じじぃの「科学・芸術_988_中国でいま何が・過酷な農村の現実」

Chinese farmer and his 70,000 chickens become online celebrities

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aWjYLYulALs

china farmer

「中所得の罠」の兆候を見せる中国― 問われる社会の安定性 ―

RIETI
「中所得の罠」は、世界銀行が2007年に発表した「東アジアのルネッサンス」という報告書において提示した概念である。ある国が1人当たり所得が世界の中レベルに達した後、発展戦略及び発展パターンの転換を順調に実現できなかったために、新たな成長の原動力(特に内在的な原動力)不足を招き、経済が長期にわたって低迷することを指す。「中所得の罠」に陥った国々に共通した特徴として、余剰労働力の減少、産業高度化の停滞、貧富格差の拡大といった、それまで蓄積された成長制約要因が一気に顕在化することが挙げられる。
また、都市と農村との格差が拡大している一方で、都市問題も深刻化している。大都市はりっぱな外観ができても、不動産の高騰、就職難、医療費と教育費の高騰、老後の不安、生活環境の悪化、食品安全などの問題が山積している。政府の歳出に占める社会保障社会福祉の割合は、ヨーロッパが約50%、アメリカが約30%に上るのに対して、中国は15%にとどまっている。農村地域の社会保障は未だに未整備のままである。「2010年第6次全国人口センサス」によると、中国の都市人口は全人口の49.6%に達している。しかし、多くの出稼ぎ労働者は、まだ移住先の戸籍を取得できておらず、本当の意味での都市住民にはなっていない。このように、都市部では、都市戸籍の住民と農村戸籍の出稼ぎ労働者といった二重構造が形成されている。
https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/121001kaikaku.html

『中国でいま何が起きているのか』

邱海涛/著 徳間書店 2019年発行

過酷な農村の現実 より

「族法」が支配する農村部

中国の農家はなぜ貧しいのだろうか。筆者に言われれば、いまの社会制度に欠陥があるからである。
日本の農家の生活が徹底的に変ったのは、1945年の終戦後からである。明治維新から敗戦まで、80年近くにわたって日本の農家は貧乏で地位が低く、現在の中国とさほど変わらなかった。しかし、戦後の土地改革によってがらりと変ったのである。社会制度の改革がいかに重要か、うかがい知れるだろう。
中国は、都市部の人間と農村部の人間という2種類の国民がいて、「二元社会」と呼ばれる国である。両者の格差は深刻であり、前者は「全民所有制」という環境のなかで、後者は「集団所有制」という環境のなかで暮らしている(ここの「集団」とは「村」という意味だと考えればいい)。
「全民所有制」とは、工場、橋、道路、オフィスビルなど、全国都市部のすべてのものは都市部の人減に所有権があるとするものだ。それに対して、「集団所有制」とは、田畑、山、森、地下資源など、全国農村部のすべてのものは農村部の人減に所有権があるとする。
両者の違いについて、もう少しわかりやすく説明しておこう。
まず、都市部の労働者には労働組合があるのに対して、農村部には農業協同組合(農協)のような団体はない。中国では「農民蜂起」などによって時の朝廷が倒されてきた歴史があるため、農民組織の結成は警戒されているのだ。
また、都市部の人間がマイホームに住み、不動産権利書をもっているのに対して、農民たちには自分の家はない。住んでいる家屋(中国語では「宅基地」と呼ばれる)は村から借りたもので、集団所有制の財産になっている。だから、私有財産ではない。
加えて、前述したように、医療保険制度がまったく違う。農村部では、病院が少ないし、医療水準も低い。福祉は目だって遅れている。
さらに重要な点は、法的環境の違いである。農村の権利は非常に侵害されやすいのである。
都市住民の場合、日常生活において、とくに政府との関係を意識する必要はなく、いちいち政府の顔を見て暮らしているわけではない。また、誰かの意思によって生活が左右されることもない。だから、権利侵害が起こりにくい。トラブルがあれば、裁判所に訴えればいい。
しかし、農村部では違う。村長がすべてを管理しているのだ。村長は自主選挙で選ばれるため、政府の役人ではない。つまり、農村部は自然生活集団のよなもので、「族法」が支配している空間だといえる。言い換えると、村長の意思が法律なのだ。だから、権利侵害が起こりやすい。
村長を訴えることもできるが、勝訴の可能性はほとんどない。選挙といっても、賄賂など裏での不正操作が蔓延しており、社会問題となっている。
中国の農家の貧困は、まさにこの集団所有制が大きな原因となっている。
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たとえば、村にある山をどこかの会社に貸し出すとする。通常、その決定は村長、または、村民委員会が討議を経て多数決で決定することになるが、この場合、村民個人の権利は無視される。
このような環境では、農家が積極的に生産しようという意欲がまったく生まれなくなる。だから、集団所有制は非合理で、市場経済のルールから逸脱しているといえる。村民個人が権利を使用できず、譲渡も売買もできないので、いつまで経っても豊かになれないのだ。