じじぃの「ちょっとブータン」考

ブータン 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ブータンは、南アジアにある国家。正式名称はブータン王国。インドと中国にはさまれている、世界唯一のチベット仏教を国教とする王国。民族はチベット系8割、ネパール系2割。公用語はゾンカ語と英語。
急速な近代化(欧米化)の中で、近代化の速度をコントロールしつつ、独自の立場や伝統を守ろうとする政治に世界的な注目が集まっている。前国王が提唱した国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念、さまざまな環境政策、伝統文化保持(隣国のシッキム王国{現シッキム州}のインドへの併合経緯に由来する、ブータン族優位政策の一環)のための国民に対する民族衣装着用の強制などが、近年のスローライフなどのキーワードと組み合わされて語られる場合も多い。
国旗はかなり複雑なもののひとつで、竜のうろこが細かく書かれている。 国花はメコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ、国獣はターキン、国鳥はワタリガラス
【日本との関係】
・1964年当時のブータンの農業の収穫は非常に少ないもので、状況を改善すべく海外技術協力事業団(現・国際協力機構)は農業技術者として西岡京治を派遣、翌年の65年にはたくさんの収穫を得た。その後もブータン農業の改善に尽くした西岡は1980年に国王から「ダショー(最高の人)」の称号を授与され、1992年に没するまでブータンで仕事を続けた。
・1988年以降、青年海外協力隊が派遣されている。
・1989年、昭和天皇崩御の際には一ヵ月間喪に服した。
・1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が昭和天皇大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で、数人の供を連れて来日した。他の国の首脳の多くが、日本から経済的な協力を得るために葬儀の前後に日本政府首脳と会談した。しかし、ブータン国王はこうした「弔問外交」を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。新聞記者が理由を尋ねると、国王は「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えた。一方、日本政府はブータンの正装である「刀」を銃刀法違反として預かったため、国王は丸腰のまま葬儀に列席した。ブータン国民は、平民のような姿にされた国王の姿を見て嘆き悲しんだ。
・2008年4月10日、日本サッカー協会は、サッカーブータン代表監督として、行徳浩二を派遣すると発表した。アジア各国・地域へ指導者らを派遣する貢献事業の一環で、ブータン協会から要請を受けた。契約期間は2009年1月末まで。
地球温暖化氷河湖決壊問題】
ブータンでは近年、地球温暖化による氷河湖決壊大災害が危惧されている。1994年10月にはラフストレン氷河湖付近のルゲ氷河湖が決壊し、古都プナカに土石水流が押し寄せた。
ヒマラヤ地域では毎年0.1度ずつ気温が上昇しており、このままでは28年後にはヒマラヤの氷河がすべて融解するとした国連報告書が2007年に公表された。ブータン北部には氷河湖が約2670あり、早期の決壊危険性がある湖は25ある。決壊した氷河湖は、河川沿いに高度差7000メートルで一気に、インド東部やバングラデシュなど周辺国にも流れ落ちる。
ブータンのキンザン・ドルジ首相は、「ヒマラヤの氷河がこれまでにないスピードで解け始めている。わが国北部の氷河湖が決壊する危険も高まっており、決壊を防ぐための早急な技術・財政支援を先進国に求めるほかない」と、2007年インドネシアで開催された気候変動枠組条約COP13会議に期待を寄せた。

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ねずきちの ひとりごと 最高の栄誉をもらった日本人
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文藝春秋 10月号
特別企画 不安な時代の人生読本 一度は田舎に帰って畑を耕そう 【執筆】解剖学者 養老孟司 (一部抜粋しています)
サラリーマンが定年を迎えると、やることがない。何を目標に生きていったらいいかわからない。まじめな人ほどそういう不安をおぼえるんでしょうが、もっとラクに考えてもいいんじゃないでしょうか。
57歳で東大医学部を辞めました。翌日、空がふだんの2倍は明るく見えました。どだい仕事なんて見過ぎ世過ぎ。これからは虫取りだけしていればいいんだと思ったら、たまらなく楽しくなったのです。
不況で暮らしていけなくなるのではないか、という心配も同じでしょう。カネがなくても死なないが、食べるものがなければ死ぬ。私たちは、カネがあっても食料の買えない時代があったのを知っている最後の世代です。しょせんカネなどインフレになれば吹っ飛んでしまう。
孟子の有名な言葉に、「恒産なき者は恒心なし」というのがあります。恒心は現代風にいえば「精神の安定」でしょうが、恒産をカネと考えるのは間違っていると思います。日本にあてはめると、山、森、畑、水といった自然こそが「恒産」にあたるのではないでしょうか。それを失った人間は、都会の人になるしかない。そうなると組織に依存するしかなく、定年になって組織から離れると不安になるというわけでしょう。
団塊世代は、日本が都市化する中で働き口を求めてどんどん都会に出て行った。しかし、今こそ田舎に帰って畑を耕してみてはどうでしょうか。
人間が最低限の生活保障を受ける、というのは別に最低賃金がどうとかといったことではないと思います。衣食住が確保されて、いざとなれば自分でそれらを生産できる手段をもっているということでしょう。
その価値観で見ると、都会は貧乏きわまりない。クルマに乗ったり、マンションに住んだりして贅沢したつもりになっているけれど、そんなもの徒花に過ぎないんじゃありませんか。
ヒマラヤの麓にブータンという国があります。九州と同じぐらいの広さに、鳥取県より少し多いぐらいの66万人が暮らしている。1人あたりの国民所得は年間17万円程度。世界最貧国のひとつです。しかしそこの若い国王は、「わが国の目標はGNPではなくGNH(グロス・ナショナル・ハピネス)だ」と胸を張っている。べつに負け惜しみではないと思います。
私も行ったことがありますが、ああいうところに行くと気分がのんびりして体にいい。一緒に行った人たちも、東京にいるとこか具合が悪いが、ブータンにきたら治った、といっていました。

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英レスター大学による幸福度ランキング 2006年、178ヵ国の経済−医療などのデータを分析
世界で一番幸せな国は?
   1.デンマーク
   2.スイス
   3.オーストリア
   4.アイスランド
   5.バハマ
   6.フィンランド
   7.スウェーデン
   8.ブータン
   9.ブルネイ
 10.カナダ
 23.アメリ
 26.オーストラリア
 35.ドイツ
 41.イギリス
 62.フランス
 68.台湾
 81.ブラジル
 82.中国
 90.日本
102.韓国
125.インド
167.ロシア
177.ジンバブエ
178.ブルンジ
http://matinoakari.net/news/item_58954.html
どうでもいい、じじぃの日記。
文藝春秋』 10月号、養老孟司さんの「一度は田舎に帰って畑を耕そう」を読んでいたらブータンが出てきた。
ネットで「ブータン」をキーにして検索したら、。「日本に似ていて懐かしい」ところらしい。
http://www.kaze-travel.co.jp/butan/butan_point004_1.html
「世界一幸せな国」として世界から注目を集めています。というのもあった。
癒しの国なのだろうか。
こういう国に、早くから行っておけば、人生観も変わっていたかもしれない。