じじぃの「人の死にざま_22_伊能」

あの人に会いたい 伊能忠敬 SPYSEE
http://spysee.jp/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC/887/
旅立ち 伊能忠敬富岡八幡宮 Departure Tadataka Ino 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Ccnm0TaLi3I
【平成志事術】マーケティングコンサルタント西川りゅうじん 2009.7.30 MSN産経ニュース
愛郷心育む「郷育」を (一部抜粋しています)
 「お江戸見たけりゃ 佐原(さわら)へござれ 佐原本町(ほんまち) 江戸優(まさ)り」と歌われた、千葉県香取市佐原の「佐原おかみさん会」による『まちぐるみ博物館』の取り組みが、(社)全国信用金庫協会の主催による、「商店街ルネッサンス・コンテスト」のわかば部門で全国190件もの応募の中から最優秀賞に輝いた。
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佐原は、地域の人々が忠敬(ちゅうけい)先生と呼ぶ伊能忠敬(いのう・ただたか)の町としても知られる。忠敬は、50歳にして息子ほどの31歳の学者に測量を教わった。そして、寛政12(1800)年、55歳から17年間にわたって全国各地をくまなく歩いて、現在とほとんど変わらない驚異的な正確さで測量して回り、日本初の国土地図「大日本沿海輿地全図」を作った。
全図は忠敬が73歳で没して3年後、弟子たちの手によって完成を見た。
佐原を訪れ、忠敬の人生に思いを馳(は)せるとき、心の中から聞こえてくるに違いない。志を立てるのに遅すぎることはない。そして、その志を継ぐ者を育てねばならない。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090730/edc0907300223000-n1.htm
『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
伊能忠敬 (1745-1818) 73歳で死亡
下総佐原村の勤直にして篤実な名主であった伊能三郎右衛門(忠敬)は49歳で隠居し、翌寛政7年、50歳で突然発心して江戸に出て、19歳も年下の幕府天文方高橋至時の弟子となって、西洋暦学、測量術を学んだ。
そして55歳から71歳まで、17年間にわたり、3万5000キロを歩きつづけ、日本ではじめての正確な地図「大日本沿海輿地全図」を作成するという偉業をなしとげた。こういうみごとな後半生、こういう壮大な隠居仕事もあり得るのである。
しかも彼は、決して頑健な体格ではなく、年毎に深まる老いと、痔や痰咳などの持病に苦しみながら、憑かれたようにこの労苦に従った。そして文政元年4月13日、江戸八丁堀亀島町の屋敷で大往生をとげた。遺言はただ「恩師高橋先生のお墓のそばに葬ってくれ」ということだけであった。
10年後、その高橋至時の子高橋景保が、忠敬の作った地図をシーボルトに贈ったことを、忠敬の弟子間宮林蔵に密告され、捕まえられて獄死するという、いわゆる「シーボルト事件」が起ったが、むろん忠敬はその悲劇をしらない。

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伊能忠敬の生涯
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/tadataka.html
次回の知ってるつもり?!
2002/01/27 放送 「地球を測った偉大なる凡人! 伊能忠敬の人生二毛作
http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/020127.html
伊能忠敬の言葉
「天文暦学の勉強や国々を測量することで後世に名誉を残すつもりは一切ありません。いずれも自然天命であります」