じじぃの「世界遺産・シバの女王の都・最古のダム!本当はどうなんだろう」

【魔都見聞録】中東・イエメン紀行[桜H22/2/22] 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=psI2MjeMfck&feature=related
YEMEN 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Gz3p6i8V_to
Queen of Sheba 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=PxV3tZEQCmE&feature=related
シバの女王の宮殿とも言われている 画像
http://blog-imgs-24.fc2.com/f/o/o/foolslife/080511a.jpg
マーリブ・ダム 画像
http://www.jsce.or.jp/library/itou_photo/k_jpg_sl/2-19-3-01-02.jpg
Desert map 画像
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/Resources/Image849.gif
イエメン マーリブ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&oi=image_result_group&sa=X&q=%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A1%E3%83%B3%20%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%96%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch
シバの女王の息吹を求めて(イエメン)
サヌアから東へ160km、マーリブは内陸砂漠にたたずむオアシス都市です。特別なこともなさそうに見える街ですが、かつてここはイエメン古代史を語るときに欠かせないシバ王国の首都でした。
http://www48.tok2.com/home/sawakon/9back4/389.htm
世界遺産ライブラリー [サヌア旧市街] NHK世界遺産
アラビア半島南部のイエメン。首都サヌアは、シバ王国の都市として紀元前10世紀ごろから栄えました。城壁に囲まれた旧市街は、3000年もの歴史を持っています。
「シリーズ世界遺産100」では、サヌアのスーク(市場)と「世界最古の摩天楼」と呼ばれる高層住宅を訪ねながら、町の歴史をご紹介します。塩を売る市場から発展したというサヌアのスーク。店先でも道端でも男性たちの多くは、腰に半月型の短剣をさしています。これはジャンビーヤと呼ばれるもので、かつては護身用の刀だったといいます。スークには、サヌアの町の繁栄を支えた品物が並んでいます。代表的なのは乳香とコーヒー。乳香は最高級の香料として珍重され、シバ王国時代のサヌアに富をもたらしました。その後は、コーヒーの取引が盛んになり、近郊の港「モカ」から積み出されたコーヒーは、モカコーヒーとして世界中で人気を呼びました。豊かな町は、常に外敵から狙われたため、人々は家を高層化しました。今ある建物のほとんどは200年以上の歴史を持ち、限られたスペースを有効に使う工夫があちこちに見られます。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards606.html
シバの女王 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
シバの女王はシバ王国の支配者で、ソロモンの知恵を噂で伝え聞き、自身の抱える悩みを解決するために遠方の国家からエルサレムのソロモン王の元を訪れたとされる。その来訪には大勢の随員を伴い、大量の金や宝石、乳香などの香料、白檀などを寄贈したとされる。
新約聖書ではこの名での言及は無いが、代わりに「地の果て」からやって来た南の女王(Queen of the South)と表現される。
その統治期間はソロモン王とほぼ同時期の紀元前10世紀頃と推定される。シバ王国の所在については有力視される2つの説があり、エチオピア説によればその名をマケダと呼び、イエメン説によればビルキスと呼ぶ。ただし、両説ともこれを裏付ける考古学的発見は未だ皆無である。
エチオピア説ではさらに、ソロモン王とマケダの間に生まれた子をエチオピア帝国の始祖メネリク1世であると位置づける。

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『文明の主役―エネルギーと人間の物語』 森本哲郎/著 新潮社 2000年発行
シバの女王の都 (一部抜粋しています)
現存する最古のダム、というなら、それは「幸福なアラビア」に築された”シバの女王のダム”であろう。
アラビアというのは「砂漠の土地」を意味するが、砂漠といっても、そこは3つの地域に分けられている。第1は「石のアラビア」で、石や岩が露出した不毛地帯、第2は「砂のアラビア」で、文字通り、砂の海が果てしなく続く砂漠、そして第3が「幸福なアラビア」と呼ばれる緑に縁(ふち)どられた住み心地よい風土で、砂漠の住民たちからは天国のように思われている至福の世界である。第1はシナイ半島やヨルダンがこれに当たり、第2はアラビア半島の大半がこれに属し、最後の幸福な年は半島の南に位置するイエメンをさす。
こうした「アラビア」が、現代文明を支えるエネルギー資源、石油の最大の産出地になっているのは、いささか皮肉な取り合わせだが、そのアラビア半島の南部に栄えたシバ(サバ)王国が最古ともいえるダムを建設したことは、何とも象徴的ではないか。
シバの女王王で有名なこの王国は、しかし、いまだによく分かっていない。ひとつのは、この半島が最近まで秘境でありつづけたからである。18世紀半ばデンマーク国王フレデリック5世よって送り出された6名の専門家から成る探険隊は、シバ王国の遺跡をねざしたが、5人までがその途中で命を落とし、帰還することができたのは、ただひとり、ニーブールだけだった。彼の貴重な旅行記を越える報告は、今世紀の30年代までなされなかったというから、シバ王国が、いかに遠かったは、察するに余りあろう。
ところで、才知に長けた美貌のシバの女王が、「世界に並ぶ者なき富と知恵の持ち主」といわれたイスラエルの王ソロモンをためそうとして、エルサレムへ出かけた、という話は、『旧約聖書』や『コーラン』をはじめ、いろいろ伝えられている。その旅は「大勢の随員を伴い、香料、非常に多くの金、宝石をらくだに積んで」(「列王記」)の大がかりなものだった。
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女王が統治していたシバ王国は、紀元前1000年ごろ、すでに高度な文明を築いていたという。アラビア半島の南端を占めるこの地域は、インドやアフリカとの交易で絶好の位置を占め、国内には古代世界の貴重品だった乳香、没薬(もつやく)を多量に産したからである。
その都は、現在のイエメン共和国の首都サヌアから東へ約100キロのマーリブにあった。そこに豪華な宮殿があり、近くには大きなダムがつくられたのだが、ダムを建造したのはシバの女王ではなく、百数十年あとの王である。
それにしても、高さ15メートルもある巨大な水門を持つ堅牢なダムが、この時代に、どのようにしてつくられたのか、まさしく驚嘆に値いしよう。花崗岩火山岩を積み上げ、セメントでかためたその継ぎ目は、それこそ”水も漏らさぬ”体でぴったり接合されており、3000年近い歳月に、いまなお姿をとどめているのだ! アダナと呼ばれた川をせきとめて貯水した”人工湖”が、どれくらいの広さだったのか想像する以外にないが、この豊富な水が広大な農地と果樹園を潤し、牧場の緑を確保したというから、シバ王国の富は、すべてこのダムにかかっていたのである、
などと聞けば、一見したくなるのは人情だろう。そこで私はエチオピアの首都アジスアベバへ向かい、そこからイエメンのサヌアへ飛んだ。
標高2350メートルにあるこの高原の町から東方へ、一気に山を下っていくと、気温はぐんぐん上昇し、一望の砂漠に達する。気温は50度を越えていた。眩暈(げんうん)に襲われ、私は四輪駆動車の激しい揺れのなかで深い眠りに落ちた。
そして――ハッと目をさましたとき、私は幻(まぼろし)のなかにいた。”黄金の砂漠”のなかに、巨大な5本のオベリスクが天を指していたからだ。
それは、シバの女王の都のありかを語る石の証言者だった。ソロモンの栄華とならぶほどだったシバの都は、このオベリスクを残して、ことごとく砂に埋もれてしまったのである。ダムの決壊とともに、シバ王国は滅び、ダムから溢れ出た水のように、民は四散した。人びとは北上し、やがてメソポタミアの各地で、アラブ文明の担い手となる。

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どうでもいい、じじぃの日記。
森本哲郎著 『文明の主役―エネルギーと人間の物語』という本を見ていたら、「シバの女王の都」というのがあった。
イエメンは中東・アラビア半島の最南端にある国である。
イエメンの首都サヌアは、シバ王国の都市として紀元前10世紀ごろに栄えた。城壁に囲まれたサヌア旧市街は1986年にユネスコ世界遺産文化遺産として登録された。
「現存する最古のダム、というなら、それは『幸福なアラビア』に築された”シバの女王のダム”であろう」
アラビアというのは「砂漠の土地」を意味するが、イエメンはその砂漠の土地の「オアシス」なのだそうだ。
イエメンの隣の国ソマリアはあの物騒な海賊の国である。イエメンもソマリア同様、現在は世界の最貧国の1つになっている。
かって、3000年も昔、シバ王国という高度な文明を築いていた国があった。
旧約聖書で有名なソロモンとシバの物語。映画『ソロモンとシバの女王』はダビデの子ソロモン(ユル・ブリンナー)とシバの女王マグダ(ジーナ・ロロブリジーダ)の恋の物語である。
「それにしても、高さ15メートルもある巨大な水門を持つ堅牢なダムが、この時代に、どのようにしてつくられたのか、まさしく驚嘆に値いしよう。花崗岩火山岩を積み上げ、セメントでかためたその継ぎ目は、それこそ”水も漏らさぬ”体でぴったり接合されており、3000年近い歳月に、いまなお姿をとどめているのだ!」
「セメントでかためた」とはコンクリートのことなのだろうか。
エジプトのギザのピラミッドの高さは、造られた当時は146メートルあった。どうやって重さ約2.5トンもある石を146メートルも積み上げていったのか。一説にはピラミッドの石はコンクリート製だったのではないかといわれている。
「ソロモンの栄華とならぶほどだったシバの都は、このオベリスクを残して、ことごとく砂に埋もれてしまったのである。ダムの決壊とともに、シバ王国は滅び、ダムから溢れ出た水のように、民は四散した」
夏草や兵どもが夢の跡。
ちょっとうんちく。
モカコーヒー」の原産地はエチオピアとされているが、もともとはイエメン山岳地帯で生産されたコーヒーだそうです。