じじぃの「科学・芸術_704_アボリジニの芸術・ソングライン」

What are song lines? 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kVOG-RKTFIo
Songlines: Aboriginal Art

オーストラリア先住民アボリジニとは?⑪ 「ドリームタイムと法とソングライン」
ソングラインとは、天地創造の精霊の活動の痕跡(川や丘、谷、泉など)や、神聖とされる場所や土地の位置関係を示す情報を指し、歌やアートによって代々伝承されている。
部族固有のソングラインもあれば、言語の異なる複数の部族に共通して伝わるソングラインも存在する(多い物で、6〜10の部族にまたがる)。言葉は通じなくとも、歌やリズム、音の響きで理解し合えるのだという。特別なソングラインは、複数の部族が集まる大きな集会で頻繁に用いられるという。
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『終わりと始まり 2.0』 池澤夏樹/著 朝日新聞出版 2018年発行
アボリジニの芸術 より
「文明」では最も大事な「都市」のイメージが伝わらない。人間は農耕を始めて余剰な食糧を得、農業から解放された人々が集まって都市を作った。人間とモノの高密度が知的な進歩を促した。今の都市は縦方向にも伸びて、農村よりも何桁も大きい人口密度を実現しているし、それを我々は通勤電車で体験している。
古代以来さまざまな都市が栄えたが、どこもいずれは消滅した。問題はエネルギーで、薪を使っていれば周囲の森を使い尽くしたところで都市の寿命は終わる。現代人がなおも原発に頼るか太陽光や風力に移行するか、悩んでいるのも、これが我らの命運を左右するからだ。
数万年前から文明に依(よ)らずに生きてきた人たちがいる。オーストラリアのアボリジニ(先住民)。
彼らは遠い昔にあの大陸に渡り、その後は地殻変動で他の地域から隔離されたまま、延々と世代を重ねてきた。
雨が少ない土地なので農耕はむずかしい。狩猟採集で生きることになるけれども、密度が薄いので移動を続けなければ充分な食糧が得られない。オーストラリアには馬やラクダやリャマのような駄獣がいなかったので、人は持てるだけのものを持って旅を続けた。都市とも文明とも無縁な歴史。
その代わりにかどうか、彼らはとても精緻で壮大な神話体系を作り上げた。世界解釈としての神話である。世界は遠い過去に創造されたのではなく、人間の動きと共に今も創造されつつあり、それは未来へも続く。
大事なのは人間と土地の絆だ。すべての土地に固有の神話があって、人間はいわばそれを鋤(す)き返しながら旅をする。そのルートは歌で記憶されるからソングラインと呼ばれる。
更に彼らは絵画に長(た)けていた。今も多くの岩壁画が残っていて、その規模と完成度と創造性は目を見張るほど。文明がなくとも芸術は生まれる。芸術は人間そのものに属しているから。
何万年にも亘(わた)る彼らの生活を壊したのはイギリス人だった。「文明」を持ち込み、アボリジニを蔑視し、定住を強い、子どもたちを親から隔離した。彼らを二級の国民の身分に押し込めた。
事態が変わったのは、1967年に市民権が認められてからだ。2008年にはケヴィン・ラッド首相は彼らに公式に謝罪した。この間に彼らの人口は30万から70万まで増えた。教育水準も高まり、例えば医師になる者まで増えて、人口比ではオーストラリアの平均を凌(しの)ぐという。
彼らの地位回復を支えたものの1つに絵の才能がある。優れた画家が輩出し、世界中の美術愛好家の注目を集めた。伝統的な様式とアクリル絵具の出会いが見事な花を咲かせた。1906年、ある男が北の牧草地から南の食肉市場まで1本の道を造ろうと思い立った。鉱山労働者の食糧として牛を追って運ぶ1850キロの道で、この男の名をとって「キャニング牛追いルート」と呼ばれた。
この道は途中、多くのアボリジニの聖地を縦断するもので、さまざまな軋轢(あつれき)を生み、弾圧を生んだ。
ほぼ100年たって、この歴史をアート活動で際限しようと、「ワンロード」という企画が実行された。アボリジニのアーティストが参加して、みんなで絵を描きながらこのルートを辿(たど)って旅をする。絵はそのまま父祖の記憶であり、神話である。