じじぃの「人の生きざま_95_D・エンゲルバート」

ダグラス・エンゲルバート - あのひと検索 SPYSEE
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東京ITニュース タッチできるマウス Microsoft Touch Mouse 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=rG9Ef-Kh4ck
Douglas C. Engelbart, Winner 1997 Lemelson-MIT Prize 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Eb4ZNcMj0uw&feature=related
ダグラス・エンゲルバート フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ダグラス・エンゲルバート(1925年1月30日 - )は、アメリカ合衆国の発明家。マウス、ハイパーテキストワードプロセッサ、マルチウィンドウ・システムなどの発明者。
【来歴】
エンゲルバートアメリカ合衆国オレゴン州ポートランドに生まれ、1948年オレゴン州立大学で電気工学の学士号を取得、1952年カリフォルニア大学バークレー校で工学修士号を取得、1955年同校で情報工学の博士号を取得した。
第二次世界大戦の際、エンゲルバートはフィリピンで無線技術者として働いていた。そこでヴァネヴァー・ブッシュの論文 "As We May Think" に触れ、着想を得た。戦後、エンゲルバートバークレーで学び1955年に博士号を取得。そのころバークレーで行われていたCALDICというコンピュータの開発に学生として関わった。彼は学位論文のテーマだった記憶装置を商業化するための努力を1年ほど行ったが実らず、スタンフォード大学と当時関わりが深かった SRI(Stanford Research Institute) に雇われ、磁気論理デバイスの開発に関わることとなった。
SRIインターナショナルでは、エンゲルバートはNLS (oN-Line System) の設計開発を主導した。エンゲルバートは Augmentation Research Center(ARC) を設立し、そこのチームでビットマップ・スクリーン、グループウェアハイパーテキスト、先駆的なグラフィカルユーザインタフェース (GUI) などを開発していった。彼は1960年代中ごろにユーザインタフェース (UI) のアイデアの多くを考案し開発した。そのころパーソナルコンピュータはもちろんないし、コンピュータは一般の人々には遠い存在で直接使用するなどほとんどあり得なかったし、ソフトウェアも個々のシステム向けの専用アプリケーションとして書かれることが多かった。
1967年、エンゲルバートはマウスの特許を申請し、1970年に取得した(米国特許番号 3,541,541)。その特許では "X-Y position indicator for a display system"(表示システムのためのX-Y位置指示器)とされており、金属ホイールを2つ持つ木製のマウスであった。エンゲルバートによれば、「マウス」と名づけられたのはしっぽに相当するコードが後ろにあったためだという。
エンゲルバートは数々の発明品を統合して、1968年12月9日のコンピュータ会議(Fall Joint Computer Conference)でデモンストレーションを行った。これはアメリカなどではMother of all demos(全てのデモの母)と呼ばれている。
1980年代終盤になると、エンゲルバートの業績の独創性と重要性が徐々に理解されるようになってきた。
2005年、エンゲルバートはコンピュータ歴史博物館(Computer History Museum)のフェローに選ばれた。

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『世界のヒット商品はどんな「ひらめき」から生まれたの?』 スティーブン・D. ストラウス/著、飛田妙子、萩岡史子/翻訳 主婦の友社 2003年発行
「X−Y座標の表示装置」。この装置、いまあなたの手元に (一部抜粋しています)
現代人の必須小道具、パソコンのマウス
1960年代にダグラス・エンゲルバートという天才が、それこそ世界をひっくり返すほどのものを開発していたときの状況がまさにそれだった。その発明品とはあなたが毎日使っている必需品である。
こんなに便利で役立つものを発明したのに、誰もその発明者を知らない。
ダグラス・エンゲルバートはそうした発明家の一人であろう。彼は、本書に登場する多くの発明家や企業と違って、ただひたすら人類の未来をよりよくすることを夢見て努力した科学者なのだ。
未来を先取りする人エンゲルバートは、1929年に始まった世界大恐慌の時代に、オレゴン州ポートランドに近い農場で育った。後にオレゴン州立大学の電気工学部で学び、第2次大戦の末期には2年間海軍に所属、そのときの経験で後の人生が大きく変わることになった。
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エンゲルバートポインティングデバイスについての最初のひらめきを得たのは、グラフィックに関する会議のときだった。「私は前から強いさなノートをいつもシャツの胸ポケットに入れている。考えが浮かんだらすぐ書き留められるように」と彼はいう。グラフィック会議の席で、スクリーン上のカーソルを何とか別の方法でコントロールできないかと考えていた。そのとき、エンジニア時代に使っていた「小さな、単純な機械」を思い出した。転がして使うその道具には曲がったアームがついていて、その先端に小さな円盤が載せてある。この機械の一部を転がすと、腕の先端の円盤も同じ道筋をたどる。
エンゲルバートは説明する。「小さな車をつけてこの辺まで押すと、この2点の間ならどの道筋をたどっても、基本的には変わらない。同じ距離だけ転がるわけだ。これに車を2つつけたらと思いついたのだ。あとは簡単なので、私はすぐにスケッチした」。
そのスケッチをもとにして、ARCの研究員は世界で初のコンピュータ・マウスを作った。その道具は、木で簡単にできたとエンゲルバートはいう。マウスをパッドの上で動かしてカーソルをスクリーンの上で動かすようにするのも、実に簡単だったそうだ。
「マウスを前後に動かしたときに生じるアナログ電圧を、デジタル数値に変換することが、この道具の基本的な技術だった。それがすべてだ」。研究員はその道具の一方の端に3つのボタンをつけた。「つける場所がそこしかなかったから」だった。形がネズミに似ていたので、マウスと名づけられた。誰が最初にいい出したのかわからないという。エンゲルバートは回想する。「マウスと呼ぶ道具を作り出したわけだが、たまたまできたものなのだよ」。1970年、彼は2つの金属の車のついたこの木製の道具の特許を取得した。特許の申請書には、「ディスプレイ・システムのためのX−Y座標の表示装置」とある。

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