じじぃの「未解決ファイル_33_ロボットの心」

NHKスペシャル ロボット革命人間を超えられるか 2013年3月17日 お笑い動画 FC2
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ロボット ウィキペディアWikipedia)より
ロボット (robot) とは、人の代わりに何等かの作業を行う装置、もしくは、「人や動物のような」機械。
【主な定義】
機械としてのロボットとは、主に以下の意味に大別される。
ある程度自律的に連続した自動作業を行う機械。例・産業用ロボット、ロボットカー
人に近い形および機能を持つ機械。『鉄腕アトム』や『機動戦士ガンダム』等のSF作品に登場するようなもの。いわゆる「人造人間」や「機動兵器」等。
なお、人の代わりになんらかの作業を行う装置の場合、ある程度の工程なり手順なりを自動的かつ連続的に行う物であり、単一の動作を行う物や、絶えず人間が操作をする必要がある物はロボットの範疇には含まれない。許容される範疇における限定された物ではあるが、状況を判断して自動的に連続して作業を行う物とされる。しかし単純に与えられた条件に対して所定の、あるいは繰り返しの動作を行う機械装置との境界は曖昧で、明確に定義・区分することは出来ない。例えば自動販売機は、人間の仕事(業務)を代行する装置であるが、これをロボットとみなすかどうかは、人によってまちまちである。

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瀬名秀明ロボット学論集』 瀬名秀明著 勁草書房 2008年発行
第Ⅴ部 物語がヒトとロボットを超える (一部抜粋しています)
ここでロボット学との親和性について立ち戻ろう。いま知能ロボットたちは、自分のカメラで世界を眺め、自分の脚や車輪で動いて世界を探求し、そこで見たものを私たちユーザに伝えてくれる。しかしいまのロボットに、「体験の文法」は備わっているだろうか。ロボットは"おもしろさ"を感じながら世界を見ているだろうか。ロボットはワクワク感やヒリヒリ感を持っているだろうか。
いまロボットは、論理的にはこの世界を見て語ることができる。だが納得したり、わくわくしたり、もやもやしたり、そういった感覚はおそらくない。それをつくり込む術もない。
ロボットが私たち人間と実世界の仲介者である限りは、無色透明でもかまわない。しかしロボット自身がいつか世界を見て、感じ、語るときがくるならば、そのときはロボット自身にも"身体性"を持つ文法が必要となるだろう。はたしてその準備はいま整っているだろうか。
まだロボットは「知識の文法」で世界を語っており、「体験の文法」を獲得できていないのである。自分で見聞きしたことを、時系列順にそのまま伝えているにすぎない。ストーリーとプロットが近似しているのは、素朴な昔話や寓話である。いまロボットが寓意的に見えるのはそのためだろう。それが悪いわけではない。しかしロボットはいま、昔話のように世界を語ることはできても、なんとか"おもしろく"しようとプロットを練ることはできていないのだ。
ロボットは情動や気分をまだ充分には持たない。ロボットは私たちヒトと同じような意味での性淘汰をしない。彼らロボットの言語はいまだ求愛行動としては機能していないことになる。彼らは"おもしろい物語"を私たちと同様には楽しめないのである。
いつかロボットは物語を語れるようになるだろうか?
いつかロボットは物語を読んで本当におもしろがることができるだろうか?
もしいつか本当にロボットが物語を語り、物語を読むようになったら、そのときロボットははじめて私たちのような言葉を持ち、私たちのような心を持ったといえるのではないか。
ロボットが物語を語るようになったとき、私たちははじめて本当の知能を理解でき、本当の身体を理解できるのではないだろうか。
だがそのとき、ロボットにとっての"おもしろさ"とはいったいどのようなものであるか。ここでさらに大きな疑問が生じる。"おもしろい物語"とは情動や気分を備え、性別を持つ私たちヒトという種に特異的なものであるのか。ロボットに物語らせるには、ロボットをヒトにすることが宿命なのか。それとも"おもしろい"とはもっと宇宙の中で普遍的なものであり、それ自体が"生命"を表現するための重要な鍵となるものなのか。

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ロボットが心を持つことは可能か?
http://www.happycampus.co.jp/docs/983431110201@hc06/6256/
どうでもいい、じじぃの日記。
手塚治虫の作品『鉄腕アトム』は最初から心を持ったロボットとして登場した。
漫画だからロボットが心を持っていても不思議ではないのかもしれないが、考えてみると、とても難しいことなのである。
「心」とは何ぞや。
心を知るためには、生命とは何ぞやから入らないといけないのだろうか。
ウィルスは生物ではないが、ミミズ、クラゲは生物である。ウィルスは自分だけの力では自己増殖できない。ミミズ、クラゲは自分の力で自己増殖する。
ミミズに心はあるのだろうか。
クラゲに心はあるのだろうか。
ミミズもクラゲも神経を持っている。これら生物に危害を加えようとすると逃げるだろう。
「逃げる」という行為は心の働きによるものなのだろうか。
もしかしたら「生物」は潜在的に心を持っていて、意識したときが心として反応するのかもしれない。
瀬名秀明ロボット学論集』の中に「いつかロボットは物語を読んで本当におもしろがることができるだろうか?」がある。
ミミズやクラゲが物語を読んでおもしろがることはありそうもない。
「スナメリのバブルリング」というのをテレビで観たことがある。イルカの一種であるスナメリが「輪っか」を作って遊んでいる映像だった。
http://www.youtube.com/watch?v=EyewC2RBcQM
「凄い絵を描く象」というのもある。この象も絵を描いて遊んでいるように見える。
http://www.youtube.com/watch?v=HOEg-v9NoJE
人間が『鉄腕アトム』のように、ロボットに物語らせることは本当にできるのだろうか。