じじぃの「人の生きざま_322_白土三平」

忍者武芸帳 予告編 Tales of the Ninja 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LsjQI856HEQ
カムイ外伝(kamui gaiden)OP ED 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ZLrYqgMZIJ8
白土三平 「カムイ外伝

小学館白土三平 画業50年記念出版 決定版カムイ伝 全集全38巻
カムイ伝」は、コミック史上最高の長編忍者漫画である。闘う漫画家・白土三平が人生をかけて模索し続ける書である。領土問題、テロの恐怖、大儀のない戦争などが頻発し混迷を極める世界で、人間関係に悩み、自分の進むべき道がわからなくなっている現代人。どう生きたらいいのか!この答えは、カムイの叫びの中にある。
http://comics.shogakukan.co.jp/kamui/about.html
白土三平 ウィキペディアWikipedia)より
白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は、日本の漫画家。東京府出身。男性。本名は岡本 登(おかもと のぼる)。A型。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など忍者を扱った劇画作品で人気を博した。
父親はプロレタリア画家の岡本唐貴。妹は絵本作家の岡本颯子。弟の岡本鉄二は「赤目プロ」で作画を担当、岡本真は「赤目プロ」マネージャー。

                              • -

『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝〈1)』 手塚治虫/著 大和書房 1979年発行
白土三平の登場 (一部抜粋しています)
プロレタリア画家として名高い岡本唐貴氏の子息で登という青年が、人形劇団の「太郎座」に所属していたが、食っていけないので紙芝居の絵を描いて生活の糧を得たいと考えた。どういうわけか本名では呼ばれず、三ちゃん、三ちゃんと呼ばれていた。かれは加太こうじ氏のもとで「トモちゃん」という紙芝居漫画のシリーズを描きだした。ちょうど「おそ松くん」のような種類のギャグ漫画である。かれは、もっぱら「トモちゃん」シリーズでおしまくったので、お笑いもの専門に見られていた。
”三ちゃん”は、当時おなじ劇団に属していたまゆみさんという女性と、牧一馬という青年と3人で下宿をしていた。ある日、牧一馬氏は所用で出かけ、その晩は帰宅しなかった。
夜更けに加太氏の家の戸を叩く者がある。
「なんだ、三ちゃんじゃないか、どうしたんだこんなに遅く?」
加太氏は驚いた。
「実は……」と三ちゃんは、ボソボソと言い訳した。「うちにぼくとまゆみちゃんしかいないもんで……ふたりきりではぐあいが悪くて……今夜、すみませんが泊めてください」
加太氏は、かれのあまりにも純な気持ちに感動し、その夜は家で泊めてやった。三ちゃんは、その翌年、まゆみちゃんと結婚した。
加太氏は、以前からさかんに、「一向一揆」や「山城一揆」などの農民闘争を紙芝居に作っては発表していた。それを演じるのはまゆみちゃんであった。そういういきさつで、三ちゃんにも、そういう歴史観が浸み込んでいった。また、三ちゃんはしきりに加太氏の蔵書をこっそり出しては、読んでいたそうである。だが、三ちゃんは紙芝居でも食っていけなくなったので、漫画を描いては、あちこちの出版社にもちこんだ。昭和32年12月、後に密接な関係になるのだが、長井さんという人のもとに、三ちゃんの奥さんが、「主人の原稿です」と、劇画の原稿をドサッと持ってきた。長井さんは読んでみて驚いた。忍者の世界に階級闘争の本質を究明しようという、かってない迫真力に富んだものだったのだ。「甲賀武芸帳」8巻である。これによって、かれ自身の歩みが始まったといえよう。
昭和34年、長井氏の三洋社から「忍者武芸帳……影丸伝」がいよいよスタートする。
それから3年後の昭和36年に、この大河ドラマが完結したとき、三洋社には1冊の在庫もないという有様だった。全18巻の「忍者武芸帳」は漫画ファンにとってバイブルのような価値が生まれ、全巻1万円という値がついた。
かくして三ちゃん――白土三平は、劇画の救世主となり、現在も「赤目プロ」において黙々と大作に取っ組んでいるのである。
白土氏が登場してから、子供漫画の傾向は一段と変化したといっていい。重厚なドラマ、リアリズム、イデオロギーが要求され、単なる物語性だけではおとなに通用しなくなったのである。おとなに、つまり子供漫画がまずおとなに評価され、ジャーナリズムに乗ってから子供に敷衍(ふえん)されるという、逆コースをたどることになったのである。
ここで例によってぼくは、またしても極度のジレンマに陥った。白土氏の描く残酷なほどの迫真力は、どういう影響を与えるのか推し計れなかったし、第一、おとなが子供漫画を理論的に分析し、評価したって、読む本命の子供にとっては、どうということもなかろうにと思ったのである。
朝日ジャーナル」誌で、「漫画を読む大学生」の記事が出て世間を騒がせたのもこのころだ。東大始め各大学の購買部で児童週刊誌が売り出され、哲学書片手に漫画を読む大学生が増え、中には「忍者武芸帳」をレーニンマルクスの著書のごとく研究する者もいたりで、唖然とした。

                              • -

白土三平 Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%99%BD%E5%9C%9F%E4%B8%89%E5%B9%B3&sa=N&espv=210&es_sm=93&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=VwmMUq_uAa-WiQfo84CYCw&ved=0CCoQsAQ4Cg&biw=971&bih=598