じじぃの「人の死にざま_160_親鸞」

親鸞 - あのひと検索 SPYSEE
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浄土真宗の祖師・親鸞聖人のご生涯 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=p7775D0Gqxk
親鸞 ウィキペディアWikipedia)より
親鸞は、鎌倉時代初期の日本の僧である。浄土真宗の宗祖とされる。
【人物】
親鸞は、法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地につつましい念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。

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ゆうどきネットワーク 「人生ドラマチック」 2014年10月29日 NHK
【司会】山本哲也、合原明子 【ゲスト】五木寛之
▽82歳で書き上げた“親鸞”の生涯とは? 戦争の記憶を越えて〜作家・五木寛之さん〜
2014年9月で82歳になった今も、執筆はもちろん、講演やテレビ、ラジオへの出演と精力的に仕事を続ける五木寛之さん。五木さんの現代人の生き方、そして去り方を問う言葉が、人々の共感を呼んでいます。
五木さんの根底にはつらい戦争の記憶があります。12歳の時、朝鮮半島北部で終戦を迎えた五木さん。誰もが必死で生き残り、帰国をめざす中に、心が打ちのめされるような壮絶な出来事に何度も遭遇しました。作家になったあと、当時の記憶がフラッシュバックのようによみがえったといいます。自殺を考えたこともあり、40代になって2度も執筆を休んでいます。
五木さん、「陽の当たる場所で生きてきた人はすべて悪人なのです。なぜなら、その人にスポットライトが当たるためにはたくさんの周りのものを犠牲にして生きてきたのだから」
http://www.nhk.or.jp/you-doki/archive/20141029.html#02
大河の一滴 五木寛之/著 幻冬舎文庫
いつかおとずれてくる本当のさびしさ (一部抜粋しています)
私の心にひっかかった部分は、出家つまり親鸞という主人公と、その弟子−−唯円(ゆいえん)という若いお弟子さんの話です。唯円親鸞の記録をまとめた『歎異抄』というたいへん有名な書物の編者といわれています。この唯円親鸞とが、どこかで外を眺めながら短い対話をしている場面があります。この場面を読んで、ぼくの心に、映画のシーンのように、ひとつの光景が記憶のなかにうかびあがってきました。唯円が外を眺めながら、ぽつんと親鸞にこんなふうに言います。
「お師匠さま、私はこのところ、なんだかさびしい気持ちがしてならないのです。ときどきぼんやりいたします。こうして道を歩いている人を眺めていても、なんとなく心がさびしくなってきて涙がこぼれたりする。こんなことでいいのでしょうか」
まあ、原文とはちがいますが、つまりこういうふうな口調で問いかけます。修業中の身がこんなことでいいのでしょうか、というふうな気持ちできくのです。それに対して、たしか親鸞はこんなふうに答えるのです。
「それでいいのだよ」
友人に接するような優しい感じの対話です。親鸞の人間味が非常によくそこには描かれているような気がします。
「それでいいのだよ。唯円、それでいいのだよ。さびしいときには、さびしがるがよい。それしか仕方がないのだ」
というふうに親鸞が答えると、唯円は重ねて、親鸞にたずねます。
「それじゃ、お師匠さまのようなかたでも、さびしいなんていうことを、お感じになるときがおありなのですか?」
信心の定まったあなたのような立派なかたでも、さびしいなどという気持ちになることがおありなんですか? とたずねるわけです。親鸞はそれに対して、こんな意味のことを答えるのです。言葉は正確ではありませんが、説明的に勝手な言葉をつけくわえていいますと、つまりこういう内容のことです。
「私もさびしいのだよ。そして私は一生さびしいのだろうと思っている。だが唯円よ。おまえがいま感じているさびしさと、自分が背負っているさびしさとは、ちょっとちがう。おまえのさびしさというものは時間がたつとふっと通り過ぎていくような、ある意味では対象によって癒(いや)されるさびしさなのだが、自分がいま感じているさびしさというものは骨身にしみわたるような深い思いさびしさなのだ。そして自分は一生このさびしさを背負って生きていくだろうと思っている」
と、まあ、あらましこんなふうに、唯円に向かって、弟子と師匠という感じでなく、若い友達に語りかけるような口調で、親鸞は語ります。そして重ねてこんなふうに言うのです。
「おまえもいずれ、そういう本当のさびしさというものが理解できるようになってくる、それを感じるようなときがくるであろう。唯円よ。そのときにはそのさびしさから逃げようとか、そのさびしさをごまかそうとかしてはならない。自分を欺(あざむ)いたりしないで、そのさびしさをまっすぐに見つめ、その自分の心に忠実にしたがえばよい。なぜならば、本当のさびしさというものは、運命がおまえを育てようとしているからなのだよ」言葉は正確ではありませんけれども、そういう意味のことを親鸞は諄々(じゅんじゅん)と唯円という若い弟子に語ってきかせるのです。
おまえもきっといつか本当のさびしさを感じるときがくるであろう。そのときにはそのさびしさから逃げるな。そのさびしさをごまかすな。適当にやりすごすな。きちんとそのさびしさと正面から向きあって、そのさびしさをしっかりと見つめるがよい。そのさびしさこそは運命がおまえを育てようとしているのだから、というふうに親鸞は答えるのですが、弟子の唯円親鸞という先輩との、心の通(かよ)いあいが感じられるような対話です。
おそらく、そこで倉田百三という著者が親鸞にいわしめていることは、本当の信仰というものは、たとえば苦しい修業、苦行とか極限状態のなかでめぐりあうということもあろうが、それだけではない。人間はさびしさに打ちひしがれるときでも、さびしさのなかから本当の信仰が芽生えるときもあるのだ。つまり人間的なすべてのものは人間が求めるものへの扉なのだ、だからそれを素直に受け入れて、それとまっすぐに向き合え。こういうことを親鸞は語ってきかせているのだろうと思うのです。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
親鸞 (1173-1262) 89歳で死亡。
明治以来昭和41年まで約100年間にわたって出版された図書と論文による日本人の伝記に関する文献を収録した『日本人物文献目録』(法政大学文学部史学研究室)という本がある。これによると、日本の歴史上の人物で、その研究書の多いことで第1位は親鸞なのである。
これほど研究の対象になりながら、親鸞の生涯には不明なことが多い。誕生地、妻の数、生涯のある時期の動静、死没地、死亡時刻など両説ないし数説あり、墓までが2つある。
信じるに足る伝記がなく、当時の公卿その他の日記、記録類にも親鸞のことを記したものがまったくないというところから、一時は親鸞抹殺説まで唱えられたことがあったが、大正8年辻善之助の『親鸞聖人筆跡の研究』によって、親鸞の実在したことが確定した。(当時の日記、記録にないのは、在世中の親鸞は1個の巷(ちまた)の念仏者に過ぎず、知識階級に知る人が少なかったせいで、本願寺が盛大をきわめたのは彼の歿後のことである)
彼は83歳のときに実子の善鸞の大がかりな背信による大悲劇を乗り越えたあと、京にあって孤独の中に著作に専念していたが、弘長2年11月病に臥(ふ)した。
親鸞絵伝』によれば、「それより以来(このかた)、口に世事を交えず、ただ仏恩のふかきことを述ぶ。声に余言をあらわさず、もはや称名(しょうみょう)たることなし」とある。
そして、その28日正午から午後2時までの間に入寂した。
その臨終を看(み)守った末娘の覚信尼が、母−−つまり親鸞の妻で、当時越後にいた恵信尼に、その模様を報告したが、その手紙は残っていない。ただ、それに対する恵信尼の返事が残っているが、それによると覚信尼は、父の臨終に何も奇蹟らしいことは起こらなかった、これでほんとうに父は浄土へ往生したのだろうか、と不安を述べたらしく、恵信尼が、奇蹟など起ろうと起るまいと、殿(親鸞)の浄土への往生は少しも疑ってはならない、と念をおしてさとしている。
親鸞は、その師法然と同様、何のへんてつもなく死んだのである。
−−親鸞の曾孫覚如の『改邪鈔』によれば、かねて親鸞は「某(それがし)閉眼せば(死んだなら)加茂川に入れて魚に与えべし」と遺言していたとある。

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