じじぃの「人の死にざま_64_イエス・キリスト」

イエス・キリスト - あのひと検索 SPYSEE
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聖書! イエスキリストの生涯 動画 YouTube
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知ってるつもり?!イエス・キリスト』1/8 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JEoIDqNnYEo
新約聖書とイエスの歴史的受容 ウィキペディアWikipedia)より
この記事では、歴史的観点からみた「信仰のイエス」を描く。これは「史的イエス」とも異なり、またクリスチャンによるイエス像とも異なる。例えば、マタイがどのようにイエスを描き出しているか、そういうことが問題となる。
新約聖書とイエス
新約聖書は、伝統的にイエスの言行を弟子たちが記録したものだといわれている。彼がもたらしたさまざまな「奇跡」が、彼がキリスト教において「救世主」「神の子」とみなされる大きな理由にもなっている。
【イエス伝承】
荒野での試練を終えた後、イエスは、ガリラヤで宣教をはじめた。宣教活動のなかで、弟子を集め、ルカによれば、そのなかでも優れた12人の弟子を選び、特権を与えた。かれらは十二使徒と呼ばれる。様々の地域で布教活動をした後、エルサレムに赴く。受難と復活を予言し、弟子たちに自らの栄光を示す。
【イエスの位置付け】
「イエス」と「キリスト」は、キリスト教成立以前の時代には別個の概念であった。
キリスト教ではイエスをキリストであると考えるが、イエスの神性を巡る位置づけに対しては、教派によって考えが異なる。多くのキリスト教会では、三位一体説を支持し、「父なる神」「子なるキリスト」、「聖霊」の三位格は本質において同一のものであると考えるが、三位一体説を退け、キリストに神性を認めない教会もある。
エスは、キリスト教の他にいくつかの宗教においても、なんらかの役割を果たしている。
ユダヤ教の主流派では、イエスをメシア(=キリスト)とは認めておらず、また預言者でもないとする。メシアはまだ現れていないとし、その来臨を待望している。しかし少数派であるがメシアニック・ジュダイズムのユダヤ教徒はイエスをメシアと受け入れている。

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『目からウロコの世界史』 島崎晋 著  PHP文庫
救世主−−キリストを待ちこがれる人々 (一部抜粋しています)
なぜ磔刑(たっけい)に処されたのか
ユダヤ人最大の祭りに過越(すぎこし)の祭りがある。エジプトで奴隷生活を味わった先祖の苦労をしのぶものである。イエスはその祭の直前にエルサレムに姿をあらわした。そして祭りの当夜に逮捕され、裁判の結果、ゴルゴダの丘で十字架にかけられ処刑されたのである。
エスの刑死について伝える史料は、『新約聖書』を除けばローマの歴史家タキトゥス(1世紀末〜2世紀前半)の『年代記』だけで、それもただ「ピラトゥスによって処刑された」とあるのみである。ピラトゥスは26年から36年にかけてローマ帝国ユダヤ総督をつとめた人物である。エルサレムを含むユダヤ地方は起源6年より、属州として帝国の直接支配下に入れられていた。
ほかに史料がない以上、『新約聖書』に頼るしかない。それによれば、イエスを捕まえたのはユダヤ人の宗教指導者たちであり、かれらは救世主を自認したしたイエスを神への冒涜(ぼうとく)の罪にあたるとして死刑を言いわたした。しかしローマの主権下ではかれらに処刑執行の権限はない。そこで、総督ピラトゥスに求めて十字架刑に処したとある。この聖書の記述には多くの疑問点が指摘されているが、当時のユダヤ法、ローマ法、それに属州総督の権限などから類推して、史実からそうは離れていないようだ。
新約聖書』によれば、イエスは3日後に蘇(よみがえ)った。十字架上でいったん死んだのは、アダムとエバ以来の人間の原罪を一身に背負って購(あがな)うためであったというのだ。ここに、復活したイエスを救世主とするキリスト教が誕生したのである。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店 (一部抜粋しています)
キリスト (前4頃-28・推定) 32歳で死亡。
エス降誕の年を西暦元年としたということになっているのだが、実際にキリストが生まれたのは紀元前4年という。死んだ年も西暦30年という説もある。あいまいなること日本の「起元説」と五十歩百歩である。
とにかく、エルサレムでパリサイ党や祭司階級の宗教を批判し、ユダに密告されて捕まえられ、4月7日昼過ぎ、ゴルゴダの丘の上で十字架にかけられ、午後3時ごろ死んだ。
「昼の12時より地の上あまねく暗くなって3時に及ぶ。3時ごろイエス大声を叫びて、『エリ、エリ、レマ、サバクタニと言い給えり。わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給いし、との意(こころ)なり(中略)イエス再び大声に呼(よば)わりて息絶え給う」(『マタイ伝』)

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エルサレム聖書の世界旅
http://www.geocities.jp/sugi_joy/joy-lands/israel/elsarembible.html
エリ・エリ・レマ・サバクタニ
http://www.vap.co.jp/elieli/top.htm
エスの言葉
「右の頬をぶたれたら、左の頬も差し出しなさい」
意味。腹を立てて殴り返すのではなく もう片方の頬もぶたせることで相手にその愚かさを気付かせるということ。