じじぃの「人の死にざま_769_八百屋・お七」

八百屋お七 - あのひと検索 SPYSEE
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篠崎月美、櫓のお七 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LZnm8FJur4o
八百屋お七(1668-1683)
http://www.ffortune.net/social/history/nihon-edo/yaoya-ositi.htm
八百屋お七 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
八百屋お七は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘。
幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こしたことで知られる。一途な悲恋として井原西鶴によって取り上げられ、後に浄瑠璃など芝居の題材となった。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
八百屋お七(やおやおしち) (1668-1683) 15歳で死亡。 (一部抜粋しています)
本郷の八百屋の娘お七は、天和2年の暮れに家が類焼して、一家が知り合いの吉祥寺という寺に数日避難している間に、寺小姓の吉三郎と恋をしたが、2人の仲は裂かれた。そこで天和3年の春、お七はもういちど吉三郎に会いたいために、こんどは自分で放火してつかまり、3月29日、鈴ヶ森で火あぶりの刑に処せられた。
徳川時代は数え年16歳から成年であった。西鶴の『好色五人女』では、お七が罪を犯したのが15歳とし、1歳の差で生死をわけたという趣向にしたが、天和3年お七は数え年16歳であったから処刑されたのである。ただし、この若さで火あぶりの刑になったのは、徳川時代でも前代見聞のことであった。

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