NHK 100分 de 名著 : 旧約聖書 1/4 : ユダヤ民族の成立 動画 dailymotion
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創世記 動画 Youtube
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映画「天地創造」 The Bible In the Beginning... - Theatrical Trailer 動画 dailymotion
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筑摩書房 一神教の起源 ─旧約聖書の「神」はどこから来たのか / 山我哲雄 著
●それは信仰「革命」だった
もともとイスラエルもユダも、古代オリエント世界の辺境に存した弱小国家に過ぎず、権力や覇権とはほとんど縁がなかった。その小さな国家が滅び、新バビロニア帝国の圧倒的な支配のもとで「ヤハウェの民」が最も非力で悲惨な境涯にあった時に、彼らの中から唯一神観が生まれた。それは、弱い者が生き延びるための知恵であった。
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エゼキエル36章・荒廃した地がエデンの園のようになる 聖書の描く地球の今と将来
エデンの園とは、初めにエホバ神が最初に人間アダムとエバを置かれた地上のパラダイスです。(創世記2:15)
エゼキエル36章の預言は、過去において、バビロンによって荒廃させられたイスラエルの土地にまず成就しました。西暦前607年にユダとエルサレムはバビロンの攻撃を受け、イスラエル人は剣で殺されたり、バビロンに連れ去られたり、周囲の諸国家に逃げたりしました。そのために、イスラエルの土地には、人が住まなくなり、70年間荒廃しました。(歴代第二36:21)しかし、エホバはそこの土地がエデンの園のようになり、そこに住む人々が増えることを預言していました。(エゼキエル36:35,37)
http://d.hatena.ne.jp/littleyohane/20121126/1353893818
天地創造 ウィキペディア(Wikipedia)より
天地創造とは、厳密にはユダヤ教のヘブライ語聖書、キリスト教の旧約聖書『創世記』における世界の創造のことを指す。宗教絵画などでよく題材となる。
【天地創造の流れ】
ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書『創世記』の冒頭には、以下のような天地の創造が描かれている。
・1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。
・2日目 神は空(天)をつくった。
・3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。
・4日目 神は太陽と月と星をつくった。
・5日目 神は魚と鳥をつくった。
・6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。
・7日目 神は休んだ。
【年代推定の歴史】
1654年に、英国国教会のアイルランド大主教ジェームズ・アッシャーとケンブリッジ大学副総長ジョン・ライトフット(英語版)が聖書の記述から逆算し、天地創造は西暦の紀元前4004年10月18日〜24日にかけて起こり、アダム創造は紀元前4004年10月23日午前9時と算出し、長らくキリスト教圏ではこの年代が信じられてきた(旧約聖書のモーセ五書に登場する族長全員の寿命を加算して算出したもの)。 その他にも天地創造の年代には諸説ある。
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旧約聖書 創世記 第1章
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ば れた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
http://www12.ocn.ne.jp/~sokkidou/sokkig_01/0101_0131.html
『神の発見』 五木寛之、森一弘/著 平凡社 2005年発行
この世のはじまりは廃墟のようであった (一部抜粋しています)
森 聖書を、苦しんでいる人間の視点から読み返していくと、隠れているメッセージが見えてきます。
五木 見る視点の位置で、違った意味に読めるんですね。
森 たとえば、聖書のいちばん最初、「創世記」の1章は、「地球は混沌であった」という言葉ではじまっていますね。この、「地は混沌であった」という文章ですが、原文では「ワボーフー・トーフー」という言葉なんです。
五木 それは、どういう意味なんですか。
森 私は「無秩序、廃墟のようであった」と訳せばよいと思っています。この言葉がひんぱんに出るようになるのが、紀元前6世紀、バビロンの捕囚の時期です。村や町が徹底的に破壊されて、廃墟のようになった。そうした状態を表現するのが「ワボーフー・トーフー」という言葉だったのです。廃墟のような状態から、神が素晴らしい世界を創った。しかし、それを人間がめちゃくちゃにしてしまった、というメッセージがそこにあります。
五木 いまの廃墟とか、無秩序という言葉ですぐに連想するのは、アフガニスタンですね。かつては、シルクロードの桃源郷といわれていたところで、果物は多くとれるし、ケシの花が一面に咲き乱れていた。私は昔の絵を見たことがあるんですけど、これがあのアフガニスタンかと思うくらい、大きい丘陵一面に青紫色のアザミの花が咲き乱れているんです。瑠璃玉(るりだま)アザミというんだそうですが、そういう花が咲き、果実が実る土地であったのに、わずか80年で、いまの荒涼たる瓦礫の砂漠と化してしまったわけです。だからなにか、そういうところに、最初の信仰の灯(ひ)がともるというのが、本当は私たちが考えている神仏の物語なんですが。
森 ええ、そうですね。
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五木 いま、聖書の書き出しは、混沌からはじまるとおっしゃいましたが、混沌という言葉は、なにか中国の道教的な感じがします。道教では、混沌とは生命の源なんですよね。非常に肯定的にとらえるんです。しかし聖書の場合は、そうではなくて、荒涼としたものなんですね。
森 ええ、聖書は、人間のどうしようもない罪深さと、悲しさを、浮かびあがらせようとしているのです。
五木 ああ。
森 「創世記」の2章では、人間は、土の塵(ちり)から創られたことになっています。土とはむなしさ、もろさの、そして塵は、悲しみや喪(も)のシンボルです。「土の塵」、つまり人間の内に、もろくはかなく崩れていく可能性があるということです。自分自身でも、どうすることもできない現実が、人間の内にあるということ。それをさらに加速させるのが、人間の暴力性とか、エゴイズムとか、欲望ということです。それがアダムとイヴの物語になります。
五木 ふと、思い出すことがあるのですが、私は子どものころ、父親が国語と漢文の教師だったので、『日本書紀』とか『古事記』などを、小学校にあがる前から座敷に座らされて、素読というか、暗唱させられたんです。「あめつちのはじめのとき、まずなみなりませる神のみなは」とかね。
神様の天地創造のとき、その人たちが、あしかびのごとくに、どろどろになっているところに、矛(ほこ)を刺してかきまぜて、鳥ができ、あれができ、これができるんですね。「あしかびのごとく」というところが、本当に無秩序と荒涼としたものを想像します。なんて聖書と似ているんだろうと思ったことがありました。
森 私は、すべての人のこころの根っこに、この世界は、どうしてこんなに悲しく辛(つら)いものになってしまったのか、という根源的な問いがあったんだろうと思うんです。どうして人間は、こんなに苦しまねければならないのだろう。どうすれば、自分たちの生活の辛さや、悲しみをこえる、希望の光を見出せるだろうか、そういう問いがあったと思うんです。
五木 なるほど。世界存在の原点というか、出発点を、肯定的なプラス志向のイメージでとらえるか、あるいは、世間でいうマイナス志向のイメージでとらえるかというと、私は、いまおっしゃったように、荒涼とした無秩序、暗黒、そこに光がさしてくると考えるわけです。はじめに光ありき、というふうには考えられない。そうすると、人間存在の、世界存在のいちばん最初は、黒くて暗くて、なんともいえない闇が最初にある、というふうに考えてしまうんです。それは物事をネガティブに考えるからだ、とよくいわれるところなんですけれども。
森 「創世記」の天地創造の話のあとに、アダムとイヴが楽園から追放される物語、そのあとに、兄貴が弟を殺してしまう。カインとアベルの物語がつづきます。この世界が、人間の欲望と、エゴイズムによって、非常に住みにくい世界になっていくという流れになっているんです。神がすばらしい世界を創ったにもかかわらず、世界は最終的に、闇におおわれてしまう。そうした、絶望的状態を語りながら、救いはどこにあるのか、そういうテーマになっていくんです。