じじぃの「受け容れられる人口容量・トランポリンの上の相撲?逆立ち日本論」

Why Some Countries Are Poor and Others Rich

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9-4V3HR696k&t=130s

Map of population density by country, per square kilometer

『逆立ち日本論』

養老孟司内田樹/著 新潮社 2007年発行

トランポリンの上の相撲 より

内田 アメリカやオーストリアの話にありましたけれど、環境に対する負荷が高いとそのあとはどうなってしまうのですか? 草がなくなってしまうとか?
養老 そうなのです。ヒツジの過放牧だと、ご存知のように草が一切なくなって、木も生えない状態になり、そのうちに羊も餓死ということになります。厳冬期のモンゴルで、ヒツジの大量死がありましたが、ああいう状況が起こってしまう。
内田 あれも牧羊が環境負荷の高い産業だったということの結果ですか。
養老 環境が私たちの生活を支えられなくなってしまうんです。また、環境というのは、今のように気候変動があってさまざまに変化しますから、悪化してしまうときときも当然あるわけです。
内田 悪化すると、今のライフスタイルも持続がむずかしいですね。
養老 自然環境をある程度維持しながら、日本のように人間が暮らしていくためには、その環境に適した人口の数値を考えていったほうがいいはずです。ただし、適正人口を計算する方法というのはきちんとできていないと思います。 今の日本は少子化だと騒がれています。でも、「何年にはこれくらいになる」という人口の概算だけは出されますが、それが果たして適正か適正でないかという議論はほとんど出てこないのです。
内田 このあいだ新聞で「人口容量(キャリングキャパシティ)」について書かれた記事を読みました。どのちちにもそこが受け容れられる人口容量の限界があり、1億3千万人という数値はすでに日本列島の人口容量を超えているのだから、少子化で抑制行動をとるのは生物として当然であるという主張でした。なるほどそうかと納得したんですけど。
養老 ぼくもそう思っているのです。「減ったらいけない」というけれど、「減ったらどういう問題が起こるのか」ということをきちんと議論しなくてはいけない。ぼくがいちばん危ないと思っているのはそこです。日米関係に関しても即物的に、平たく基本を考えないと身も蓋もない。そこがきちんとしていないと、そこから先の議論は、トランポリンの上の相撲みたいなものです。
内田 トランポリンの上の相撲とは、言い得て妙ですねえ(笑)。

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どうでもいい、じじぃの日記。
人口容量とは、「その国や社会が養うことのできる人口」のこと。
日本は、人口密度でいうとやや過剰でまあ、中国より高い。
しかし、中国の国土面積は日本の約25倍で、人口は日本の約10倍だ。
中国には、「中進国の罠(わな)」というのがあります。
これから中国はどうなるんでしょうか。