じじぃの「人の死にざま_119_司馬・遼太郎」

司馬遼太郎 - あのひと検索 SPYSEE
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司馬遼太郎記念館
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司馬遼太郎 ウィキペディアWikipedia)より
司馬遼太郎(1923年(大正12年)8月7日-1996年(平成8年)2月12日) は、日本の小説家。本名、福田定一(ふくだていいち)。大阪府大阪市生まれ。
産経新聞社在職中、梟の城直木賞を受賞。以後、俗に「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観に基づいて数多くの作品を執筆、歴史小説に新風を送る。代表作に国盗り物語』『竜馬がゆく』『坂の上の雲などがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。また、街道をゆくをはじめとするエッセイなどで活発な文明批評を行った。
【経歴】
1923年(大正12年)8月7日、大阪府大阪市浪速区西神田町(現:塩草)に、薬局を経営する父・福田是定(薬剤師)、母・直枝の次男として生まれた。
1943年(昭和18年)11月に、学徒出陣により大阪外国語学校を仮卒業(翌年9月に正式卒業となる)。兵庫県加東郡河合村(現:小野市)青野が原の戦車第十九連隊に入隊した。
1946年(昭和21年)、ふたたび大竹とともに新日本新聞京都本社に入社。同僚に青木幸次郎がいた。このころから30歳を過ぎたら小説を書こうと考えるようになる。大学、宗教記事を書いたが、社は2年後に倒産、産経新聞社から「外語大卒だから英語くらい出来るだろう」と誘われ、英語が全く出来ないにもかかわらず「出来ます」と応じて京都支局に入る。入社して1か月も経たない1948年(昭和23年)6月28日午後、福井地震が発生し、その日のうちに福井の取材に行く。同年11月歌人川田順の失踪事件を取材、「老いらくの恋」という見出しを付け流行語になる。
1950年(昭和25年)には金閣寺放火事件の記事を書いた。このころ京都の寺社周り・京都大学を担当し、その結果京都の密教寺院で不思議な僧侶らと出会ったり、石山合戦のときの本願寺側の兵糧方の子孫の和菓子屋と話したり、京都大学桑原武夫貝塚茂樹らの京都学派の学者たちに取材したりするなど、後年の歴史小説やエッセイを執筆する種となる出会いがあった。このことは後年の自筆の回想記(多く『司馬遼太郎が考えたこと』に所収)に記されている。その後文化部長、出版局次長を勤めた。
1960年(昭和35年)、『梟の城』で第42回直木賞を受賞し、翌年に産経新聞社を退職し、作家生活に入る。
1971年(昭和46年)から、紀行随筆『街道をゆく』を週刊朝日で連載開始した。1972年(昭和47年)には明治の群像を描いた『坂の上の雲』の産経新聞での連載が終了。また、幕末を扱った『世に棲む日日』で吉川英治文学賞
1996年(平成8年)1月、「街道をゆく 濃尾参州記」の取材を終え、連載中の2月10日深夜に、吐血して倒れ国立大阪病院(現:国立病院機構大阪医療センター)に入院、12日の午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去。72歳だった。同日は「菜の花忌」と呼ばれている。死去した国立大阪病院は、奇しくも『花神』で書いた大村益次郎が死去した場所であった。

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文藝春秋 10月号
司馬遼太郎が愛した日本人 大座談会 (一部抜粋しています)
【対談者】昭和史家・作家 半藤一利茨城大学准教授 磯田道史東京大学教授 山内昌之、作家 水木楊
天下人から無名の士まで、司馬作品はあざやかな生き方をした人間の宝庫だ。その魅力を縦横に語り尽くした。
半藤 司馬さんは燃えよ剣のあとがきで、「男の典型を一つずつ書いてゆきたい。そういう動機で私は小説書きになったような気がする」と書いています。これを私なりに言いかえれば、司馬遼太郎という作家は、日本人の典型、それも、我々がかくありたいと思うような日本人を描き続けた作家でした。そこに、今もなお司馬作品が日本人に愛され、繰り返し読まれている魅力の核心があるのではないでしょうか。 今日は、司馬作品にも、一家言も二家言もあるメンバーで(笑)、司馬さんが愛し、作品に取り上げた人物について語り尽くしてみたいと考えています。
水木 司馬さんが好きだった日本人をみていくと、私は4つの原則があると思うんです。 まず第1は軽やかで明るい人物であること。第2に才気のある人、第3に合理的思考に長けていること。そして最後にちょっと外れた人間であることが挙げられるのではないか。たとえるなら、読売ジャイアンツではなくて阪神タイガース的な人物を愛した(笑)。 キーワードにすれは、明、才、理、狂。合理的である、という要素には経済に明るいことも含まれるから、「理」は「利」でもある。それをすべて兼ね備えた人物となると、やっぱり坂本竜馬なんですよ。
半藤 「明」は、先覚性、開明性の明でもありますね。
山内 豊臣秀吉も最晩年におかしくなるまで、まずは4原則を満たす人物ですね。
磯田 さらに加えると、司馬さんは一貫して、この国の人々のなかにあった純なるもの、素なるものを、尊(たっと)きものとして描いています。吉田松陰西郷隆盛がその代表ですが、日本人のなかの素直さと無垢な純心の美しさを見つめつづけた。
半藤 やはり無欲な人、爽やかな人、潔い人が好きでしたね。これは、逆に司馬さんに悪く書かれた人物を見るとよくわかる。たとえば山県有朋井上薫のように権力の座に居座って巨利を得たような人物には実に厳しい。
山内 司馬作品の主人公たちで、私が大事だと思うのは、まだ何物になるとも分からない未完成、未分化な状態にある個人の魅力を描いたことです。その典型は竜馬でしょうか。
半藤 たしかに竜馬がゆくを読んでも、勝海舟に出会うまでの竜馬は剣の達人ではあるけれども、時代を動かすという点では何もしていないに等しい、予感もない、「何物でもない」人物なんです。しかし、そこに人を惹きつける何かがする。
山内 これは時代に関してもいえることで、戦国時代や幕末のように、大きな変動期でまだ新たな制度やシステムが確立しない時代を、司馬さんは好んで舞台にしましたね。油商人が戦国大名になったり、村医者が近代軍隊の創始者になったりするダイナミズム、人間というのはこんなにも変容する広い可能性を持つのか、ということを、司馬さんは新鮮な驚きとともに書いていった。
磯田 司馬さんが愛した日本人の大事な条件として、私は「やさしさ」を付け加えたいと思います。 司馬さんが小学国語の教科書のために書き下した文章を納めている『二十一世紀に生きる君たちへ』という本があるのですが、私はここに司馬さんが伝えたかった人間観、日本人観が、もっとも凝縮されたかたちであらわれている気がするんですね。 そこで司馬さんが言っていることは、一言でいえば「自分に厳しく、相手にはやさしく」。すなおでかしこい自己を確立しなくてはならないが、それはけっして自己中心に陥ってはならない、人と助け合って生きるのが人間なのだ、と司馬さんはこんこんと説くのです。「いたわり」「他人の痛みを感じること」。それは本能ではないから、訓練して身につけるほかない。そうすることで、人は"たのもしい"存在になっていくのだ、と。
半藤 たしかに司馬さんの小説は、人を傷つけること、残酷さへの強い嫌悪感がありますね。逆に人を救う医者や技術者などのはあたたかいまなざしを注いでいました。
山内 それは戦車部隊見習士官の経験以来、人が死ぬ意味をずっと考えてきた点と無縁ではないでしょう。
水木 もうひとつ、司馬さんには東よりも西というはっきりした好みがあります。家康よりも秀吉だし、国盗り物語の斉藤道三、菜の花の沖高田屋嘉兵衛も淡路島出身、紀州の鉄砲衆を率いた雑賀(さいか)孫市、播磨灘(はりまなだ)物語』黒田官兵衛、みんな関西です。大阪の侠客、明石屋万吉を取り上げた『俄(にわか)』もいいですね。出てくる人々も飛び交う言葉も実に生き生きとしている。
磯田 たしかに司馬さんが愛した風土となると、西国、とくに四国がまず挙げられます。なかでも一番愛したのは伊予、宇和島あたりの輝く海の風景ではなかったでしょうか。伊予の海の開かれた明るさとやさしさ、たおやかな情緒をこよなく愛していたことが、作品を通して伝わってきます。
水木 とにかく愛媛と高知にまつわる主人公がやたらと多いんです。坂の上の雲はいうまでもなく松山出身の秋山好古(よしふる)、真之(さねゆき)兄弟と正岡子規が主人公だし、土佐では坂本竜馬をはじめ、功名が辻山内一豊、長曾我部元親、盛親の親子もそれぞれ『夏草の賦(ふ)』『戦雲の夢』といった長編の主人公になっています。
山内 司馬さんの凄いところは、司馬さんが書かなければ歴史で忘れられていた人、世に出なかった人にスポットを当てた点ですね。
水木 その最たる存在が竜馬でしょう。

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司馬遼太郎の言葉
「インダストリィは汚職する国家では興らない」

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