じじぃの「人の死にざま_113_笠」

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あの人に会いたい 笠智衆
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笠智衆/岩下志麻/佐田啓二秋刀魚の味』予告編 動画 きらく
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『あるがままに』 笠智衆他 世界文化社 1992発行
夢のごとし
趣味のない男の趣味 (一部抜粋しています)
僕には、若いころから「趣味」と呼べるようなものがありません。57歳のときから始めたゴルフも、ほんの一時期、熱中しただけで止めてしまいました。
読書も苦手です。"目が遅い"とでもいうのか、読むのにひどく時間がかかるほうで、子供のころからダメでした。
昔、小津、野田の両先生と一緒に里見紝(とん)先生のお宅をおじゃましたときのことです。里見先生からいきなり、
「きみは、僕の作品の中ではどんなものをよんだかね?」
と聞かれ、答えに窮した思い出があります。日ごろ、先生の作品はおろか、本そのものにあまり接していないのですから、正直に答えるほかありませんでした。
すると里見先生は、
「なにかね小津君、俳優というものは、あまり本をよまないほうがいいのかね?」
と、今度は、小津先生に向かって問いかけられたのです。
これには、さすがの小津先生も困った様子で、
「いえ、そんなこともないでしょうが・・・・」
とかなんとか、すっかり恐縮した感じで言って、取り繕ってくれましたが、僕はずいぶん肝を冷やしたものです。
僕はもともと、ものぐさなのかもしれません。人のつき合いもそうですが、どうも「立ち入る」とか「夢中になる」ということができないのです。親しい友人は何人かいて、それなりの行き来はしてきました。けれども、決して"ベタベタ"といった感じにはならないのです。
スポーツも、青年時代はともかく、やるより見るほうが好きですし、"お茶"も、もっぱら点(た)ててもらったのをいただく側にまわっている次第です。
テレビで楽しむのは、そのスポーツが中心です。とくに相撲と野球がひいきです。
相撲には小さいころから親しんできました。お祭りがあるたびに行われる。"宮相撲"を、番僧に連れられてよく見にいったものです。
対象の中ごろだったでしょうか、熊本県の高瀬という所に横綱太刀山がきたことがありました。高知出身の土州山も一緒だったと思います。原っぱに土俵をつくって興行したのですが、それが、本モノを見た唯一の経験です。もっとも、自分で取るようになったのは、中学に入ってからです。
柔道を始めた関係で、仲間たちと自然に取るようになったのです。
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柔道は熊本の"お家芸"の一つかもしれません。戦前・戦中を通じ、その無敵から、
「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」
と称えられた木村政彦7段や、ロス5輪で優勝した山下泰裕さんらが出ています。しかし、その割に相撲はダメなようです。南隣の鹿児島県が、最近でいっても、若嶋津や霧島といった大関を生んでいるのに、これはまた、いったいどうしたことでしょう。
と言っても、僕には特別に肩入れする力士がいるわけではないのです。大相撲全体が好きなのであって、よく、
「ひいき力士は誰ですか?」
と聞かれるのですが、答えようがありません。それでも、その場所、その場所で、大関横綱を目指す力士とか新入幕力士などは、ついつい応援したくなるものです。
それと、近ごろは早い時間から放送が始まるため、幕下あたりの取り組みから観られるのが、うれしいです。これぞ、と思う若い力士に目をつけておき、彼がだんだんに強くなっていく姿を観るのは、とても楽しみなものです。
最近では、大乃国旭富士が同時入幕したとき、
「この2人は強くなるよ」
と息子たちに予言したら、ほんとうに2人とも横綱になり、
「なかなか目が高いじゃないか」
と言われました。でも、2人とも早い引退で、もっと観たかったのに、残念です。
体調にもよるのでしょうが、負けが込むと引退しかない横綱になってしまったことが、かえって相撲人生を短くさせるわけで、仕方がない、とばかり割り切れずにいます。
いずれにせよ、今は年6場所。すぐ次が始まるようでいて、待つ身になると、なかなかに待ち遠しいものです。
プロ野球にはひいき球団があります。阪神ファンです。昭和25年(1950年)、中村登監督の『栄光への道』という野球映画に出たのがきっかけです。鶴田浩二さんが主役で、僕は監督の役でした。そのとき、つい先ごろ亡くなられた"物干し竿"の藤村富美男さんら、タイガースの選手と一緒したのが縁です。
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テレビ観戦のほか、今、もっぱら楽しみなのが、散歩です。年を取るにつれ、遠出はできなくなりましたが、ほとんど毎日、出かけます。
以前は、これといった目的地も決めずに、よく鎌倉周辺を歩きまわりました。そんななかから見つけた建長寺から天園(てんえん)、瑞泉寺(ずいせんじ)へと続くハイキングコースが特に好きでした。鎌倉の街を取り囲む山の尾根を行くようなもので、すり鉢の底に鎌倉の街が望めるのです。
寺巡りも好きです。鎌倉の寺は、いったいに境内(けいだい)が狭く、建物も小さく、規模という点では京都や奈良の寺とは比べものになりません。が、、そこは僕にはちょうどいいのです。小ぶりだけれど素朴で、こちらも構えないですむのが魅力です。フラッと入っていけるから、飽きずにすんだのだと思います。
もっとも近年、建長寺円覚寺の山門の茅葺(かやぶ)きが、それと気つかないうちに銅版葺きに変わってしまいました。防災などを考えると仕方のないことなのでしょうが、昔を知っているだけに、惜しい気もします。
大船や鎌倉の道に多いトンネル(隧道(ずいどう))も、それぞれにいいものです。付近は山の岩肌が軟らかいためでしょうか、ツルハシでどんどん掘れるのだそうです。北鎌倉の浄智寺の横から小津先生の家へと続く道の途中にも、このトンネルがありました。驚いたことに、それは、小津先生のお宅ともう一軒のために掘った、と聞いたことがあります。
トンネルはたいてい、掘っぱなしの感じです。上から水がポタポタと落ちてきて、通るときにはタイミングを計らないと濡れてしまいます。真ん中あたりの天井には、ちょっとした凹みがつくられ、そこに裸電球が埋め込まれたりしています。
こんな風情が、僕は好きなのです。
洞穴も多いです。これらはみんな、昔の墓だと聞いたことがありますが、ほんとうでしょうか?
足が弱ってきてしまったために、最近は、近くの児童公園とか、せいぜい円覚寺浄智寺に足をのばす程度ですが、60代と、割合早死にの家系にあって、僕だけがだいぶ過ぎてしまったのは、若いころからの散歩癖に原因があるのかもしれません。
その意味では、特別あせくせすることもなく、気の向くままにマイペースでやれる散歩は、健康の素であると同時に、僕にはなじんだ趣味なのです。

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【次代への名言】3月16日・笠智衆 2009.3.16
 ■「うん、黒澤さんにね、笠さんのせりふは本を読んでいるようですねっていわれたよ」(笠智衆(りゅう・ちしゅう))
 笠智衆は戦前・戦後を通じて約350本もの映画に出演した名優。古くは巨匠、小津安二郎のほぼすべての作品、近くでは『男はつらいよ』の「御前様(ごぜんさま)」役でおなじみの方も多いだろう。「黒澤さん」とは「世界のクロサワ」こと黒澤明。半世紀ほど前、初めて黒澤作品に出演することになり、撮影初日を終えて帰宅したときの感想である。
 「僕の演技の基本は“自然”です」と笠はつづる。春風のような立ち居に熊本なまりが香るせりふまわしはまさにこの人しか表現できない“自然”だが、開眼のきっかけは小津との出会いだった。「君は、悲しいときには悲しい顔、嬉(うれ)しいときには嬉しい顔、なんか絵に描いたような演技をするね。俺(おれ)のところでやるときは表情はなし、能面でいってくれ」−。型破りの依頼から生まれたのが、佳作『父ありき』(昭和17年)だった。
 「静の小津」に対する「動の黒澤」の面目を伝える冒頭の逸話を教えてくれたのは笠の長男、徹さんだ。きょう、笠の17回忌を迎えるにあたって改めて、「ありし父」を語ってもらおうと思っていたが、かなわなかった。昨秋、75歳で急逝。「静の智衆」とは対照的に、よく笑う、ひまわりのような人だった。

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