跡の年”で幕を開けた20世紀を、前半の物理学の半世紀から後半の分子生物学の半世紀へと転換させた一大事件の象徴だった。
https://otonanokagaku.net/issue/origin/vol10/index.html
わたしたちは生命の秘密を発見した DNAの役割 より
【主要人物】フランシス・クリック(1916~2004)、ロザリンド・フランクリン(1920~1958年)、ジェームズ・ワトソン(1928~)、モーリス・ウィルキンス(1916~2004年)
1953年の、DNA(デオキシリボ核酸)の構造の発見は、今日に至るまでの科学における最大の功績といっても過言ではない。この発見は、生命の構成単位を理解するための重要な手がかりとなり、遺伝情報の蓄積と伝達の仕組みを説明した。イギリスのフランシス・クリックとアメリカのジェームズ・ワトソンは、科学専門雑誌『ネイチャー』に短い論文が掲載されたことを受けて、ケンブリッジのいきつけのパブで自分たちの共同発見を控えめに祝ったという話は有名である。2人の発見は科学的発見への無限の潜在的可能性を秘めており、医学から、法医学、分類学、農学へと、数多くの研究分野に重要な影響を与えた。彼らの偉業に端を発した研究領域は、遺伝物質を取り扱う技術の進歩に応じて現在も広がり続けており、個々の遺伝子がどう働くかについて、わたしたちは多くのことを学びつつある。
クリックとワトソンの大発見は、ロザリンド・フランクリン、モーリス・ウィルキンスほか、数えきれない科学者たちによる長年の研究の頂点だった。クリックとワトソンが立体模型を使って、DNAの構成要素がどのように組み合わされているかを解明しようとしていたところ、ロンドンのキングスカレッジでは、フランクリンとウイルキンズがDNAの構造を可視化するためのX線解析写真による解析手法を開発していた。フランクリンが撮った画像を見たワトソンは、DNAのらせん形状に手がかりを得た。ワトソンとクリックが大発見をしたのはその直後だった。
1962年、クリックとワトソンとウイルキンズはノーベル生理学医学賞を受賞した。フランクリンは1958年に没していたので、DNAの構造発見に果たした大きな役割を存命中に評価されることはなかったが、クリックとワトソンは彼女の研究がなければ自分たちの成功はなかったと公に認めた。
ヒトゲノム
2003年4月14日、科学者はヒトの全ゲノムの地図作成(塩基配列の決定)という偉業を成し遂げた。遺伝学者は推定数3万とされる遺伝子を構成する約30億の塩基対の正確な位置を割り出した。これによって遺伝学者は、新しい遺伝子と、それらが生体内で果たす役割を特定することが可能になった。
こうした知識があれば、特定の個人が親から欠陥遺伝子を受け継いでいるかどうかを知ることができる。さらに、そのようなデータを入手すれば、受精卵が着床する前に胚スクリーニングで既知の遺伝性疾患の有無を確認することも可能だ。2018年3月までに約1万5000の生物のDNAが解読された。そのような情報は、動物の進化的な系統関係はどうであるか、動物はいかにして多様化してきたかを解明するのに役立ちうる。
DNAの構成と構造の発見は遺伝子に大変革をもたらしたが、タンパク質を指定するDNAの領域はヒトの全ゲノムのわずか2%であることも忘れてはならない。残りの98%の性質は遺伝学者にもまだ十分には理解されていないが、少なくとも何割かは、遺伝子の発現または活性化の調節に関わっていると考えられる。さらなる多くの発見が将来の遺伝学者を待ち受けているだろう。