じじぃの「人の死にざま_104_朝永・振」

あの人に会いたい 朝永振一郎 SPYSEE
http://spysee.jp/%E6%9C%9D%E6%B0%B8%E6%8C%AF%E4%B8%80%E9%83%8E/612/
130921 NHKスペシャル 神の数式 第1回「この世は何からできているのか 〜天才たちの100年の苦闘〜」 動画 Youku
http://v.youku.com/v_show/id_XNjEzMjY3Mjk2.html
朝永振一郎ーくりこみ理論 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=hxdwLdPKJ6M
NHKスペシャル 「神の数式 第1回 この世は何からできているのか 〜天才たちの100年の苦闘〜」 2013年9月21日
2千年以上に及ぶ人類の思索の歴史。それは、全宇宙の謎を解く唯一無二の“神の数式”を追い求めた歴史でもあった。ニュートンアインシュタイン以来、科学者たちは「あらゆる自然現象は、最終的には一つの数式で説明できるはずだ」と信じてきたのだ。そして今年、ヒッグス粒子の発見によって、人類は“神の数式”の完成に向け、大きく前進しようとしている。この番組は、“神の数式”の探求に挑んだ天才たちの、苦悩と創造、ときには狂気さえはらんだ思索のドラマをビジュアル化することを目指す、野心的シリーズである。
第1回は、「なぜモノに重さ」があるのかという、素朴とも言える問いに挑んできた天才たちの物語。ヒッグス粒子の発見は、ノーベル賞を受賞した南部陽一郎博士らの「標準理論」と呼ばれる数式が、全ての物質を書き表す数式であるということを証明するものであった。その本質は、「もともと対称だった世界が、対称でなくなることで重さが生まれる」という奇想天外なものであった。あまりの大胆さ故に一度は葬られた南部博士の理論がどのようにして蘇り、ついには実験で確認されたのか、今年91歳になる南部博士らの証言ドキュメントと最新CGによって、知的興奮に満ちたドラマと斬新な世界観を描いていく。
ディラックシュレーディンガー朝永振一郎らによって解かれた正確な電磁気力の数式が歴史に刻まれることになりました」
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0921/index.html
『考える人 日本の科学者100人100冊』 新潮社 2009年発行
朝永振一郎 ふかふかの絨毯の上を素足で歩くような心地よい文章 【執筆者】竹内薫 (一部抜粋しています)
朝永振一郎は、世界的な物理学者であると同時に、文芸の才に秀でた「趣味人」でもある。
よく、同級生の湯川秀樹と比較されるが、湯川が世界的な脚光を浴びていたころ、朝永はドイツに留学中で、自らの研究は遅々として進まず、外国の文化にも馴染むことができず、その精神的な苦しみを綿々と日記に書き綴っている。ノーベル賞の受賞も湯川に遅れること16年、なまじ同級生であるだけに、その苦労のほどが察せられる。
ノーベル賞の受賞理由を振り返ってみると、なぜ、朝永が遅咲きの天才であったかが、よくわかる。「中間子」の予言という、直観的なひらめきが受賞に結びついた湯川と比べて、朝永の研究は「くりこみ理論」と呼ばれ、複雑で難解な計算が延々と続く。もともと、研究の完成も評価も時間がかかる質のものだったのだ。
私が学生の頃、朝永振一郎の随筆や量子力学の教科書は広く読まれていた。頭脳明晰なノーベル賞物理学者の文章は、理系オタクにありがちな論文調とはほど遠く、ふかふかの絨毯の上を素足で歩くような心地よさがあった。
そんな名文家の朝永の作品のなかで、私が今でも愛読しているのが『鏡の中の物理学』という小冊子だ。この本を読むと、物理学の世界が、いかに常識はずれで「ぶっ飛んでいる」かが理解できる。これまで体験したことのない知的世界が「腑に落ちる」瞬間は、まさに感激ものである。未読の方は、絶対に手にとってほしい本だ。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
朝永振一郎 (1906-1979) 73歳で死亡。
1965年(昭和40年)ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は、昭和53年5月ごろ、食事がのどにつかえる自覚症状があって、癌研附属病院で診察を受けた結果、医者に「のどにできものが出来ているから、放射線照射をしましょう」といわれたとき、ガンですか、と訊き返しもせず、ただ苦笑していたが、あとで、友人に「酒を飲みすぎてガの字にやられたよ」と語った。実際彼は食道ガンにとりつかれていたのである。
10月にはいって、主治医から「手術するなら今しかありません。ただし、手術は成功しても声が出なくなる確率は90パーセント以上あります」といわれた。
彼はこのころ『物理学とは何だろう?』と題する本を執筆中であった。結局手術することにしたが、そのとき息子に、この本について「未完成交響楽は未完成だからいいんだよ」といった。
そして、のどから食道に至る大手術を受けたが、果たせるかなその結果、声が出なくなった。手術2日目に、大平政権が誕生した。彼は息子の淳に「オオヒラニシュクデンヲウテ」と紙に書いた。淳が驚いて「大平さんを御存知なのですか」と訊き返すと、朝永は「ジョウダンダ」と書いた。
翌昭和54年7月8日10時40分、気管のガンから大出血を起こし、窒息して死亡した。

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【20世紀のきょう】朝永振一郎さんにノーベル物理学賞 2008.10.21 MSN産経ニュース
今年の受賞ラッシュで日本人のノーベル賞受賞者は計16人となった(うち1人は米国籍)。その2人目の受賞は東京教育大教授の朝永振一郎博士=当時(59)=だ。「くりこみ理論」の提唱で量子電気力学を発展させ、米学者と物理学賞を共同受賞。「最高の栄誉でうれしいけれど、まだなんとなく落ち着かない」。朝永博士は自宅に詰めかけた報道陣を前に、はにかみながら語った。
http://sankei.jp.msn.com/science/science/081021/scn0810210258000-n1.htm
【次代への名言】3月31日・朝永振一郎 2009.3.31 MSN産経ニュース
「科学を進めるもっとも基本的なものは、人間のいわば知的な好奇心といえるかと思うのであります」朝永振一郎(ともなが・しんいちろう))
 きょうは、昭和40(1965)年にノーベル物理学賞に輝いた朝永振一郎の誕生日である。冒頭は講演『科学と科学者』のなかの一文。「科学の伝道者」でもあった彼は別の講演で「自然法則を見つけようとする好奇心、これはやはり人間の本能に根ざしている、人間のもっとも人間らしい行為のひとつであると、私は考えたいのです」とも語っている。
 「科学者というのは普通の人間以上に矛盾に満ちた点がございます」−。こんなことばもある。というのも、科学の歴史をみると、論理的には破綻(はたん)のみえない学説が新学説によってひっくり返される、ということがひんぱんに起こる。科学の名において人間は、限られた認識のなかで学説をまとめなければならない。宇宙全体のことをすべて知った後でなければ学説ができないようでは「科学の役をなさない」からだ。彼はそれを「科学の、もって生まれた運命」と呼んだ。
 朝永は好奇心だけでなく、「相手が自分よりも優位に立つのではないか」という恐怖心もまた、科学をゆがんだ形で進歩させると考えるようになる。冷戦下の核兵器開発と軍拡競争である。彼にとってこの“発見”は、現代科学界における最大の「矛盾」であったにちがいない。
http://sankei.jp.msn.com/science/science/090331/scn0903310309000-n1.htm