じじぃの「人の死にざま_808_高橋・和巳」

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高橋和巳:わが解体
今では高橋和巳は忘れられた作家である。しかし、60年代後半、当時学生だったいわゆる全共闘世代にはもっとも読まれた作家の一人だった。
http://www.ne.jp/asahi/yosshi/reallifecreation/takahashi-wagakaitai.html
倉橋由美子高橋和巳のお薦め作品 BIGLOBEなんでも相談室
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa887535.html
高橋和巳 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
高橋和巳は、日本の小説家で中国文学者。夫人は小説家の高橋たか子。中国文学者として、中国古典を現代人に語る事に努める傍ら、現代社会の様々な問題について発言し、全共闘世代の間で多くの読者を得た。左翼的な思想の持ち主ではあったが、三島由紀夫と交流するなどの人間的な幅の広さがあった。自然科学にも関心が深く、特に、相対性理論に関する造詣が深かった。癌で39歳の若さで他界した。

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『知識人99人の死に方』 荒俣宏/監修 角川文庫 2000年発行
高橋和巳(たかはしかずみ) (1931-1971) 39歳で死亡。(一部抜粋しています)
大阪に生まれる。31歳のとき、『悲の器』が文藝賞を受賞、以後、『邪宗門』『我が心は石にあらず』を次々発表し、埴谷雄高に「苦悶教の始祖」と呼ばれた。
理想主義的な反面、高橋は自己の生と文学を一体化させ、「理想をどこまでも追求してゆけば、理想自体の持つ純粋性と絶対性ゆえに、現実の社会では破滅するしかない」という彼の哲学を確率していた。果たして高橋は「私を支えるものは文学であり、その同じ文学が自己を告発する」と表明、44年『わが解体』を発表した。”解体”後、高橋は、今までの自分とは別の存在である己を発見し、第2の人生と文学を想像するはずだった。
が、その可能性を結腸にできたガンが奪ってしまった。
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妻たかこに「治ったら釣りに行きたい」「芝生で陽なたぼっこをしたい」などともらし、自己の再生を信じて疑わなかった。
しかし、病状はさらに悪化し、高橋はガンであることを知らないまま、「もう治らんようになってるのかもしれへん」とベッドで泣いた。昭和46年5月3日、昏睡状態となり、眠っている高橋の目尻に涙が浮かんだ。埴谷が「高橋君」と呼ぶと、そのときだけ眼を開けた。深夜、ふいに呼吸が間延びして息が薄くなり、絶命した。

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