じじぃの「人の死にざま_500_里見・紝」

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鎌倉 | 西御門サローネ | 旧里見邸 / 石川邸 
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里見紝 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
里見紝横浜市生まれの小説家である。同じく小説家の有島武郎、画家の有島生馬は共に実兄。
【経歴】
生まれる直前に母の弟の山内英郎が死去したためその養子となり、山内英夫となった。
旧制学習院高等科から東京帝国大学文学部中退。1910年(明治43年)、2人の兄と共に同人『白樺』に参加。ペンネームの里見は、電話帳をペラペラとめくり指でトンと突いた所が里見姓であったためとしている。
1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)まで、武郎の心中事件を中心とした長編『安城家の兄弟』を3部に分けて発表。1932年(昭和7年)より6年間、明治大学文芸科教授を務める。1940年(昭和15年)、菊池寛賞(戦前のもの)を受賞。
1945年(昭和20年)、川端康成らと鎌倉文庫創設に参加、1947年(昭和22年)、日本芸術院会員となる。1952年(昭和27年)、『道元禅師の話』を連載、1954年(昭和29年)、市村羽左衛門の出生の秘密に触れた『羽左衛門伝説』を毎日新聞に連載。1956年(昭和31年)、短編集『恋ごころ』で読売文学賞を受賞。
永く鎌倉に住み、鎌倉文士のはじまりとされることもある。その縁で戦後は大船の撮影所にもよく出入りし、小津安二郎とも親しく小津と組んでいくつかの映画の製作にもかかわった。1958年(昭和33年)の『彼岸花』は小津と野田高梧の依頼を受け、映画化のために書き下ろしたものである。四男の山内静夫は、松竹の映画制作者である。
1959年(昭和34年)、文化勲章受章。1960年(昭和35年)、『秋日和』を発表、1961年(昭和36年)に『極楽とんぼ』、1971年(昭和46年)に『五代の民』で読売文学賞受賞。
なお、姉の有島愛は旧三笠ホテル経営者の山本直良と結婚。指揮者で作曲家の山本直純は、その孫にあたる。また愛の息子の山本直正は、与謝野鉄幹与謝野晶子夫妻の二女の与謝野七瀬と結婚した。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
里見紝(さとみとん) (1888-1983) 95歳で死亡 (一部抜粋しています)
里見紝は昭和49年秋、86歳のとき軽い脳血栓を起してから左半身にやや不自由さを残したものの、それでも元気で毎晩八杓(しゃく)の晩酌を欠かしたことはなかった。
91歳の誕生日を迎えるに当たって、彼は書いた。
「一期(いちご)の大事と云う、死に対する恐怖の処理・・・・むろん、『処理』なんぞと、鼻元思案で片づきっこないが、私は至極単純に、死後のことは、いくら考えたって、ほんとのことはわかりっこない、と諦めているし、このさき、どのくらいか、生きていられるこの世には、いいあんばいに、あっさり見切りがついていて、あんまり苦しみさえしなければ、いつなんどきたりとも、安らかに瞑目できそうだ。・・・・そうだ、で、実際どうなるか、そこまで責任をとる必要もあるまい」
一点の衰えも見せぬみごとな文章である。
また55年1月号の「かまくら春秋」には、
「・・・・世のためにも人のためにも、いっこうお役に立っていない。にも係わらず、早く死にたい、などとは夢にも思わない。昔風の評価によれば『ごうつくばり』ということになる」
「若くして惜しまれながら逝(ゆ)くのも偶然、私のように『へえ、まだ生きていますか』と呆れるくらい、はたから無視されようとどうしようと、いつまでも生き延びるのも偶然、と思っている」
と、書いた。
昭和57年10月中旬、軽い心臓発作を起こして入院したが、10月末には退院して、
「"ひょっとしたら、里見先生の心臓は2つあるんですかね。こんなに早く良くなるとは誠に不思議"・・・・と、若いお医者がこう言いやがるんだ。だからね。ボクの心臓は、とうの昔から『善心悪心』って、2つあるのは御存知あるまいな」
と軽妙な里見節を口にした。『善心悪心』とは彼の短編の題名である。
しかし翌58年正月にはいって風邪をひき鎌倉の病院に入院する羽目になった。
20日に漫画家の那須良輔が見舞いにゆくと、「もう飽きちゃったよ」といった。
彼の実家有島家には古くから人間の肝を乾かした人丹と称する秘薬があった。翌21日、肺炎を引き起こて容態が悪化してから、急ぎこれをとりよせてのませたが、効験はなかった。午後7時58分、眠るようにしずかに息をひきとった。
葬儀は、意志により、一切の宗教的儀式はおろか、香華(こうげ)すら廃された。

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