じじぃの「意識・朝三暮四・感覚を失いつつある人間?人間ってナンだ」

人間ってナンだ?超AI入門 第11回「老いる」

2019年3月21日 NHK Eテレ
【司会】徳井義実 【解説】松尾豊(東京大学 特任准教授) 【ゲスト】養老孟司(解剖学者)
誰しも避けられない老い。介護の現場には言葉にならない訴えを表情や動作から読み取るケアの達人がいるがその技術の伝承は難しい。その時AIはどんな助けをしてくれるのか?
AIが支える人の老い、その未来は?身体性を失い動物という存在から遊離していくかに見える人間はどう老いと向き合う? AIの壁は越えられるか?
徳井義実、「感覚を残しているというのは興味があるなしとは違うのか」
養老孟司、「少し違う」
松尾豊、「この人とこの人は同じというのとa=bと言ったとき、両方つながっているのか」
養老孟司、「少し違う。意識を作るときに感覚を下に置くというのを無くしたいのです。分かりたくないのです。それは倫理です。それが人間なのです。何でもありというのは原理がいくつもあり危ないことです」

経験を重ねることで人は多くのものを手に入れます。それは成長・進歩と呼ばれます。しかし、その過程で大事な感覚を失うとしたら、それは進歩なのでしょうか。

http://www4.nhk.or.jp/aibeginner/x/2019-03-21/31/24935/1723023/

養老孟司が死ぬ前に言っておきたい「たった一つの願い」

2018.02.10  現代ビジネス
養老孟司さんの最新刊『遺言。』(新潮新書)が発売された。ひと冬籠って書きあげた完全書き下ろしの本書に、養老さんが込めた思いを語ってくれた。

―数学でいう「a=bならばb=aである」。感覚に頼って生きている動物にはこれが理解できないという指摘は、当たり前のようでいて、斬新です。

例えば「朝三暮四」という言葉がある。猿に「どんぐりを朝に3つ、暮れに4つやる」と言うと少ないと怒ったが、「朝に4つ、暮れに3つやる」と言うと喜んだ、という中国の故事から、「結果は同じなのに、見かけにごまかされること」という意味がある。猿には、どちらも「同じ」ことだということが分からない。古代中国の人も、猿と人間のあいだの違いを知っていたわけです。

―なぜ意識は別々の物を「同じ」にまとめようとするのでしょうか。

これはね、脳がそうしようと思ったわけではなく、先に「同じにする」という能力ができちゃった。その典型が「言葉」です。我々は、目で文字を見ても、耳で言葉を聞いても、同じ日本語として理解できるでしょう。まったく異なる「視覚」と「聴覚」を同じものとして繋げたから、言語ができたのです。
機能的な説明をすると、人間の脳の視覚と聴覚の領域はかなり離れていて、その間の「連合野」という部分で、言語が発生する。ところが、チンパンジーなどの霊長類はこの連合野が狭いので、視覚と聴覚のそれぞれの独立性が高い。音と光をはっきり「別のもの」として分けるから、知覚への依存が大きくなるのです
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54411

どうでもいい、じじぃの日記。
サミュエル・スターンバーグ著『CRISPR (クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見』という本にこんなことが書かれていた。
「今日の生命倫理学が果たすべき最も重要な道義的目標は、このひと言に尽きる。『邪魔をするな』」
中国の研究者が主張している「ゲノム編集ベビー」が誕生した。
難病の人がゲノム編集で助かる。
一見、科学の進歩と思われるが、ジャンクDNAというのがあって思わぬ結果を生むことがありうるらしい。