じじぃの「人の生きざま_16_水木・しげる」

漫画家の水木しげるさん死去93歳 「ゲゲゲの鬼太郎 2015年11月30日 
ゲゲゲの鬼太郎」などの作品で知られる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが、30日午前7時18分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。
http://www.asahi.com/articles/ASHCZ45BRHCZUCLV002.html
水木しげる - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B/234/
ゲゲゲの鬼太郎 80’s ED 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=jYqcrUx8mXs
ルドン 目玉 画像
http://www2.plala.or.jp/Donna/paint-folda/redon/ballon.jpg
日曜美術館 「夢のルドン 傑作10選!! 魂への祈り」 2011年6月5日 NHK教育
【司会】千住明森田美由紀 【ゲスト】女優 松坂慶子舞踊家 田中泯、阜県美術館学芸部長 山本敦子
19世紀末、奇々怪々な怪物や浮遊する大きな目玉を登場させ、黒い画面に空想の世界を描いた画家がいます。神秘と幻想の画家、フランスのオディロン・ルドン
彼が本当に描こうとしたものは、ただの怪物ではなく、孤独と悲しみが生み出した目に見えない心の闇でした。
生まれてすぐに里子に出され、さびしい少年時代を送ったルドン、内向的な彼はひとりで森を観察し雲を見つめては、空想の世界に浸ることで、孤独な心を慰めてきました。
画家ルドンの世界、それは、どこか魂への祈りにも通じるような不思議な絵でした。
前半生を象徴した黒の時代、しかし、50歳を境に一変します。
油彩やパステルを使った鮮やかな色彩の世界に挑んだのです。
ルドンの色彩の特徴は、現実的な色でないこと、むしろ深いめい想と自らの精神の世界を色で表したことでした。とりわけ「花」の絵は、ルドン独特の色彩に満ちあふれています。
番組では、ルドンの心と色の変遷をたどり、女優松坂慶子、漫画家水木しげる舞踊家田中泯、作曲家武満徹(故人)が、それぞれのルドンの魅力を語ります。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0529/index.html
水木しげる ウィキペディアWikipedia) より
水木しげる(本名:武良茂、1922年3月8日 - )は、日本の漫画家。鳥取県境港市出身。東京都調布市在住。ペンネームは、紙芝居作家時代に、当時経営していたアパート「水木荘」から周りに名付けられた。
兵隊として戦争を体験したのち、終戦後より紙芝居、貸本漫画などを執筆。1964年に『ガロ』にて商業誌デビューし、妖怪を扱った作品により人気作家となる。代表作『ゲゲゲの鬼太郎』は5度TVアニメ化。2007年、『のんのんばあとオレ』によりフランス・アングレーム国際漫画祭で日本人初の最優秀作品賞を受賞。また妖怪研究家として、世界妖怪協会会長、日本民俗学会会員、民族芸術学会評議委員などを歴任、調布市名誉市民にも選ばれている。水木しげる記念館境港市にある。

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『最後の日本人』 斎藤明美/著 清流出版 2009年発行
水木しげる(漫画家) 人間本来の逞しさを感じさせる人 (一部抜粋しています)
今回、水木氏におめにかかったのは、日本が敗戦60年を迎えた(2005年)、まさに8月の半ばだった。氏は太平洋戦争の激戦地ラバウルで、敵の爆撃によって左腕を失っている。
「この前、医者に行ったら、どこも悪いところがないものだから、『珍しいから、ちょっともう一遍見せて』と言われた(笑)。どこも悪いところ・・・・頭だけちょっとおかしいと思ってるんだけど」
その第一声は全く飄々たるものだった。
医師の見立て通り、氏はがっしりして、およそ"83歳の老人"とはほど遠い体躯をしている。もちろん足取に老いは見えるが、右の肩から腕にかけての筋肉など、失った左腕を補って余りある、隆々たる頑丈さだ。
――戦後60年を迎えて、先生には何か特別な思いはありますか?
「別にどうということはないです。(僕は)身体がいいからね。青年時代と全く同じなんです。だから、老人らしい考えになかなかならん。身体がいいから」
――「老人らしい考え」とは?
「杖にすがるようにね。誰かにすがるとか人を頼るとか。そういうことは1つもないです」
――では、子供のころと同じようにずっと好きな漫画を描き続け、それが今も変わらない?
「変わらない。ちょっとずつ仕事をすると、金がたくさん入る」
――なるほど(笑)。
「へへへ。人と比べてばかに入るわけですね。ということは、頭がいいからかなぁと(笑)」
これには、側にいた先生の長女・尚子さん始め、編集者やカメラマンも噴き出した。
氏の著書『水木サンの幸福論』(日本経済新聞社)の冒頭に氏の唱える"幸福の7ヵ条"というのがある。
1.成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
2.しないでいられないことをし続けなさい。
3.他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
4.好きの力を信じる。
5.才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
6.怠け者になりなさい。
7.目に見えない世界を信じる。
えてしてこういうものは、著者自身というより編集者が本の意図を明確にするために拵(こしら)えるから私はあまり好きではないが、それでも著者の生きる姿勢は少なからず、組み込まれているものだ。水木氏の場合もしかり。中でも6条の「怠け者になりなさい」。これはかなり本人の意思を反映しているようだ。
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「これまでの人生で一番大変だった時は?」と尋ねると、やはり「軍隊で生きて帰ってくること」と答えた。青年時代、職を転々として極貧の中で絵を描き続けたことでも、結婚後、妻と2人で「腐ってないバナナ」を食べることを目標に頑張ったことでもない。
「貧乏だった時も多少は大変だったけど、戦争の場合は生死だからね。全力投球せざるを得ないじゃない。死んじゃいけないわけだから。日本へ帰った後は金を稼いで幸せになるかどうかだけの問題だから」
口では言わないが、戦地を生き抜くのは一様でななかったはずだ。だが水木しげるという人は根っから楽天的なのか、あるいはそう見せているだけなのか、精神的な苦悩などおくびにも出さない。マラリアに罹り、左腕を失い、傷病兵としてナマレという村にいた時、知り合った現地のトライ族に「パウロ」と呼ばれて慕われて歓待された幸せな経験を持つ。そのことについても、
「彼らはね、宣教師が来てバイブルをよく知ってたから、パウロと言うとすぐ親しみを感じるわけ。だから水木さん(自身のことを時々こう言う)はパウロという名前にした。ものすごく賢いんだ、いわゆる先見の明がある」
水木氏はよく子供のように、「頭がいい」とか「賢いんだ」という言い方をするのだが、それがいかにも愛嬌があって少しの嫌味もない。やはり徳としか言いようがない。先日ある番組で、故郷・鳥取県堺港に氏の描く妖怪たちの銅像を配した"水木しげるロード"が完成、そのイベントに出席するため奥さんと2人で帰卿する場面があったが、その時も列車の中で「何だか東郷元帥のようだなぁ」と胸を張って、「いい加減にしなさい」と向かいの席に座っている奥さんに窘(たしな)められ。「へへへ」と笑っていた。83歳の老人が、笑うと実に可愛らしい。

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水木しげる Google 検索
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