じじぃの「人の死にざま_1120_A・サラム」

福嶋健二研究室 量子色力学クォークグルーオン・プラズマの研究 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=d5AbMKKwP1E
統一理論への道 B ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12962973
Abdus Salam 画像
http://en.academic.ru/pictures/enwiki/65/Abdus_Salam.jpg
ノーベル物理学賞でたどる標準理論100年の歴史 KEK
1960年ごろシェルドン・グラショー(米国)が電弱力に関する理論を提案、後にアブドゥス・サラム(パキスタン)とスティーヴン・ワインバーグ (米国)が発展させた電磁気力と弱い力を統合する理論は、ワインバーグ・サラム理論とも呼ばれ、3人は1979年にノーベル物理学賞を受賞。
http://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Highlights/20120727150000/
アブドゥス・サラム ウィキペディアWikipedia)より
アブドゥス・サラム(Abdus Salam)は、パキスタンの物理学者である。スティーヴン・ワインバーグやシェルドン・グラショウとともにワインバーグ・サラム理論を完成させ、これにより1979年のノーベル物理学賞を受賞した。

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ヒッグス粒子の発見』 イアン・サンプル/著、上原昌子/訳 ブルーバックス 2013年発行
名誉を分け合うべき男たち (一部抜粋しています)
ティーヴン・ワインバーグ(1933年〜)の論文が公表された翌1968年、インペリアル・カレッジ・ロンドンの理論物理学教授で、のちにイタリアにある国際理論物理学センター所長になったアブドゥス・サラム(1926〜1996)が、本質的には同じ理論を独自に発表した。ワインバーグとサラムがそれぞれに考え出した理論はいずれも、ブロンクス科学高校でワインバーグのクラスメートの1人だったシェルドン・グランショー(1932年〜)によって1961年になされた研究によく似た機構をもっていた。
グラショーは、電磁力と弱い力を一体化する理論の概略を書いていた。その理論はW粒子の存在を予測していたが、大切な部分を欠いていた。ヒッグス機構を含めていなかったのである。ヒッグス機構が学術誌に掲載されるには、まだ3年を待たなければならなかった時期で、ヒッグス機構なくしてグラショーの理論は機能しえなかった。
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今日では、ワインバーグとサラムがもうずいぶんと昔に書いた「電弱理論(ワインバーグ=サラム理論)」は、私たちがその存在を認識しているすべての素粒子の振る舞いを説明する「標準理論(標準模型)」における重要な基盤となっている。電弱理論の存在によって、標準理論に筋が通る。それはヒッグス機構が、クォークや電子を含む特定の素粒子に質量を与える際に、自然界でどのように働いているのかを明らかにしている。ワインバーグ以前、ヒッグスの理論は単に”見事なアイデア”にすぎなかったが、ワインバーグ以降は、物理学が質量を理解するうえでの中心的な存在になった。
ワインバーグの理論は、一夜にして物理学界に火をつけたわけではない。それにはそれなりの理由があった。科学者たちは、彼の理論が1940年代に量子電磁力学をほとんど沈没させたのと同じ問題に悩まされるのではないかと危惧していた。彼らが恐れたのは、「ある特定の状況下で、ワインバーグの理論が無限大を含む結果を量産するかもしれない」ということであった。
それは、尋常でないほどひんぱんに作用する素粒子を予見することを意味していた。そして、そのような素粒子の存在はありえなかった。リチャード・ファインマンは、量子電磁力学における無限大の問題を、「くりこみ」と呼ばれる技法を取り入れて解決した。ワインバーグは、同じことが自分の理論に起こる可能性があると確信していた。唯一の問題は、そのような問題をどうやって解決するか、まったくもって見当もつかないということだった。