じじぃの「科学・芸術_786_アメリカ500年史・神のいない文明世界」

Trust God to answer your prayer

ファンタジーランド(下) 狂気と幻想のアメリカ500年史』

カート・アンダーセン/著、山田美明、山田文/訳 東洋経済新報社 2019年発行

アメリカ”VS.”神のいない文明世界”――なぜアメリカは例外的なのか? より

アメリカの例外的な特徴の中でも紛れもない大きな特徴として、この調査(世界の信仰)を始めるきっかけになったのが、アメリカ人の信仰心である。この点において、先進国の中でアメリカに近いと言えるのは、宗教国家イスラエルと韓国だけだ。韓国は、わずか2、3世代の間に、きわめて貧しい国からきわめて裕福な国へと発展した。そのため、魔術や迷信が残っていても驚くにはあたらない。この国が存在するのはアメリカのおかげだが、アメリカと同様にプロテスタントが異様に多いのも、アメリカによるところが大きい。ロサンゼルスのペンテコステ派聖霊運動からうまれた教団)教会の設立に携わった伝道師は、ソウルにも初期教会を設立した。その後1950年代になると、アメリカ陸軍の従軍牧師を通じてペンテコステ派の伝道師の一団が韓国を訪れ、さらに教会を増やした。その結果、現在では韓国人のおよそ10分の1がペンテコステ派かカリスマ派だ。この割合は、先進国や東アジアでは異常なほど高く、アメリカに次いで世界第2位である。ただし、アメリカとの差はかなりある。
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国際的な調査会社イプソスが2011年に23ヵ国の市民を対象に行った調査も、同様の結果を示している。これによると、天国や地獄の存在を信じる国民の割合がアメリカより高かったのは、インドネシア南アフリカ、トルコの3ヵ国だけだった。アメリカでは来世に対する信仰が、メキシコやブラジル、サウジアラビアよりも広まっているのである。また、アメリカ人の過半数が、何らかの形で悪魔が実在すると考えている。だがフィリピンなど、キリスト教が支配的なほかのどの国を見ても、悪魔の存在を信じているのはごく少数でしかない。
聖書は「本当に神の言葉であり、一言一句文字どおりに解釈しなければならない」のだろうか? アメリカでは国民の4分の1がそう考えているが、ほかの先進国では4~10パーセントに過ぎない。では、神は最初から現在のような姿の人間を創造したのだろうか? 中進国以上の34ヵ国で進化論を受け入れているかを調査したところ、アメリカでは進化論を受け入れている国民の割合がきわめて低く、下から2番目だった(最下位はトルコ)。進化論の受け入れについては、20数ヵ国を対象にした別の調査もあるが、これを見てもアメリカの数値は低く、アメリカより下位にいるのは、南アメリカやブラジルのほか、イスラム圏の3ヵ国だけである。
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確かに、ヨーロッパやカナダにも、カリスマ派やペンテコステ派の教会はあるが、その数はきわめて少ない。それは、衰退したノルウェー国教会などの宗教組織が頑固に独占を維持しているからではない。アメリカを除く先進国では、宗教という製品が売れないだ。
それに、独占的な国家宗教が信仰心をそそぐというのなら、カトリックの国では教会に通う人や祈りを唱える人の割合は高い事実や、イスラム教を国教とする国では信仰が盛んな事実をどう説明すればいいのだろう? 政府の迫害がなければ信仰心は自由に燃え上がるというのなら、共産主義政権下のポーランドカトリック信仰の炎が力強く燃え続けた事実や、アメリカ建国当時の困難な時代にモルモン教が成功を収めた事実をどう説明すればいいのだろう?
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経済学者は、このきわめて特殊な経済的難問の回答を持ち合わせていない。ほとんどの国では、経済が発展し、生活上の安心感が高まるにつれ、宗教的信仰は薄れていくが、アメリカはそうならない。ハーバード大学政治学者ピッパ・ノリスとミシガン大学政治学者ロナルド・イングルハートは、共著『Sacred and Secular: Religion and Politics Worldwide(聖と俗――世界の宗教と政治)』の中でこう述べている。「宗教は、貧しい国や破綻した国など、不安定な生活を送る民衆の間で根強く存続する。逆に、裕福な国の富裕層の間では、宗教的慣習・価値観・信念が次第に失われていく」。
この難問に取り組んでいる学者の大半が、学者であるがゆえに自分の領分にとどまり、偏った推測や直観に頼らないよう求められるあまり、重要な要素を見逃してしまっている。その要素とは、何ごとも信じやすいというアメリカ人特有の性質であり、それが本書のテーマである。
トクヴィルの記述によれば、1830年代の典型的アメリカ人が製造や販売の手を休めて非現実的な思考にふけるのは、「礼拝の折りに(中略)一時的に取り乱した状態で天に目を向ける」ときだけだった。それから2世紀が過ぎ、新世界には開拓すべき森林も辺境もなくなり、生活は日増しに楽になった。(最貧困層の中には、過去数十年間でますます希望がなくなったという人もいるかもしれないが)。

それなのにアメリカ人は、ときどき天に目を向けていたのをやめるどころか、さらに熱狂的な視線で天をじっと凝視するようになった。