じじぃの「歴史・思想_221_人工培養された脳・細胞の過去と現在」

Misunderstood Geniuses: William Harvey

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7NOU4McjtXs

William Harvey 「all from an egg」

Why It Took Scientists So Long to Figure Out Where Babies Come From

JULY 11, 2017 Atlas Obscura
An illustration from the title page of William Harvey's Exercitationes de Generatione Animalium, 1651, showing Jupiter opening creatures from an egg with the words "Ex ovo omnia" ("all from an egg"). PUBLIC DOMAIN
https://www.atlasobscura.com/articles/discovery-where-babies-come-from

『人工培養された脳は「誰」なのか』

フィリップ・ボール/著、桐谷知未/訳 原書房 2020年発行

命のかけら――細胞の過去と現在 より

「すべては卵から(エックス・オヴォ・オムニア)」
17世紀のイギリスの医師で、ジェームズ1世の侍医も務めたウィリアム・ハ―ヴィーは、著書『動物の発生に関する研究』(1651年)の口絵でそう言ってのけた。それは、あらゆる生き物は卵から生まれるという確信(にすぎないもの)を表現していた。
真実とはいえない。バクテリアや真菌など、たくさんの生物はそれとは違う始まりかたをする。しかし、ヒトは卵から生まれる(少なくとも、今のところはそうだ。だが、これからもそれが当たり前だとは、もはや思わない)。
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マティアス・ヤーコプ・シュライデンは、細胞が生物のなかで自発的に生まれると考えた。19世紀初めにはまだ多くの科学者たちが受け入れていた。生物の””自然発生という概念の名残りだ。しかし、生理学者ヨハネス・ミュラーのもうひとりの門下生、ロベルト・レーマクがその説の誤りを立証し、細胞が分裂によって増殖することを示した。その発見は、さらにもうひとりのミューラーの弟子、ルドルフ・フィルヒョウによって――発見者の明治なしで――世に広まった。現在では、彼の功績とする傾向が強い。あらゆる細胞は別の細胞から生じると、フィルヒョウは結論づけた。本人がハ―ヴィー風に表現したところによれば、「あらゆる細胞は細胞から」。新たな細胞は既存の細胞の分裂によってつくられ、連続的な分割のせいでそれぞれの小部屋がどんどん小さくならないように、続く分裂の合間に成長する。あらゆる病気は細胞自体の変化として現れる、とフィルヒョウは唱えた。
フィルヒョウは、19世紀にしか――そしておそらく当時のドイツにしか生まれえないような人物だった。教養という概念、ゲーテやアレクサンダー。フォン・フンボルトのような博識家の出現を奨励する知性の養成が盛んだったころだ。フィルヒョウは、ベルリンで医学に取り組む前に、神学を研究した。一流の病理学者および医師として身を立てる一方、政治活動家、作家にもなり、1848年の反乱にも関わった。当時は何ひとつ単純ではなかったことを証明するかのように、傑出した生物学者であり宗教的不可知論者でもあったこの人物は、チャールズ・ダーウィンの進化論に激しく反論もした。だが門下生のエルンスト・ヘッケルは、ドイツで真っ先に進化論を擁護した人物だ。
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生物の遺伝物質全体をゲノムと呼ぶ。1920年に登場した言葉だ。アメリカの生物学者トマス・ハント・モーガンの研究以降、長年のあいだ、遺伝子はタンパク質と呼ばれる分子からなると推測されていた。その内部では、アミノ酸と呼ばれるもっと小さい分子が鎖状につながっている。なにしろタンパク質は、細胞のなかで起こっていることの大部分を担っているように見えた。酵素の材料でもある。それに、染色体は実際、部分的にタンパク質でできていることがわかっていた。しかしその遺伝をつかさどる糸には、DNAという、核酸(Nucleic acidのことで"NA"に当たる部分)に分類される分子もあることが知られていた。
その物質が何をしているのか誰も知らなかったが、ついに1940年半ば、ニューヨークのロックフェラー大学病院に務めるカナダうまれのアメリカ人医師オズワルト・エイヴリーと同僚たちは、遺伝子がじつはDNA上に存在するというかなり決定的な証拠を報告した。その考えは、一般には認められなかったが、その後、ようやく、ジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンス、ロザリンド・フランクリン、その同僚たちが、DNAの分子構造、つまりその原子が鎖のような分子に沿って配列されていることを明らかにした。1953年、遺伝情報がDNA分子のなかでどのように暗号化(コード)されうるかを示したフランクリンのDAN結晶の研究に部分的に助けられ、ワトソンとクリックは初めてその構造を報告した。2本の鎖状のひもが絡み合って二重らせんをつくる、すばらしく洗練された構造だ。
この分子構造と、明らかにされたかに思えた物語は確かにとても美しかったので、現代の生物学界は、ほぼすっかり魅了された。ワトソンとクリックは、遺伝が分子スケールでどのように成立するのかをすぐに理解した。遺伝子のなかの情報は、二重らせんをほどくことで複製できる。それぞれの鎖が鋳型のような役割をし、そこで複製が組み立てられる。次に、細胞分裂時に遺伝情報がどのように複製されて、新しい染色体に入れるのかが解明された。メンデルとダーウィンが説明した分子スケールでの遺伝のメカニズムは、モーガンらによって染色体上にあることが証明されていた。DNAは、遺伝学を分子レベルでの遺伝と結びつけ、生物学に一貫性をもたらした。
そして、ダーウィンの進化論は? もし遺伝子が生物の形質を決定しているなら、DNA複製時の無作為な複製エラーが形質を変える可能性があり、たいていは生物にとって害になるが、ときどき有利に働くものもある。これが多様性を生み、自然選択が環境に適応した生物を残していく。