ジャック・キルビー - あのひと検索 SPYSEE
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The Fabrication of Integrated Circuits 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=35jWSQXku74
Jack Kilby and the Integrated Circuit 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=vXDRF5wvp-o
Robert Noyce - MicroChip Inventor and Intel Co-Founder 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=eMx_V28_iRs
ジャック・キルビー ウィキペディア(Wikipedia)より
ジャック・セイント・クレール・キルビー(Jack St. Clair Kilby, 1923年11月8日 - 2005年6月20日)は2000年のノーベル物理学賞を受賞したアメリカの電子技術者。1958年、テキサス・インスツルメンツ社勤務時代に集積回路(IC)を発明した。電卓やサーマルプリンターの発明者でもある。
【生涯】
1958年、テキサス・インスツルメンツに就職したが、年次休暇の数が足りなくて夏休みを取れなかった。そこで同僚が夏休みで不在の間に "tyranny of numbers" と呼ばれる回路設計上の問題に取り組み、半導体の上にひとまとめに回路を形成するという解決策を導き出した。9月12日にテキサス・インスツルメンツ社経営陣にそれを説明。そのとき、一片のゲルマニウムにオシロスコープをつなぎ、スイッチを入れるとオシロスコープに正弦波が表示され、ゲルマニウム上の集積回路が正常に動作していることを示した。アメリカ合衆国特許第3,138,743号 "Miniaturized Electronic Circuits" が最初の集積回路に関する特許で「キルビー特許」と言われる。この特許は1959年2月6日に出願された。その数ヵ月後、フェアチャイルドセミコンダクター社のロバート・ノイスも独自に集積回路のアイデアに到達しており、「プレーナー特許」(半導体の平面上に回路を構成する技術に関する特許)を出願した。一般にこの二人が集積回路の発明者とされている。
キルビー特許の関連特許は、後に半導体技術の普及後に成立させたものを利用して、日本を初めとする多くの国の半導体メーカーと特許騒動を起こし(キルビー特許を参照)、テキサス・インスツルメンツ社は莫大な特許料収入を得ることとなる。
ロバート・ノイス ウィキペディア(Wikipedia)より
ロバート・ノートン・ノイス(Robert Norton Noyce, 1927年12月12日 - 1990年6月3日)は、フェアチャイルドセミコンダクター(1957年創業)とインテル(1968年)の共同創業者の1人であり、the Mayor of Silicon Valley(シリコンバレーの主)とあだ名された人物。ジャック・キルビーと並んで集積回路を発明したことでも知られている。順序としてはキルビーの発明が6ヵ月ほど早かった。両者とも同時に発明したということで互いに納得していた。その後の世代の起業家(例えばアップルを起業したスティーブ・ジョブズなど)にとっては、師であり目標だった。
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『誰が本当の発明者か』 志村幸雄/著 ブルーバックス 2006年発行
IC キルビーVS.ノイスの10年戦争 (一部抜粋しています)
20世紀最後の年となった2000年のノーベル賞は、物理学、化学両賞に関する限り、これまでの路線とはいささか様相を異にしていた。
従来、自然科学関連のノーベル賞は基礎研究の成果が通り相場で、高度な理論を駆使した研究や、一般常識には程遠いテーマが多かった。ところが同年の受賞者には、物理学賞は集積回路(IC)と半導体レーザー、化学賞は伝導性ポリマーといったように、すでに産業化され、身近なところで使われているものの発明者が顔を並べた。
だが、この受賞はあまりにも遅い。同じ物理学賞でも、ウィリアム・ショックレーらがトランジスタの発明で受賞したのは、発明から9年後の1956年、レーザーの原理的発明でチャールズ・タウンズらが受賞したのは10年後の1964年だった。それが今回は、ICのされてが発明から42年、半導体レーザーについても、ハーバード・クレーマーの異種接合(常温連続発振の基本構造)の提案から38年、ジョレス・アルフェロフの常温連続発振の成功から31年が経過している。
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キルビーがテキサス州ダラスで世界最初のICを開発した1958年、同じ米国の西海岸では、その前年に創設されたフェアチャイルド・セミモンダクター社で、今日のICの基本技術となるプレーナ―技術が生み出されている。
プレーナ―技術とは、シリコン半導体チップの表面に酸化膜のプレーン(平坦地)を形成する技術である。この酸化膜の表面にリソグラフィー(写真蝕刻)技術で窓を開け、そこを通してpn接合を形成するための不純物の導入や電極の接続が行われる。そればかりか、チップの表面を酸化膜で覆うことで外気を遮断でき、素子の劣化を防ぐこともできる一石二鳥のアイデアである。
当時の半導体製品といえば、「素子の劣化→短寿命」が通り相場だったから、プレーナ―技術はシリコントランジスタ工業化の決め手となった。
プレーナ―技術自体は、フェアチャイルド社のJ・A・ハーニの発明だが、そのアイデアをICに取り込んだのは、同社創設の中心人物、ロバート・ノイズだった。
ノイズは、一つのトランジスタの隣にもう一つのトランジスタを作ったらどうなるかを考えた。
この場合、トランジスタ間を蒸着技術による金属の配線でつなぐことができれば、あの何ともうさんくさい「空飛ぶ電線」の欠点も克服できる。幸い、酸化膜で覆われたシリコンチップの表面は機械的、化学的にもたいへん安定しており、しかも平坦だ。ここに金属配線を施して、窓から引き出した電極間を相互接続できれば、トランジスタの数がいくら増えても構わない。
プレーナ―技術は、キルビーの着想をより一歩進めて、新しいICの誕生を促した。これこそノイスがもう一人のIC発明者とよばれるゆえんである。
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特許をめぐる裁判とはいえ、後発のノイスに優先権があたえられたのだから、キルビーにとっては面目丸つぶれだ。これを不服としたキルビー側は、最高裁に対し、その決定の再審理を求めたが、結果は「却下」であった。
こうした判決にもかかわらず、以後、両者は共に一定に権利を行使することのなった。最後の判決が下りる前の1966年夏、TI、フェアチャイルド両社が、裁判の決着とは別に、その旨をあらかじめ合意していたからである。その後、ICの生産に取り組んだあらゆる企業が、両社に一定の特許料(日本企業の場合、フェアチャイルド社に4.5パーセント、TI社に3.5パーセント)を支払うことになる。
二人の思いはともかく、互いの発明が補完し有って今日のICがあることを考えると、適切な判断だったというべきだろう。
その後ノイスは、1968年に自ら創設したインテル社の経営に携わりながら、一方で半導体メモリーやマイクロプロセッサーを初めて商用化し、他方で米国半導体業界の再生を目指す官民合同会社セマチックのCEO(最高経営責任者)として活躍していた。しかし90年に積年の過労がたたったのか働き盛りの62歳で早世した。
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ジャック・キルビー Google 検索
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