じじぃの「人の死にざま_62_樋口・一葉」

樋口一葉 - あのひと検索 SPYSEE
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美空ひばり  映画「たけくらべ」のワン・シーン 動画 YouTube
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たけくらべ 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
たけくらべ』は、明治の小説家樋口一葉の短編小説。1895年(明治28年)から翌年まで「文学界」に断続的に連載(文学界雑誌社、第25〜27号、32号、35号〜37号)。1896年(明治29年)4月10日、「文芸倶楽部」(博文館、第二巻第5号)に一括掲載された。
吉原の廓に住む14歳の少女美登利と運命の少年藤本信如との恋を中心に、東京の子供たちの生活を吉原を背景に描き出した作品。
【あらすじ】
勝気な少女美登利はゆくゆくは遊女になる運命をもつ少女である。 対して龍華寺僧侶の息子信如は、俗物的な父を恥じる内向的な少年である。 美登利と信如は同じ学校に通っているが、あることがきっかけでお互い話し掛けられなくなってしまう。
当時吉原の遊郭は、鳶の頭の子長吉を中心とした集団と、 金貸しの子正太郎を中心とした集団に分かれ対立していた。 夏祭りの日、長吉ら横町組の集団は、 横町に住みながら表町組に入っている三五郎を正太郎の代わりに暴行する。 美登利はこれに怒るが、長吉に罵倒され屈辱を受ける。
ある日、信如が美登利の家の前を通りかかったとき下駄の鼻緒を切ってしまう。 美登利は信如と気づかずに近付くが、これに気づくと、恥じらいながらも端切れを信如に向かって投げる。 だが信如はこれを受け取らず去って行く。美登利は悲しむが、やがて信如が僧侶の学校に入ることを聞く。 その後美登利は寂しい毎日を送るが、ある朝水仙が家の窓に差し込まれているのを見て懐かしく思う。 この日信如は僧侶の学校に入った。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店 (一部抜粋しています)
樋口一葉 (1872-1896) 24歳で死亡。
前年「文学界」に連載された『たけくらべ』を、金に困った一葉は、出版社の社長大橋乙羽に頼んで、明治29年5月「文芸倶楽部」に一括して再掲載してもらった。連載中はさして評判にもならなかったこの作品は、鴎外か「われは縦令(たとい)世の人に一葉崇拝の嘲(あざけり)を受けんまでも、此人(このひと)にまことの詩人といいう称をおくることを惜しまざるなり」、露伴から「多くの批評家多くの小説家に、此あたり文字56時ずつ技倆上達の霊符として飲ませたきものなり」という絶賛を受け、俄然一葉は一朝にして普及の名を得ることになった。
しかし彼女はすでに胸を病んで、その年のうちにこの世を去る運命にあった。のちに正宗白鳥は書く。「この一編を残し得ないで死んでいたなら彼女の名声に大関係を及ぼしたのである。危ないところであった」
その年、11月3日、彦根中学教師馬場勝弥は、上京のついでに丸山福山町樋口一葉を見舞った。
一葉は髪が乱れたままで寝ていた。頬には異様な赤味があった。
馬場は、「冬休みにまた上京しますから、そのときまた参りましょう」といった。すると一葉は、苦しそうな声でうめくように、「その時分には、私は何になっていましょう、石にでもなっていましょうか」と切れ切れにいった。
20日後の11月23日、彼女は死んだ。
露伴はいう。「惜しい哉(かな)、一葉が卵殻を出て一葉になってから、即ち一葉が一葉になってから生存した歳月は余りにも短かった。其の難事の病を得て死に臨んだ時、今死んでは口惜(くや)しい、と云ったという彼女の言葉は、真に彼女の胸中の情を語ったものだろう。何という悲痛の叫びであろう、其の一語を伝聞した当時の黙然たる自分の思いは今も猶其(その)人を思う」ごとに自分の胸中に湧(わき)上る」

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一葉記念館(樋口一葉
http://www.taitocity.net/taito/ichiyo/
【次代への名言】2月20日・樋口一葉 2009.2.20 MSN産経ニュース
「我れは女なり いかにおもへることありともそハ世に行ふべき事かあらぬか」樋口一葉
明治29(1896)年のきょう、東京は春雪に見舞われた。昼ごろだろうか、樋口一葉は文机のうえで、うたたねをしていた。日記『ミつ(水)の上』に、「指折り数えてきょうは二月二十日だとわかるとようやくわれに返り、自分の名前や歳も思い出してきた…」とある。
夢のなかの一葉は、思うままのことを口にし、だれもが彼女を理解してくれた。しかし、現実の世(一葉は「うつせミ(空蝉)」ということばを使っている)では、口にさえできないことも多い…。そしてこの日記は「わたしは女である。思うことをこの世の実現しようとすべきなのか、その思いを断つべきか」という意味の冒頭の一文で締めくくられる。
幼いころ、一葉が一番熱中したのは草双紙(くさぞうし)(絵入り小説)。なかでも英雄豪傑伝や任侠義人(にんきょうぎじん)の話に胸をときめかせ、「平凡な一生はいや。呉竹(くれたけ)の一節(ひとふし)も抜きん出た人になりたい」と願い続けた。
23歳で記したこの日記にはそんな少女時代の面影がみえる。一葉の実証研究の第一人者、野口碩(せき)さんは「冒頭の表現をするとき、一葉は必ず思いを実行に移す」と断言する。でも、その「思い」とはいったい何だったのか。後世に謎を残したまま、一葉は9ヵ月ののち、逝く。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090220/acd0902200236002-n1.htm