じじぃの「都市化社会・究極の進化は死を否定すること?ヒトはなぜゴキブリを嫌うのか」

Insect Home Pet: Madagascar Hissing Cocroach

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HoEdH-QfFbA

Cocroach (ゴキブリ)

読書メーター ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?~脳化社会の生き方~ (扶桑社新書)

感想・レビュー
所々が脳や神経の話で、うっとなってしまった。タイトルに惹かれて手に取ったものの、該当するのは1割にも満たないか。 とは言え、とても楽しく読めた。
タイトルにもある、やつが嫌われる背景には都市化と自然の相容れぬ関係性があることがわかった。確かに人間が管理するものの中にイレギュラーな存在があることは好まれないのだろう。ムダ毛の存在も同じような理由で忌み嫌われる存在であるというのも納得である。 そして、人はものである、という考えも非常に興味深い。なにをもってしてものでないかと問われれば、明確に答えられない。
https://bookmeter.com/books/13559931

『ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?~脳化社会の生き方~』

養老孟司/著 扶養社 2019年発行

人間は、意識だけで生きているわけではない より

森を削っていく過程が中世から現代に至るヨーロッパの歴史であって、19世紀の終わりにはヨーロッパは森を削り終っています。ポーランドに森林性の野牛が最後に生き残っていましたのが19世紀末です。
そういう形で森を削っていくわけですが、森に住むヒトというのも当然いたわけであって、中世に森に住んでいた人たちは、これはグリム童話でもお読みになればすぐわかりますが、魔物です。つまりヘンデルとグレーテルの魔女は森に住んでいますし、赤ずきんのオオカミは人語を解する、人の言葉を話しますが、オオカミです。
森に住む人は都市に住む人とまったく違うルールで生きているわけであって、おとぎ話を書く、書き残す人たちはどちらかといえば都市の人ですから、したがって森に住む人たちはその人たちにとっては人ではない、何らかの意味で魔物でした。
ですから、そう考えますとこういうルールというのは世界じゅうどこでも同じ、歴史上どこでも同じように見えてまいります。
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先ほどゆとりとどういう関係があるかと申し上げたのですが、じつは都市化というのはそういう意味で徹底的に人間の意識が優先していく世界ですから、意識の中にないことはなくなっていく世界です。
ですからそこでゆとりがなくなってくるように見えるのは私からみれば当たり前です。なぜなら人間というのは意識だけでできているわけじゃない。いつか確実に何かの病気でお亡くなりになるわけであって、そうしますとですね、それ以前のことをいくら一生懸命考えてみても、いずれは死んじゃうよ、というところが抜けちゃっているわけです。そうするとそれはゆとりになりません。つまり基本的に私どもは意識の世界に住み着くというくせをつけてしまった。
そのほうが意識にとっては居心地がいいわけで、なぜならばそういう世界にはゴキブリがいないからです。ですから、あのゴキブリを追っかける執念というのは私は非常に興味があるのでいつも見ています。どうしてあんなか弱い生き物が気に入らないのかなあと思って見ていますが、しかしそれはやっぱり、その裏には非常に深い、何か根の深いものがあってですね、もしそういうものを容認すると、つまりゴキブリのような存在を容認いたしますと、私どもは自分たちがつくり上げてきた、いわゆる近代文明、高度先進社会というものを否定すること、根こそぎ否定するようなことにあると思っているんじゃないかという気がいたします。それはすなわちゴキブリが自然の象徴になっているということです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
人間はなぜ、ゴキブリを嫌うのか?
哺乳類の寿命は心拍数で決まっていて、総心拍数は20~23億回との関係式がある。
ネズミの寿命は約4年(心拍数は毎分約600回)、ゾウの寿命は約70年(心拍数は毎分約40回)。
人間の寿命は、心拍数(毎分60~100回)から見ると30歳ぐらいだ。
今現在人間の寿命は80歳ぐらいだ。
人間の場合は、生活様式が都市化し、食べ物や医学が進歩したために寿命が延びた。
人間の進化を寿命で捉えると、だんだん「死」を遠ざけてきた歴史にも見える。
「それはすなわちゴキブリが自然の象徴になっているということです」
あの黒くテカったゴキブリが、「死」のようなものと捉えると、
「出てきたな。この~、ゴキブリ野郎め!」と、なるのだろうか。