じじぃの「人の生きざま_07_養老・孟司」

あの人に会いたい 養老孟司 SPYSEE
http://spysee.jp/%E9%A4%8A%E8%80%81%E5%AD%9F%E5%8F%B8/54104/
「食」を思う「農」を思う 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=7rnEOuBSpCg
いちばん大事なこと / 養老孟司 本 2012-07-29 ランスケ ダイアリー
それでは環境問題の解決法とは何か?
養老孟司は日本の里山に改めて注目する。
この辺りは、さすが虫ヤとしての本領発揮だ(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/toshiaki1982/e/5afcdd1903bfe9830c97b7552d978d31
ETV50 学ぶ冒険 〜もう一度見たい教育テレビ第4弾〜 教育テレビ 10月25日
【司会】ETV50応援団長 城島茂NHKアナウンサー 渡邊あゆみ
これまで教育テレビは、多くの知の巨人たちの言葉を記録してきました。
番組では、その中から、「学び」をテーマにした言葉を抽出するとともに、瀬戸内寂聴さん、蜷川幸雄さん、養老孟司さんの3人に、新たに「学ぶこと」についての語っていただきました。その言葉の数々を通して、「学ぶ冒険」という「時代を超える知」を浮かび上がらせていきます。また、それは、人生を豊かにし、誰もが使え、生きる糧となる珠玉の言葉となるでしょう。
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090910260030143/
養老孟司 ウィキペディアより
養老孟司(ようろうたけし 1937年11月11日 - )は、解剖学者。東京大学名誉教授。専門は解剖学。神奈川県鎌倉市出身。
【経歴】
1937年、神奈川県鎌倉市に小児科医・養老静江の次男として生まれる。ハリス記念鎌倉幼稚園、鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校東京大学医学部を卒業後、一年間のインターン(研修医)を経て1967年に東京大学大学院基礎医学で解剖学を専攻し博士課程を修了、1967年医学博士号を取得する。
【執筆活動】
2003年に出版した『バカの壁』(新潮社)は同年、ベストセラー第1位になり、毎日出版文化賞特別賞を受賞、さらに題名の「バカの壁」は新語・流行語大賞を受賞した。その後も同種の一般向け著書を数多く執筆している。
また、テレビ出演や講演会などを積極的にこなしている。

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『読まない力』 養老孟司 PHP新書 2009年発行 (一部抜粋しています)
「もはやそれまで」の先
2週間ほど、ロンドンの自然史博物館で昆虫の標本を観て過ごした。10ばかりの箱に詰まった虫の名前と顔を覚えるだけでも2週間が十分に潰れる。その箱が1000の桁あるから、たかが虫といってもたいへんなものである。
この博物館には、連日おびたたしい人数のお客さんが来る。家族連れ、とくに子どもが多い。恐竜の化石や、さまざまな生き物についての展示を見て回っている。昔風のディズニーランドといえばいいのだろうか。
私が子どものころには、こうした展示ではなく、野山で生き物を見て過ごした。さて、どちらが幸福だろうか。どちらが人のありうべき姿だろうか。
もちろん簡単な答えはない。むしろ、どちらを望むかであろう。しかし、子どもたちにとっては望むも望まないもない。与えられるだけである。
私が育った時代には、わが国はいわば発展途上国だった。だから逆に野山で生きものが追えた。老年になって、その私は、今度はそれを博物館で観察している。私の一生はそれでいい。しかし、いま博物館で育っていく子どもたちは、将来何を見ればいいのだろうか。
発展途上国と先進国の関係は、必ずしも国のあいだの関係ではない。人の成長のようなものである。子どもは発展途上で、大人はもはやそれまでである。
とはいえ、「もはやそれまで」という状況ばかりが存在することを、われわれは理想としてきたのではないか。さまざまな難点はあるが、これからが楽しみだ。そういう社会をつくり損ねてきた結果が、小子化であろう。
老人ばかりの社会で、これからが楽しみだとは、ふざけたことをいうな。そういわれそうだが、老人はまもなく死ぬ。そう思えばこれからが楽しみではないか。高齢化社会とは、むしろ未来が大きく開けることだ。そう思えばいいのではないか。
                                 『Voice』2006年6月
広島・長崎の意味
「原爆、やむなし」発言について、やっぱりやむをえなかったのではないかという意見が、あらためて出ている。私は原爆そのものについて、意見を述べたことはない。政治的な話題は嫌いだからである。でもどうせ人生の先行きは短いし、一言加えておこうと思った。
多くの人は忘れていると思うが、東海村で事故があり、関係者が何人か、入院加療後に死んだ。その一人の病状を私は詳しく知る機会があった。担当の医師が私の後輩で、説明してくれたからである。
その医師がなぜ私に患者の病状を説明したか。しなければ、いられなかったからである。もちろん守秘義務があろうから、単純に公にできない。それなら同じ医師という立場の先輩に語ろうとしたのであろう。癌末期の患者さんを診慣れた医師ですら、耐えきれない思いがあったのである。
結論をいえば、人間は他人をああいう目に遭わせていいのかというのが、原爆の倫理問題である。私はそう思っている。その話題が出ないのは、人びとが意外にそれを知らないし、知ろうとしないからであろう。広島、長崎を「知っている」日本人ですらそうなのだから、世界の人のことは簡単に想像できる。はっきりいうなら「わかっちゃいない」のである。
人間はどうせ死ぬ。それならどう死んだって、同じじゃないか。それをいうなら、誰でも死ぬ。それならどう生きたっていいのか。
ヒロシマナガサキがあったおかげで、じつはあのあと核戦争がなかったのだと私は思っている。その意味でなら、あの犠牲もムダではなかったかもしれない。もうそれを忘れかけているらしいから、老人としては一言、言い遺しておきたいと思った。
核爆弾の使用はすべてテロだ。国連はそう決議すべきであろう。禁止という言葉には具体性がない。つねに例外が生じてしまうからである。殺人と戦争の関係がそうであろう。
                                 『Voice』2007年10月

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養老孟司のデジタル昆虫記 nikkei BPnet
http://info.nikkeibp.co.jp/nbpp/epson/