じじぃの「人の死にざま_734_大石・主税」

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大石良金 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
大石良金(おおいしよしかね (主税、ちから))は、赤穂浪士四十七士の一人。父は大石良雄。母はりく。
【生涯】
元禄元年(1688年)に播磨国赤穂藩筆頭家老大石良雄の嫡男として赤穂に誕生。幼いころには疱瘡を患ったという。
元禄14年(1701年)14日、主君浅野長矩江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷に及び、浅野長矩が即日切腹赤穂藩が改易となった時、良金は数え年で14歳であり、元服前だった。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
大石主税(おおいしちから) (1688-1703) 14歳で死亡 (一部抜粋しています)
『堀内伝右衛門覚書(おぼえがき)』には、「……なかんずく大石主税殿と申し候は、若年に御座候えども大男大力(だいりき)にて」とある。
討ち入り後、父と別れて松平隠岐守邸に預けられるとき、父の内蔵助が、「かねがね申し聞かせてあるようにいたせ」ちいったのに対し、
「父上、御心配なく」と、答えた。
翌元禄16年2月4日午後4時ごろ、切腹の呼び出しを受けたとき、堀部安兵衛が、「拙者もただいま」と、声をかけた。主税はにっと笑って、死の座へ出ていった。
このとき検使の席にあった松平隠岐守が、万感迫った顔で、
「主税、内蔵助に会いとうはないか」
と、きいたところ、主税をかしげ、すずしくほほえんで、
「お言葉で思い出しました」
と、いった。
次々に死を待つ同志の中で、ひとり憂わしげな顔をしていた大高源吾は、この年少の副頭領の最期が、「おみごとなものでござった」という報告を受けると、みるみるはれやかな表情になったという。