じじぃの「人の死にざま_216_宮本・百」

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宮本百合子 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
宮本百合子は昭和期の小説家、評論家。旧姓中條(ちゅうじょう)。本名ユリ。日本女子大学英文科中退。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場、天才少女として注目を集め、その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダーとして活躍した。日本共産党元委員長宮本顕治の元妻で、宮本と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら活動を展開した。
【結婚と離婚】
1918年、父と共にアメリカに遊学、翌年コロンビア大学聴講生となり、そこで知り合った15歳年上の古代東洋語研究者荒木茂と結婚、12月に帰国した。しかし、夫婦の間には生活の面での食い違いが生じて、1924年に離婚。野上弥生子を介して知り合ったロシア文学湯浅芳子と共同生活をおくりながら、破綻した不幸な結婚生活を長編『伸子』にまとめ、近代日本文学の第一級作品といわれた。この時期の湯浅との往復書簡の全貌が、2008年に翰林書房より刊行された。
【プロレタリア作家として】
1927年12月から湯浅と共にソ連へ外遊。映画監督のセルゲイ・エイゼンシュテインらと親交をもった。この時期にソ連やヨーロッパを訪れていた映画監督の衣笠貞之助や帰国後前進座を旗揚げする河原崎長十郎らとも親交をもつ。西欧旅行などを経て1930年11月帰国。翌月日本プロレタリア作家同盟に加入、プロレタリア文学運動に参加し、1931年、日本共産党に入党。翌年、文芸評論家で共産党員でもあった9歳年下の宮本顕治と結婚したが、まもなくプロレタリア文化運動に加えられた弾圧のために顕治は非合法活動に従事することとなり、夫婦での生活期間は短かった。1933年、顕治が検挙され、日本共産党査問リンチ事件の主犯であるとして裁判にかかることになった。百合子は翌年正式に顕治と入籍して、中条から宮本へ改姓。1937年、筆名も宮本百合子に改める。
【戦後の活躍】
戦後に共産党の活動が再開されると、百合子は社会運動や執筆活動を精力的に取り組んだ。戦時中の執筆禁止からも解放され『風知草』、『播州平野』、『道標』など多くの作品を残した。波乱に満ちた生涯のうちの大部分が小説として自身の手で描き出されている。また、共産党員としては新日本文学会中央委員や婦人民主クラブ幹事を務め、共産党の指導による文芸運動や婦人運動の推進に努めた。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
宮本百合子 (1899-1951) 51歳で死亡。 (一部抜粋しています)
太平洋戦争後、『播州平野』『風知草』『二つの庭』『道標』等、堰(せき)を切ったように作品を発表する一方、宮本顕治の妻として、党会議、講演等にも精力的な活動をつづけた宮本百合子は、昭和25年11月下旬ごろから肝臓部の張るような痛みを訴え、仕事が一区切りついたら総合的な健康診断を受けたいという希望をもらした。
「それほど長生きしたいとは思わないけれど、まだやらなくちゃならない仕事があるから、もう10年はね」
と彼女はいっていた。次にかうべき『春のある冬』『十二年』の構想も胸に組みこまれていた。
あけて昭和26年1月はじめから風邪気味であったが、おして仕事をつづけた。19日には深夜12時まで『道標』の校正をしたが、その後悪寒(おかん)が甚だしくなり、20日の朝がきたときは39度8分の高熱になっていた。
午後からは脇腹の苦痛を訴え、4時ごろには身体のあちこちに紫斑が現れた。
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数人の医者が相ついで呼ばれ、強心剤その他種々の手当を加えたが、効果なく、脈は次第に細くなり、頬から耳にかけての紫斑、四肢の紫斑はいよいよひろがり、21日午前零時ごろから下顎呼吸がはじまり、午前1時40分ごろからのどに痰のからまる喘鳴(ぜんめい)を発しはじめ、1時55分、顎ががっくり落ちてこときれた。
22日、伝染病研究室で解剖の結果、肝臓部の痛みは胆石によるものと判明したが、これは死因ではなく、脳脊髄膜炎菌による敗血症であったことが明らかとなった。1月5日以来の咽喉頭炎がそのはじまりであったのだ。ふつうなら、悪くてももう少しゆっくりした経過で脳膜炎に移行するこの細菌がこのように急激に敗血症をひき起こしたのは、彼女の極度の過労のゆえであったと診断された。
そのた、はちきれるほど肥った全身の内蔵は、脂肪の中に埋まるようで、大脳の目方は1330グラムで、成人女子の平均よりも重いことが確かめられた。

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『伸子』 あらすじ −− 宮本百合子
佐々伸子は19歳で、仕事で渡米する父親に同行した。
そこで出会ったのが古代言語研究で留学生活を送る15歳も歳の差がある苦学生佃一郎だった。
伸子は、社会的地位や経済力のなさで自信が持てずにいた佃に、自ら周りの反対を押し切り結婚した。
帰国した伸子に対し、母は勝手に結婚をした事を怒っていた。
日本で大学教授となった夫との生活は、互いを高め合うような伸子が理想とする家庭ではなかった。

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